父母恩重経
南無父母恩重経唯一不二三宝四恩五戒六道七佛帰依根本教
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『父母恩重経』ぶもおんじゅうきょう(和訓)
是(かく)の如(ごと)く我(わ)れ聞(き)けり。或(あ)る時(とき)、佛(ほとけ)、王舎城(おうしゃじょう)の耆闍崛山中(ぎしゃくつせんちゅう)に菩薩声聞(ぼさつしょうもん)の衆(しゅう)と倶(とも)にましましければ、比丘比丘尼(びくびくに)優婆塞優婆夷(うばそくうばい)一切諸天(いっさいしょてん)の人民(にんみん)および龍鬼神等(りゅうきじんとう)、法(ほう)を聞(き)かんとて、来(き)たり集(あつ)まり、一心(いつしん)に寶座(ほうざ)を囲繞(いにょう)して、瞬(またた)きもせで尊顔(そんがん)を仰(あお)ぎ見(み)たりき。
是(こ)のとき、佛(ほとけ)、すなわち法(ほう)を説(と)いて宣(のたま)わく。一切(いつさい)の善男子善女人(ぜんなんしぜんにょにん)よ、父(ちち)に慈恩(じおん)あり、母(はは)に悲恩(ひおん)あり。そのゆえは、人(ひと)の此(こ)の世(よ)に生(う)まるゝは、宿業(しゅくごう)を因(いん)として、父母(ちちはは)を縁(えん)とせり。父(ちち)にあらされば生(しょう)ぜず、母(はは)にあらざれば育(そだ)てられず。ここを以(もっ)て氣(き)を父(ちち)の胤(たね)に稟(う)けて形(かたち)を母(はは)の胎(たい)に托(たく)す。此(こ)の因縁(いんねん)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、悲母(ひも)の子(こ)を念(おも)うこと世間(せけん)に比(たぐ)いあることなく、その恩(おん)未形(みぎょう)に及(およ)べり。始(はじ)め胎(たい)に受(う)けしより十月(とつき)を經(ふ)るの間(あいだ)、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)ともに、もろもろの苦惱(くのう)を受(う)く。苦惱(くのう)休(や)む時(とき)なきが故(ゆえ)に、常(つね)に好(この)める飲食(おんじき)衣服(えぶく)を得(う)るも、愛欲(あいよく)の念(ねん)を生(しょう)ぜず、唯(た)だ一心(いつしん)に安(やす)く生産(しょうさん)せんことを思(おも)う。
月滿(つきみ)ち日足(ひた)りて、生産(しょうさん)の時至れば、業風(ごっぷう)吹きて、之れを促し、骨節(ほねふし)ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れて、其の苦しみ堪(た)えがたし、父も心身(しんしん)戦(おのの)き怖(おそ)れて母と子とを憂念(ゆうねん)し諸親眷属(しょしんけんぞく)皆な悉(ことごと)く苦惱す。既に生まれて草上(そうじょう)に墮(お)つれば、父母(ふぼ)の喜び限りなきこと猶(な)ほ貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいじゅ)を得たるがごとし。その子聲(こえ)を發すれば、母も初めて此の世に生まれ出でたるが如し。
爾來(それより)母の懐(ふところ)を寝處(ねどこ)となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情(なさけ)を生命(いのち)となす。飢えたるとき食を需(もと)むるに母にあらざれば哺(くら)わず、渇(かわ)けるとき飲料(のみもの)を索(もと)むるに母にあらざれば咽(の)まず、寒きとき服(きもの)を加うるに母にあらざれば着ず、暑きとき衣(きもの)を撒(さ)るに母にあらざれば脱がず。母飢(うえ)に中(あた)る時も哺(ふく)めるを吐きて子に食(くら)わしめ、母寒きに苦しむ時も着たるを脱ぎて子に被(こうむ)らす。母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。その闌車(らんしゃ)を離るるに及べば、十指(じっし)の甲(つめ)の中に、子の不浄を食らう。計るに人々、母の乳を飲むこと一百八十斛(いっぴゃくはちじゅっこく)となす。父母(ちちはは)の恩重(おんおも)きこと天の極(きわ)まり無きが如し。
