山岡鉄舟の武士道は父母恩重経成等正覚なり
御礼状安倍晋三前総理大臣殿侍史
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「安倍総理からのメッセージ 令和2年9月16日」
youtube.com/watch?v=CFLOiR2EbKM&pp=wgIECgIIAQ%3D%3D
拝復謹啓
7年8か月の長きにわたって日本国総理大臣の不眠不休なる過酷な激務を、
日本国の歴史始まって以来最も偉大な不滅の輝きを発する無上の業績をあげられなさいましたことをもって職責をお果たし頂きましたことに、
満腔の尊敬をお捧げ申し上げますとともに、
先祖代々大和民族日本人として、
安倍総理大臣ご就任中に全世界の老若男女万国万人のみなさまがたに、
目の前の人ににっこり微笑みかけて、
直ちに不退転の金剛力を以て我が身を捨てて会った人すべての人へ親身に親切を尽くす、
真の勇者だけが抱く仏心をして、
まさにこれが日本人の姿そのものであると、
世界中の老若男女の皆様に一人残らず余すところなくお伝えしてくださいました。
先祖代々大和魂日本人として、この世の今生で無上の喜びであります。
三つ子の大和魂の、衷心より篤く御礼申し上げます。
筆舌に尽くしがたくございますが、拙くもお礼の言葉とさせていただきたく存じ上げ仕ります。
恐懼謹言 豊岳正彦九拝
令和二年九月十七日
【武田邦彦】※お知らせ※ 私が国会議員になった暁には絶対にこんなことにはなりませんよ
youtube.com/watch?v=o8FGDPe2LvQ
仏教はこの世で唯一の【政教分離の教え】です。
仏教伝道協会が削除した部分にお釈迦様の七不衰法という仏法【政教分離の教え】が説かれています。
私が持っている昭和60年版は初版よりも加筆されて最も沼田恵範師の初志通りの刊行版です。
現行版が削った【政教分離の教え】はすでに紹介した七不衰法をはじめ、
大光王転輪王の統治を説法玉わったお釈迦様の言葉すなわちお経によく表れています。
七不衰法と同じ法である釈尊説法を華厳経をはじめとして三つここへ転記します。
hougakumasahiko.muragon.com/entry/9.html
(華厳経第三四、入法界品)
昔、大光王は、
自分の王道を次のように説いた。
「自分の国家を治める道は、
まず自分を修めることである。
自ら慈の心を養って、
この心をもって国民に臨み、
人びとを教え導いて心の垢を除き去り、
身と心を和らげて、
世の中の楽しみにまさる正しい教えの喜びを得させる。
また、
貧しいものが来たときには、
蔵を開いて心のままに取らせる。
そしてこれを手がかりとして、
すべての悪から遠ざかるように戒める。
【罪を憎んで人を憎まず】【過失無罪】
人びとは各々その心をもととして、
見るところを異にする。
この城中の民にしても、
この都を美しいと見るものもあれば、
また汚いと見るものもある。
これは各々、
その心、
その環境がそうさせるのである。
教えを尊び、
心の正しい素直な人は、
木石にも瑠璃の光を見るのであるが、
欲が深くて自分を修めることを知らない者は、
どんな立派な御殿でもなお美しいと見ることはできない。
国民の生活は、
万事みなこのとおり、
心がもとになっているから、
わたしは国を治める大もとを、
民にその心を修めさせることに置いている。」
三、(金光明經第一二、四天王護国品)
大光王のことばどおり、
政道の大もとは、
民にその心を修めさせることにある。
【上杉鷹山公伝国の辞】
この心を修めることは
さとりの道に進むことであるから、
政治の上に立つ人は、
まず仏の教えを信じなければならない。
もし政治を行う人が、
仏を信じ、
教えを信じて、
慈悲深く徳のある人を敬い、
これに供養するならば、
【信教の自由】
敵もなく、
恨みもなく、
国家は必ず栄えるに違いない。
【無怨能勝怨、七不衰法】
そして、
国が富み栄えるならば、
他の国を貪り攻めることもなく、
また他を攻める武器の必要もなくなるであろう。
【日本国憲法前文および第9条】
したがって国民も満足して楽しみを受け、
上下和らいでむつみあい、
善を増し徳を積んで
互いに敬愛し喜び合うから、
いよいよ人は栄え、
寒さ暑さもととのい、
日も月も星も常の程度を失わず、
風雨が時に従うようになり、
こうしていろいろの災いも遠ざかるようになるであろう。
【十七条憲法和を以て貴しとなし篤く三宝を敬え
(憲法という言葉は聖徳太子がこの世で初めて作った言葉で、
意味は仏法にのっとって政治を行う、
