拈華微笑 南無父母不二佛

何でも仏教徒として思いついたことを書きます

新帰元

微笑院慈恵法悦大姉
みしょういんじけいほうえつだいし

令和元年八月二十三日零時三〇分老衰のため岩国市山手町豊岳家自宅自室にて没


俗名 豊岳悦子 ほうがくえつこ
行年九〇歳
享年九二歳

   (旧姓 岡村 鹿児島県指宿郡頴娃町別府水成川)
   (旧姓 白濱 鹿児島市、宮崎県南郷町、呉市、、、)



出生 昭和三年十二月二八日
結婚 昭和二九年満二六歳で三歳年長の玉野市用吉臨済宗妙心寺派豐嶽山久昌寺次男小児科医師豊岳正道不傳先生と、
久昌寺本堂に於いて仏前挙式結婚。
こども 四人の生児と一人の流産未生児。
夫と死別 昭和五六年八月二〇日豊岳正道死去。
 亡父の墓は御導師臨済宗天龍寺派岩国市藤生鐘秀山松巖院先々住職重岡至孝老大和尚さまの仏縁で結ぼれた御厚誼を頂戴し、
松巖院代々住職墓所に戒名拈華院千聖不傳居士豊岳家墓碑を母悦子が建立。
死去 令和元年八月二三日自宅にて老衰


御導師

臨済宗天龍寺派南明山福城寺住職並びに
臨済宗天龍寺派鐘秀山
松巖院兼務住職
山本禅明老大和尚さま


御戒名 微笑院慈恵法悦大姉


岩国市山手町豊岳家自宅仏間にて
八月二四日通夜
八月二五日葬儀及び出棺荼毘骨上げ仏前安置初七日法要
葬儀万端一切を密葬の形式で執り行いました。


玉野市築港臨済宗妙心寺派日照山豊昌寺二世住職豊岳慈明和尚さまは岡山玉野市用吉久昌寺の豊岳家本家のご三男であられますが、
突然の訃報にも拘わりませず諸々ご多忙中万障を排して通夜から岩国へご弔問たまわり、
慈明和尚さまの叔母なる豊岳悦子の新仏を安置致した豊岳家仏間において、
二四日と二五日連日にわたり、
一心に故人の冥福を御祈念いただきました所の心魂御傾注の御読経と、
故人なる母豊岳悦子も生前に久昌寺豊岳春美伯母様と倶に楽しく勤しんだ御詠歌を、
母悦子の御甥にして岩国豊岳家こども四人の御いとこなる慈明和尚さまに、
お勤め賜りました次第にございます。
御詠歌は、
二四日通夜に「みほとけは御詠歌」
二五日葬儀に「目連尊者御和讃」
まことに心々底々まで通徹する大慈悲の月光の如く澄み返る声調が、
聞く者皆の心に深く沁み入って「御詠歌はみほとけ」と、
岩国豊岳家仏間を超えて無邊の虚空に満々と響き渡ったのでございます。
南無釈迦牟尼佛
合掌礼拝




葬儀指揮一切万端を
岩国市二鹿藤島世志子さまよりご教示頂きました所の
岩国市御庄(株)ベルコ東山口
ベルコ シティホール岩国 
岩国支所所長 中原貢様にお任せし、
お陰さまをもちましてこの世で無上のお弔いを
終え果たすことを得て感謝の念窮まり無く、



併せまして、
母生前にいつもお気に掛けてくださり、
常日頃ご心配頂きましたすべての皆様、
またこのたびお弔いを賜りましたすべての皆様に、


御高恩にお報い申し上げること叶わじとは存じつつ、
この場を借りまして岩国豊岳家遺族一同、
衷心よりあつく深く御礼申し上げます。



喪主 豊岳正彦(長男)並びに豊岳さだ美(女房)
遺族 豊岳則子(長女)並びに豊岳由真(則子長男)
   豊岳道子(次女)
   豊岳貴道(次男)並びに豊岳幹子(女房)並びに豊岳真依(貴道長女)並びに豊岳実由(貴道次女)並びに豊岳正太郎(貴道長男)



合掌九拝  
 

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