母、東西の隣里に傭(やと)われて、或(あるい)は水汲み、或は火燒(ひた)き、或は碓(うす)つき、或は磨挽(うすひ)き、種々の事に服従して家に還(かえ)るの時、未だ至らざるに、今や吾が兒(こ)、吾が家(いえ)に啼(な)き哭(さけ)びて、吾を戀(こ)ひ慕はんと思い起せば、胸悸(むねさわ)ぎ心驚き両乳(りょうにゅう)流れ出でて忍び堪(た)ゆること能(あた)わず、乃(すなわ)ち去りて家に還る。兒(こ)遙(はるか)に母の歸(かえ)るを見て、闌車(らんしゃ)の中に在れば、即ち頭(かしら)を動かし、腦(なづき)を弄(ろう)し、外に在(あ)れば、即ち葡匐(はらばい)して出で來(きた)り、嗚呼(そらなき)して母に向う。母は子のために足を早め、身を曲げ、長く兩手を伸(の)べて、塵土(ちりつち)を拂(はら)い、吾が口を子の口に接(つ)けつつ乳を出(い)だして之れを飲ましむ。是のとき母は子を見て歡(よろこ)び、子は母を見て喜ぶ。兩情一致(りょうじょういっち)、恩愛の洽(あまね)きこと、復(ま)た此れに過ぐるものなし。
二歳懐(ふところ)を離れて始めて行く。父に非(あら)ざれば、火の身を焼く事を知らず。母に非ざれば、刀(はもの)の指を墮(おと)す事を知らず。三歳、乳を離れて始めて食う。父に非ざれば毒の命を殞(おと)す事を知らず。母に非ざれば、薬の病を救う事を知らず。父母(ちちはは)外に出でて他の座席に往き、美味珍羞(びみちんしゅう)を得(う)ることあれば、自ら之を喫(くら)うに忍びず、懐に収めて持ち歸り、喚(よ)び来りて子に與(あた)う。十(と)たび還れば九(ここの)たびまで得(う)。得(う)れば即ち常に歡喜(かんぎ)して、かつ笑いかつ食(くら)う。もし過(あやま)りて一たび得ざれば、則ち矯(いつ)わり泣き、佯(いつ)わり哭(さけ)びて、父を責め母に逼(せ)まる。
稍(や)や成長して朋友と相交わるに至れば、父は衣(きぬ)を索(もと)め帶(おび)を需(もと)め、母は髪を梳(くしけず)り、髻(もとどり)を摩(な)で、己(おの)が好美(このみ)の衣服は皆な子に與えて着せしめ、己れは則(すなわ)ち古き衣(きぬ)、弊(やぶ)れたる服(きもの)を纏(まと)う。
既に婦妻を索(もと)めて、他の女子を娶(めと)れば、父母(ふぼ)をば轉(うた)た疎遠して夫婦は特に親近し、私房の中(うち)に於て妻と共に語らい樂しむ。父母年高(ちちははとした)けて、氣老い力衰えぬれば、依(よ)る所の者は唯だ子のみ、頼む所の者は唯だ嫁のみ。然るに夫婦共に朝(あした)より暮(くれ)に至るまで、未だ肯(あえ)て一たびも来(きた)り問はず。或は父は母を先立て、母は父を先立てて獨(ひと)り空房を守り居るは、猶ほ孤客(こかく)の旅寓(りょぐう)に寄泊(きはく)するが如く、常に恩愛(おんあい)の情(じょう)なく復(ま)た談笑の娯(たのし)み無し。夜半、衾(ふすま)、冷(ひややか)にして五體(ごたい)安んぜず。況んや褥(しとね)に蚤虱(のみしらみ)多くして、暁(あかつき)に至るまで眠られざるをや、幾度(いくたび)か輾転反側(てんてんはんそく)して獨言(ひとりごと)すらく、噫(ああ)吾れ何の宿罪ありてか、斯(か)かる不孝の子を有(も)てるかと。事ありて、子を呼べば、目を瞋(いか)らして怒(いか)り罵(ののし)る。婦(よめ)も兒(こ)も之れを見て、共に罵り共に辱しめば、頭(こうべ)を垂れて笑いを含む。婦も亦た不孝、兒も亦た不順。夫婦和合して五逆罪を造る。或は復た急に事を辧(べん)ずることありて、疾(と)く呼びて命ぜむとすれば、十(と)たび喚(よ)びても九(ここの)たび違(たが)い、遂に来(きた)りきて給仕せず、却(かえ)りて怒(いか)り罵(ののし)りて云(いわ)く、「老い耄(ぼ)れて世に残るよりは早く死なんには如かずと。」父母(ちちはは)これを聞いて、怨念胸に塞(ふさ)がり、涕涙瞼(ているいまぶた)を衝(つ)きて、目瞑(めくら)み、心惑(こころまど)い、悲(かなし)み叫びて云く、「あゝ汝幼少の時、吾に非ざれば養われざりき、吾に非ざれば育てられざりき、而して今に至れば即ち却(かえ)りて是(かく)の如し。あゝ吾れ汝を生みしは本(もと)より無きに如かざりけり。」と。
若し子あり、父母(ちちはは)をして是(かく)の如き言(ことば)を発せしむれば、子は即ちその言と共に堕ちて地獄、餓鬼、畜生の中(うち)にあり。一切の如来、金剛天、五通仙も、これを救い護ること能わず。父母(ちちはは)の恩重きこと天の極まり無きが如し。