仏法僧三宝に自ら帰依する大王天皇法皇が治めるこの国の、
最高の法は仏法なり)】
四、(大薩遮尼揵子所説經)
王たるものの勤めは、
民を守ることにある。
王は「民の父母」であり、【細川平洲、上杉鷹山】
教えによって民を守るからである。
民を養うことは、
父母が赤子を養うようなもので、
父母が赤子のことばを待たず、
湿ったものを取り替えて新しい布を当てがうように、
いつも民に幸いを与えて悩みを去るよう
慈しみ養うのである。【父母恩重経】
まことに王は、
民をもって国の宝とする。
これは、
民が安らかでなければ政道が立たないからである。【伝国の辞】
だから、
王たるものは、
民を憂えてしばらくも心を離さない。
民の苦楽を察し、
民の繁栄をはかり、
そのためには常に水を知り、
風、雨を知り、
実りの善悪を知り、
日照りを知り、
民の憂いと喜びを知り、
罪の有無と軽重、
功績の有無などをよく知って、
賞罰の道を明らかにする。
このように民の心を知って、
与えなければならないものは時をはかって与え、
取るべきものはよく量って取り、
民の利を奪わないよう、
よく税を軽くして民を安らかにする。【民のかまど、仁徳天皇の治世】
王は力と権威によって民を守り、
このようにして
民の心になって民をよく見守るものが王と呼ばれる。
五、この世の中の王を転輪王というが、
転輪王とはその家系が正しく、
身分が尊くてよく四辺を統御し、
また教えを守るところの王である。
この王のゆくところには、
戦いもなく恨みもなく、
よく教えによって徳をしき、
民を安らかにして邪と悪を下す。
また転輪王は、
殺さず、
盗まず、
よこしまな愛欲を犯さず、
偽り、悪口、二枚舌、むだ口を言わず、
貪らず、
瞋らず、
愚かでない。
この十善を行って民の十悪を去らせる。
また、
教えによって政治を正すから、
天下において思いのままになすことができ、
そのゆくところには戦いがなく、
恨みもなく、
互いに相犯すこともない。
したがって、
民は和らぎ、
国は安らいで、
民にいよいよその生を楽しませることができる。
だから教えを守る王といわれるのである。
また転輪王は、
王の中の王であるから、
もろもろの王はみなその徳を喜び、
その教えに従って各々その国を治める。
このように転輪王は、
もろもろの王をして各々その国に安んじさせ、
正しい教えのもとに王の任を果たさせる。
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豊岳正彦
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仏教の中心は無我と無常です。
天上天下唯我独尊というその我は無我であると教えるから、
無我ゆえにすべてを受容することができます。
仏教の我は自我を離れた無我をあらわす言霊です。
デカルトの我思うゆえに我ありが、
旧約聖書創世記と同じ絶対自我の自家撞着であることを、
天上天下唯我独尊で明らかに表して、
無我のほとけは一切衆生に等しく無我と、
大慈悲宇宙の真理だるま法、
すなわち無常を教えたまわるのです。
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「和を以て貴しとなす。あつく三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり」
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日本人で天皇陛下と言って死ぬものはムー文明時代以前から古来皆無ですね。
特攻隊も全員死ぬ時に母親と仏様以外は念じていません。
特攻は自殺ですから、自殺を禁じた神様に自殺するときお願いしても、
死後の魂を助けてくれないであろうことは、誰もがわかります。
猛烈な弾幕の中へ突っ込んでゆく特攻で自分の命が寸毫も先がない、
この世を去る瞬間にあの世で何も力を貸してくれない神様や天皇を、
自分のことをこの世で自分自身より大切に思ってくれている母を呼ぶことなく、
男の神様や父親や現人神をを呼ぶことは長たらしくて愚かすぎます。
寸秒ののちに死ぬとわかっているのに助けにならぬ者の名前を呼ぶなど、
あまりにも無駄ですから。
日本人は観音様とお地蔵さまが母親という母性の仏様だから、
お母さんと言って死ぬのと、南無阿弥陀仏と言って死ぬことは同じですが、
死ぬときにお父さんを呼ばないなら天皇陛下も男だから呼びません。
かりに天皇陛下と叫んで死んだとしましょう。死後必ず迷います。
たとえ死後の霊魂が靖国へ行ったとしても、