善男子善女人よ、別(わ)けて之れを説けば、父母(ちちはは)に十種の恩徳あり。何をか十種となす。
一には懐胎守護(かいたいしゅご)の恩
二には臨生受苦(りんしょうじゅく)の恩
三には生子忘憂(しょうしぼうゆう)の恩
四には乳哺養育(にゅうほよういく)の恩
五には廻乾就湿(えげんじゅしつ)の恩
六には洗灌不浄(せんかんふじょう)の恩
七には嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩
八には為造悪業(いぞうあくごう)の恩
九には遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩
十には究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩
父母(ちちはは)の恩重(おんおも)きこと天の極(きわ)まり無きが如し。善男子善女人よ、是(かく)の如きの恩徳(おんどく)、如何にして報(むくゆ)べき。
佛すなわち偈(げ)を以て讃じて宣わく、
悲母(ひも)、子を胎(はら)めば、十月の間に血を分け肉を頒(わか)ちて、身(み)重病(じゅうびょう)を感ず、子の身体これに由(よ)りて成就す。
月満ち時到れば、業風催促(ごっぷうさいそく)して、徧身疼痛(へんしんとうつう)し、骨節解体(こっせつかいたい)して、神心悩乱し、忽然(こつねん)として身を亡ぼす。
若(も)し夫(そ)れ平安になれば、猶ほ蘇生し来(きた)るが如く、子の声を発するを聞けば、己れも生れ出でたるが如し。
其の初めて生みし時には、母の顔(かんばせ)、花の如くなりしに、子を養うこと数年なれば、容(かたち)すなわち憔悴す。
水の如き霜の夜にも、氷の如き雪の暁(あかつき)にも、乾ける処に子を廻(まわ)し、濕(しめり)し処に己れ臥す。
子己(おの)が懐(ふところ)に屎(くそま)り、或は其の衣(きもの)に尿(いばり)するも、手(て)自ら洗い濯(そそ)ぎて、臭穢(しゅうえ)を厭(いと)うこと無し。
食味(しょくみ)を口に含みて、これを子に哺(ふく)むるにあたりては、苦(にが)き物は自から嚥(の)み、甘き物は吐きて与う。
若し夫(そ)れ子のために止むを得ざる事あれば、自(みずか)ら悪業(あくごう)を造りて、悪趣(あくしゅ)に堕(お)つることを甘んず。
若し子遠く行(ゆ)けば、帰りて其の面(おもて)を見るまで、出でても入りても之(これ)を憶(おも)い、寝ても寤(さ)めても之を憂(うれ)う。己(おの)れ生(しょう)ある間は、子の身に代らんことを念(おも)い、己れ死に去りて後(のち)には、子の身を護らんことを願う。是(かく)の如きの恩徳(おんどく)、如何にして報(むくゆ)べき。
然るに長じて人と成れば、声を抗(あ)げ気を怒(いか)らして、父の言(ことば)に順(したが)わず、母の言(ことば)に瞋(いか)りを含む。既にして婦妻を娶(めと)れば、父母(ちちはは)にそむき違うこと恩無き人の如く、兄弟を憎み嫌うこと怨(うらみ)ある者の如し。妻の親族訪(と)い来れば、堂に昇(のぼ)せて饗応し、室に入れて歓晤(かんご)す。嗚呼(ああ)、噫嗟(ああ)、衆生顛倒(しゅじょうてんどう)して、親しき者は却(かえ)りて疎(うと)み、疎き者は却りて親しむ。父母(ちちはは)の恩重(おんおも)きこと天の極まり無きが如し。
是の時、阿難(あなん)、座より起(た)ちて、偏(ひとえ)に右の肩を袒(はだ)ぬぎ、長跪合掌(ちょうきがっしょう)して、前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して云(もう)さく、「世尊よ、是(かく)の如き父母(ちちはは)の重恩(じゅうおん)を、我等出家の子(もの)は、如何にしてか報ずべき。具(つぶ)さに其の事を説示し給え。」と。
仏(ほとけ)、宣(のたま)わく。「汝等大衆(なんじらだいしゅう)よく聴けよ。孝養の一事(いちじ)は、在家出家の別あることなし。出でて時新(じしん)の甘果(かんか)を得(う)れば、将(も)ち帰り父母(ちちはは)に供養せよ。父母(ちちはは)これを得(え)て歓喜(かんぎ)し、自ら食(くら)うに忍びず、先ず之を三寶(さんぽう)に廻(めぐ)らし施せば、則ち菩提心を啓発せん。
父母病(ちちははやまい)あらば、牀辺(しょうへん)を離れず、親しく自ら看護せよ。一切の事、これを他人に委(ゆだ)ぬること勿(なか)れ。時を計り便を伺いて、懇(ねんご)ろに粥飯(しゅくはん)を勧めよ。親は子の勧むるを見て、強いて粥飯を喫し、子は親の喫するを見て、抂(ま)げて己(おの)が意(こころ)を強くす。親暫(おやしばら)く睡眠すれば、気を静めて息を聞き、睡(ねむり)覚むれば、医に問いて薬を進めよ。日夜に三寶に恭敬(くぎょう)して、親の病の癒(い)えんことを願い、常に報恩の心を懐(いだ)きて、片時(かたとき)も忘失(わす)るゝこと勿れ。」
是の時、阿難また問うて云く。「世尊よ、出家の子、能(よ)く是(かく)の如くせば、以って父母(ちちはは)の恩に報(むくゆ)ると為(な)すか。」
仏の宣わく。「否(いな)。未(いま)だ以て、父母(ちちはは)の恩に報ると為さざるなり。親、頑固(かたくな)にして三寶を奉ぜず、不仁(ふじん)にして物を残(そこな)い、不義にして物を盗み、無礼にして色に荒(すさ)み、不信にして人を欺き、不智にして酒に耽(ふけ)らば、子は当(まさ)に極諫(ごくかん)して、之れを啓悟(けいご)せしむべし。若し猶ほ闇(くら)くして未だ悟ること能(あた)わざれば、則ち為(ため)に譬(たとえ)を取り、類を引き、因果の道理を演説して、未来の苦患(くげん)を救うべし。若し猶ほ頑(かたくな)にして未だ改むること能わざれば、啼泣歔欷(ていきゅうきょき)して己が飲食(おんじき)を絶てよ。親、頑闇(かたくな)なりと雖(いえど)も、子の死なんことを懼(おそ)るるが故に、恩愛(おんない)の情に索(ひ)かれて、強忍(きょうにん)して道に向わん。
若(も)し親志(おやこころざし)を遷(うつ)して、佛の五戒を奉じ、仁ありて殺さず、義ありて盗まず、礼ありて婬(いん)せず、信ありて欺かず、智ありて酔わざれば、則ち家門の内、親は慈に、子は孝に、夫は正に、妻は貞(てい)に、親族和睦して、婢僕忠順(ひぼくちゅうじゅん)し、六畜蟲魚(ろくちくちゅうぎょ)まで普(あまね)く恩沢(おんたく)を被(こうむ)りて、十方の諸仏、天龍鬼神、有道(うどう)の君(きみ)、忠良の臣より、庶民万姓(ばんしょう)に至るまで、敬愛(きょうあい)せざるはなく、暴悪の主(しゅ)も、佞嬖(ねいへい)の輔(ほ)も、妖児兇婦(ようじきょうふ)も、千邪万怪(せんじゃばんかい)も、之れを如何ともすること無けん。是(ここ)に於て父母(ちちはは)、現(げん)には安穏に住し後(のち)には善処に生じ、仏を見、法を聞いて長く苦輪(くりん)を脱せん、かくの如くにして始めて父母(ちちはは)の恩に報(むくゆ)るものとなすなり。」
佛、更に説を重ねて宣(のたま)わく。「汝等大衆能く聴けよ。父母のために心力(しんりょく)を盡(つく)して、有らゆる佳味、美音、妙衣(みょうえ)、車駕(しゃが)、宮室(きゅうしつ)等を供養し、父母をして一生遊楽に飽かしむるとも、若し未だ三寶を信ぜざらしめば、猶ほ以て不孝と為す。如何んとなれば、仁心ありて施しを行い、礼式ありて身を検(ひきし)め、柔和にして恥を忍び、勉強して徳を進め、意を寂静(じゃくじょう)に潜(ひそ)め、志(こころざし)を学問に励ます者と雖も、一たび酒食に溺るれば、悪魔忽(あくまたちま)ち隙を伺い、妖魅(ようみ)則ち便(たより)を得て、財を惜しまず、情を蕩(とろ)かし、忿(いかり)を発(おこ)させ、怠(おこたり)を増させ、心を乱し、智を晦(くら)まして、行いを禽獣に等しくするに至ればなり。大衆(だいしゅう)よ古(いにしえ)より今に及ぶまで、之に由りて身を亡ぼし家を滅ぼし君を危くし、親を辱しめざるは無し。是の故に、沙門は独身(どくしん)にして耗(ぐう)なく、その志を情潔にして、唯だ道を是れ務む。子たる者は深く思い、遠く慮(おもんばか)りて、以て孝養の軽重緩急(けいじゅうかんきゅう)を知らざるべからざるなり。凡(およ)そ是等(これら)を父母(ちちはは)の恩に報(むくゆ)るの事となす。」
是のとき阿難、涙を払いつつ座より起ち長跪合掌して前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、「世尊よ、此の経は当(まさ)に何と名づくべき。又如何にしてか奉持(ぶじ)すべきか」と。