靖国に母親が来てくれなかったら成仏できるでしょうか。
靖国へ来なくても母親が死後の自分の行方を案じてすなわち悲(あわれ)んで、
仏さまに向かって一心に我が子の魂をどうかお救いくださいとお願いして、
お経誦げや念仏供養やお寺参りをしてくれるからこそ成仏できるのです。
悲母の恩重きこと天の極まり無きが如し。【父母恩重経】
どんな地獄にも仏様はお現れなさって、
さまざまに苦しむ魂をみな等しくその悲母観音様悲母地蔵菩薩様の
み胸に抱きとってお救いくださるから、
【地獄に仏】というのです。
閑話
これも日本人の代々親から子への言い伝えの言霊です。
同じ言霊で【母国】や【母校】と言いますが、本当の言霊では
【母なる大地、父なる天】という【阿吽】と同じ對句不二の言霊に通じます。
お地蔵さまが女性なのは【地母】たるゆえんですが、
【生命の母なる海】も同じく不二の言霊ですね。
閑話休題、
父なる神様や男神の伊弉諾尊は地獄には決して現れません。
ただ仏様だけがどんな地獄にも現れて、
苦患地獄に落ちているものを皆、
そのみ手で一人残らず救い取ってくださる。
この世では母親が我が身を痛めて生んだ子供を抱いて、
我と我が身の利己心をすべて忘れる【空なる無我】になるからこそ、
子供がすくすくと育つのです。
悲母観音様を日本中で拝んでいるのはすべて母親で、
お地蔵様を日本中で拝んでいるのもすべて母親です。
岸壁の母が日本人の悲母観音さま地蔵菩薩さまだからこそ、
日本人は老若男女みなその姿に涙するのです。
男はただ、生みと育ての母を思って慕って生きて死んでいくのです。
水戸黄門光圀の歌「諸人よ思い知れかしおのが身の誕生の日は母苦難の日」のごとく。
代田銀次郎の歌「ああモンテンルパの夜は更けて」のごとく。
文字と数字を使うのは常に男ですね。
母はいつも、文字も数字も頭にない。
文字数字が無いがゆえに何のはからいも無く、
わが子という自分以外の他者をありのまますべて受け入れて、
我を忘れて愛育するのです。【無我空不二、色即是空空即是色】
文字と数字はあらゆる動物のうちで、人間だけが使う、
この世に存在しないただ人間の脳の中だけに存在する妄想です。
妄想である数字と文字にとらわれると、
自我と利己ばかりが心の中で肥大します。
妄想を離れると自我がなくなって心が無我になります。
母が子を抱いて無我の生き仏さまに成るのはこれゆえです。
仏教聖典に仏様の教えがこうあります。
hougakumasahiko.muragon.com/entry/106.html
「仏の心とは大慈悲である。
あらゆる手だてによって、
すべての人びとを救う大慈の心、
人とともに病み、
人とともに悩む大悲の心である。
ちょうど子を思う母のように、
しばらくの間も捨て去ることなく、
守り、育て、救い取るのが仏の心である。
「おまえの悩みはわたしの悩み、
おまえの楽しみはわたしの楽しみ。」と、
かたときも捨てることがない。
仏の大悲は人によって起こり、
この大悲に触れて信ずる心が生まれ、
信ずる心によってさとりが得られる。
それは、
子を愛することによって母であることを自覚し、
母の心に触れて子の心が安らかとなるようなものである。」
このように、
この世で文字と数字の妄想にとらわれた男は、
無我を悟ることが困難で自我への強い執着を生活で示していますが、
その間違いを感じつつ暮らしている男が、
子供を胸に抱く母の姿に無我の仏様を見て、【悲母観音鬼子母神】
心からほとけさまに帰依して母子に供養を始めた途端に、
男は自我の迷いから覚めて、
それまでの利己他害の生活を断捨離すればたちまち、
忘己利他捨身施武士道大和魂の無我の仏性が無常のこの世に現れて、
文武二道の名人和を以て貴しとなす親孝行親身親切の、
三宝帰依仏心捨身施大和魂が悠久の仏国土で花開くのです。
この悠久の国は、一切衆生悉有仏性の魂の母国。
【一寸の虫にも五分の魂】があると、母親から口伝で学び教わる母の国。
生まれてすぐに抱っこされて満一歳半の数え年三つ子までに、
母親が歌うように語る言霊日本語を聞き真似び(学び)とって【三つ子の魂】に音霊を刻み、
齢百に至るまで抱っこの【手伝い】に伝えられた父母の大恩ある大和魂で、
母なる大地の上、父なる天の下、
立って半畳、寝て一畳、
お天道様と米の飯はどこでもついて回る月夜の影ふみ兎の餅つき、
無我の己を空しゅうする忘己利他菩薩行で報恩武士道を闊歩して無常の世を生老病死する。
晴れてよし曇りてもよし富士の山 本の姿は変わらざりけり【山岡鉄舟武士道】
死ぬ時が来れば死ぬるがよかろうと 線香消えてハイさようなら。