仏、阿難に告げ給わく。「阿難よ、此の経は父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)と名づくべし。若し一切衆生ありて、一たび此の経を読誦(どくじゅ)せば、則ち以て乳哺(にゅうほ)の恩に報(むくゆ)るに足らん。若し一心に此の経を持念し、又人をして之を持念せしむれば、当(まさ)に知るべし、是の人は、能(よ)く父母の恩に報(むくゆ)ることを。一生に有らゆる十悪五逆無間(じゅうあくごぎゃくむげん)の重罪も、皆な消滅して、無上道を得ん」と。
是の時、梵天帝釈(ぼんてんたいしゃく)諸天の人民(しょてんのにんみん)一切の集会(いっさいのしゅうえ)、此の説法を聞いて、悉(ことごと)く菩提心を発(おこ)し、五体地に投じて涕涙(ているい)、雨の如く。進みて佛足(ぶっそく)を頂礼(ちょうらい)し、退(しりぞ)きて各々歓喜奉行(おのおのかんぎぶぎょう)したりき。
父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)
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感恩の歌 竹内浦次作
あはれはらから心せよ山より高き父の恩
海より深き母の恩知るこそ道のはじめなれ
児(こ)を守(も)る母のまめやかに
わが懐中(ふところ)を寝床(ねどこ)とし
かよわき腕をまくらとし骨身を削るあはれさよ
美しかりし若妻も幼児(おさなご)一人そだつれば
花のかんばせいつしかに衰へ行くこそかなしけれ
身を切る如き雪の夜も骨さす霜のあかつきも
乾けるところに子を廻しぬれたるところに己れ伏す
幼きもののがんぜなく懐中(ふところ)汚し背をぬらす
不浄をいとふ色もなく洗ふも日々に幾度ぞや
己れは寒さに凍えつつ着たるを脱ぎて子を包み
甘きは吐きて子に与え苦きは自ら食(くら)ふなり
幼児(おさなご)乳をふくむこと百八十斛(ももやそこく)を超すとかや
まことに父母の恵(ふぼのめぐみ)こそ天の極り無きが如し
父母(ふぼ)は我が子の為ならば悪業(あっごう)つくり罪かさね
よしや悪趣に落つるとも少しの悔(くひ)もなきぞかし
若し子遠く行くあらば帰りてその面(かほ)見るまでは
出(いで)ても入りても子を憶(おも)ひ寝ても覚めても子を念(おも)ふ
髪くしけづり顔ぬぐひ衣を求め帯を買い
美しきは皆子に与へ父母(ふぼ)は古きを選むなり
己れ生あるその内は子の身に代わらんことを思ひ
己れ死に行くその後は子の身を守らんことを願ふ
よる年波の重なりていつか頭(かうべ)の霜白く
衰へませる父母(ちちはは)を仰げば落つる涙かな
あゝありがたき父の恩子はいかにして酬(むく)ゆべき
あゝありがたき母の恩子はいかにして報ずべき
報恩の歌
あはれ地上に数知らぬ衆生(しゆじやう)の中にただひとり
父とかしづき母と呼ぶ貴(とうと)きえにし伏し拝み
起(た)てよ人の子いざ起ちて浮世の風にたたかれし
余命少なきふた親の弱れる心慰めよ
さりとも見えぬ父母の夜半(やはん)の寝顔仰ぐとき
見まがふ程の衰へに驚き泣かぬものぞなき
樹しづまらんと欲すれど風の止まぬを如何にせん
子養(こやしな)はんとねがへども親在(おやおは)さぬぞあはれなる
逝(ゆ)きにし慈父(ちち)の墓石を涙ながらに拭いつゝ
父よ父よと叫べども答へまさぬぞ果敢(はか)なけれ
あゝ母上よ子を遺(お)きていづこに一人逝(ゆ)きますと
胸かきむしり嘆けども帰りまさぬぞ悲しけれ
父死に給ふその臨終(きは)に泣きて念ずる声あらば
生きませる時なぐさめの言葉かはして微笑(ほほえ)めよ
母息絶ゆるその臨終に泣きて合掌(おろが)む手のあらば
生きませる時肩にあて誠心(まごころ)こめてもみまつれ
実(げ)に古くして新しき道は報恩のをしへなり
孝は百行(ひゃくぎょう)の根本(もと)にして信への道の正門ぞ
世の若人よとく往(ゆ)きて父母(ぶも)の御前(みまえ)に跪拝(ひざま)づけ
世の乙女子(をとめご)よいざ起(た)ちて父母(ぶも)の慈光(ひかり)を仰げかし
老いて後思い知るこそ悲しけれこの世にあらぬ親の恵みに
合掌
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あとがき 法相宗管長薬師寺住職高田好胤
私は常づね、父母恩重経を一人でも多くの人々に読んで頂きたいと願っています。しかし、佛壇店をたずねても般若心経、阿弥陀経、観音経等の経本は必ずおかれていますが、父母恩重経をおいて下さっているお店はまだまだ少ないようです。そこでお佛壇を扱っておられる方々にお会いするたびに、温かい世づくりのお手伝いの為にぜひ父母恩重経もそろえてもらいたい旨お願いをし続けてきました。今回(昭和58年)、全日本宗教用具協同組合で父母恩重経を刊行され、それを各佛壇店において下さる由、大変有難い事だと喜んでいます。
私は結婚式に招かれた時、必ず父母恩重経をお持ちして、新婚のお2人に差上げ、新婚旅行の道中、2人で心を合わせ、声を揃えて読んできてほしい。そして帰ってからは座右の書の1冊に加えてもらいたいとお願いしています。皆さんお読みになってきて下さるようで、新婚旅行の旅先から情景描写などをまじえてのお礼状を頂きます。中には「こんなお経を読まされたばっかりに楽しかるべき新婚旅行が涙の旅行になってしまいました」と恨み状めいたものを手にする事もあります。けれども私は「よかったなあ」と喜びの気持ちで読ませてもらっています。親の恩の尊さを身近に説いたこのお経を、新婚の夫婦がいっしょに読んで催してくれるその涙は、人の心の中にその本質としてだれもが授かっているやさしさ、温かさに目ざめてもらったあらわれの涙であることがとてもうれしいのです。ですから、どのお礼状も最後には「この涙は2人が生涯忘れてはならない大切な涙であると思いました」といった意味の言葉で結ばれているのが常です。こうしたお礼状を頂くたびに、新しい人生の門出を父母恩重経でお手伝いする事のできた満足感が私の胸を潤してくれます。
ところでこのお経において親の苦労の具体的な姿は殆どが母の姿で説かれています。お釈迦様のお母さま、摩耶夫人(まやぷにん)はお釈迦さまをお産みになって7日後に亡くなっておられます。大変な難産だったのです。そのせいか、父母恩重経の中に子供を産むときの母親は命がけである事を所をかえて2度も説かれています。これはお釈迦様80年のご生涯を通じてのご実感であったと思います。こうしたご自分の命とひきかえに魂と肉体をこの世に生み出して下さったお母さまに何一つして差上げる事ができなかったお釈迦様のお気持ちが、お母さまに傾きっぱなしのままでこのお経が説かれている所以であると拝察されます。同時にこのようにお釈迦さまがお母さまをお慕い続けられた飾り気のないおやさしいお気持ちがその底に流れているところに読む人の心を打つ所以(ゆえん)があるのだと思います。先年、父母恩重経を講義し、一冊にまとめて出版した本の題を「母」(徳間書店刊)とした理由もここにあります。
諸人(もろびと)よ思い知れかし己(おの)が身の
誕生の日は母苦難(ははくなん)の日
これはよみ人しらずのお歌ですが、まさに父母恩重経の精神(こころ)さながらの一首であります。(水戸黄門光圀公作首:豊岳正彦補記)
私は両親の命日と自分の誕生日に父母恩重経を読誦(どくじゅ)しております。毎年3月23日、母の祥月命日には6つ年上の姉と位牌を前に読誦致します。やはり姉の方が早く声をつまらせてしまいます。するとそれにつりこまれて私も胸に熱いものがこみ上げてきて、最後は共にとぎれとぎれに読み終えるのがやっとです。はらからの情愛に心潤さずにおかないのがこのお経であります。また、「父母恩重経は私にとって、生前親不孝を重ねた懺悔(さんげ)のお経であります」とおっしゃられる方もおられます。どうか皆さん方もご両親在(りょうしんおわ)しまさぬ場合、ご命日に兄弟姉妹(ごきょうだい)でこのお経を読誦して頂きたい、そしてはらからの情愛に心潤され合(お)うて頂きたいと思います。幸いご両親ご健在の方は自分の誕生日に読誦して、人の心の初心にかえる感動の涙に心洗われて頂きたいと思います。
「大孝(だいこう)は終身父母を慕う。」(命ある限りいついつ迄も両親を慕い続ける事、それは真(まこと)の親孝行である)これは中国の思想家、孟子さまのお言葉です。孔子さまも孝経の中で、「孝は徳の本(もと)なり。教への由(よ)って生ずる所なり(親孝行はすべての道徳の源であり、これなくして教育は成り立たない)」と教えて下さっています。孝謙天皇の天平宝字元年(西紀757年)、天皇は各家庭に孝経をおいて読むようにとの勅を発しておられます。以来、明治に至る迄、孝経は国民必読の書でありました。私共が子供の頃はまだ孝経や論語の教えが学校で教えられていました。それによって東洋的な無我と智恵、そして日本人のあたたかな宗教的情操の涵養(かんよう)が学校教育の場でいただくことができていました。けれどもこれが涵養は学校教育の場から追放されているが如きが今日の現状です。青少年非行化をふくめて各種もろもろの問題の大きな原因がこのあたりにあることに気づいてほしいものです。それであるだけにどうか家族揃って父母恩重経を読誦していただき、はらからの情愛に心潤され合うていただきたい。また人の心の初心に帰った感動の涙に心洗われていただきたいとひたすらに願いつつ、全日本宗教用具協同組合で父母恩重経を刊行され、広く世にひろめていただく事に諸手(もろて)をあげて賛意を表します。
また、このお経のお話を申上げるときよく、「このお経が感恩・報恩の歌のお経ですか」とのおたずねを受けます。
そうですこのお経がまさしく感恩・報恩の歌のお経なのです。この感恩の歌、報恩の歌は修養団の講師であり、また青少年の健全なる育成に生涯をささげ、昭和57年3月23日に96歳の天寿を全うされた竹内浦次翁の作になるものです。翁がさる年慈愛深き御尊母がみまかられませし時に悲哭(ひこく)の思ひを父母恩重経に託しておつくりになりましたのがこの歌です。
旧制師範学校などで愛唱され、その訓導を受けたひとびとに語りつがれています。どうかみなさまがたこの歌を黙読だけではなく声に出して朗読また御唱和をなさっていただき、潤はしい情操の養いの糧資を得ていただくことをお願いいたします。合掌
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この父母恩重経は永田文昌堂のご好意により同社編集部編纂の和訓を引用させていただきました。
昭和58年6月27日発行平成19年4月1日印刷
発行者全日本宗教用具協同組合
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父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう)臨済宗聖典
仏のたまわく、大地の土の多きが如く、この世に生をうくるもの多けれど、中にも人間と生るるは爪の上の土の如く稀なり。この故に人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。父にあらざれば生まれず、母にあらざれば育てられず。子の心身(しんじん)は父母にうく。この因縁の故に父母の子を思うこと、世間に比ぶべきものあることなし。
母、胎児をみごもりしより、十月の間、血をわけ肉をわかちて子の身体をつくる。身に重き病を患うが如く、起き伏し、もろもろの苦しみをうくれば、常に好める飲食衣服(おんじきえふく)をうるも愛欲の心を生ぜず。ただ一心に安産せんことを思う。月みち日たりて出産のとき至れば、陣痛しきりに起りてこれを促し、骨節(ほねふし)ことごとく痛み、あぶら汗しきりに流れて、その苦しみたえがたく、これがため忽然(こつねん)として母の身を亡ぼすことあり。父もおののき怖れ、母と子とを思い悩む。もし子安らけく産れいずれば、父母(ぶも)の喜び限りなく、その子、声を発すれば、母も初めてこの世に生れいでたるが如し。
もし子、遠くにゆけば帰りてその顔を見るまで出でても入りてもこれを思い、寝てもさめてもこれを思う。子病み悩める時は子に代らんことを思い、死して後も子の行末を護らんことを誓う。
花の如き母も、若さに光る父も、寄る年波の重なりて、いつか頭(こうべ)に霜をおき、衰え給うぞ涙かな。
もろ人あきらかに聞け。孝養のことは在家出家の別あることなし。或は言う。親は己(おのれ)の好みにて子を生めば、子は親に孝養のつとめなしとかや。されど、こは人の道に反くものぞ。真(まこと)の親は子について報謝を求めず、自らの功を誇らぬものなれど、子はひたすらに孝養をつとむべし。
汝ら大衆(だいしゅう)よく聴け。父母の為に心をつくし、美味なる飲食、麗わしき衣服、心地よき車、結構なる住居(すまい)等を供養し、一生安楽ならしむるとも、もし父母いまだ三宝に帰依せず因果の理(ことわり)を信ぜずば、なお真(まこと)の孝養いたるとせず。もし父母、かたくなにして仏の教えを奉ぜずば、子は時に応じ機に随い、たとえをとり類をひき、因果の道理を説ききかせ、未来の苦しみを救うべし。父母は恩愛の情にひかれてやがて仏の道に向わん。即ち生きものを殺さず盗みせず、男女の道を過(あやま)たず、うそ偽りをいわず、心迷わざれば、家の内、親は慈しみ、子は孝に、夫は正しく妻は貞に、親族睦まじく家人順い、畜類虫魚までも普(あまね)く恵みを蒙(こうむ)り、家栄え国和やかに、十方の諸菩薩天龍鬼神大衆(じっぽうのしょぼさつてんりゅうきじんだいしゅう)までこれを敬愛(きょうあい)せざるなし。暴悪の主も不良の徒も、千萬(せんばん)の悪魔もこれを如何ともすることなけん。こゝにおいて父母現世(ふぼげんぜ)には安穏に住し、後世(ごぜ)には善処に生じ、仏を見、法を聞きて長く苦しみを脱せん。かくの如くにして始めて父母の恩に報ずるものとなす。
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産める子に踏まれ蹴られど母ごころ
わが身消ゆれど子をば守らむ
垂乳根(たらちね)の白き媼母(おんも)の独り寝(ぬ)る
寝音(ねおと)に暁(あけ)の待ち遠しけれ
雲居杣人正顔
南無父母無二佛
南無大日不動薬師如来
南無阿弥陀佛
南無釈迦牟尼佛
南無三宝
拈華微笑 合掌
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『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』
hougakumasahiko.muragon.com/entry/6.html
昭和31年10月1日初版
福岡県八幡市上本町敬行寺
大沼法龍導師様著述編集
浄土真宗【宗祖七百回忌記念聖典】
252頁55「仏説父母恩重経」
291頁61「マッカーサー元帥へ」及
292頁62「A級戦犯者へ法話」を全文転記する。
発行者大沼善龍
印刷所愛知県豊橋市西八町(市役所前)藤田印刷所
55佛説父母恩重經(ぶっせつふぼおんじゅうきょう)
是(か)くの如(ごと)く我(わ)れ聞(き)けり。ある時、佛(ほとけ)、王舎城(おうしゃじょう)の耆闍崛山中(ぎじゃくつせんちゅう)に菩薩声聞(ぼさつしょうもん)の衆(しゅう)と倶(とも)にましましければ、比丘比丘尼(びくびくに)、優婆塞優婆夷(うばそくうばい)一切諸天の人民及び龍鬼神等(いっさいしょてんのにんみんおよびりゅうきじんとう)、法(ほう)を聞(き)かんとて、来(き)たり集(あつ)まり、一心(いっしん)に寶座(ほうざ)を囲繞(いにょう)して、瞬(またた)きもせで尊顔(そんがん)を仰(あお)ぎ瞻(み)たりき。
是(こ)の時、佛(ほとけ)、すなわち法(ほう)を説(と)いて宣(のたま)わく、一切(いっさい)の善男子善女人(ぜんなんしぜんにょにん)よ、父(ちち)に慈恩(じおん)あり、母(はは)に悲恩(ひおん)あり。そのゆえは、人(ひと)の此(こ)の世(よ)に生(う)まるゝは、宿業(しゅくごう)を因(いん)として、父母(ちちはは)を縁(えん)とせり。父(ちち)にあらされば生(しょう)ぜず、母(はは)にあらざれば育(そだ)てられず。ここを以(もっ)て氣(き)を父(ちち)の胤(たね)に稟(う)けて形(かたち)を母(はは)の胎(たい)に托(たく)す。此(こ)の因縁(いんねん)を以(もっ)ての故(ゆえ)に、悲母(ひぼ)の子を念(おも)うこと世間(せけん)に比(たぐ)いあること無(な)く、その恩(おん)未形(みぎょう)に及(およ)べり。始(はじ)め胎(たい)に受(う)けしより、十月(とつき)を經(ふ)るの間(あいだ)、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)ともに、もろもろの苦惱(くのう)を受(う)く。苦惱(くのう)休(や)む時無(ときな)きが故(ゆえ)に、常(つね)に好(この)める飲食衣服(おんじきえぶく)を得(う)るも、愛欲(あいよく)の念(ねん)を生(しょう)ぜず、唯(た)だ一心(いっしん)に安(やす)く生産(しょうさん)せんことを思(おも)う。月滿(つきみ)ち日足(ひた)りて、生産(しょうさん)の時(とき)至(いた)れば、業風(ごうふう)吹(ふ)きて、之(こ)れを促(うなが)し、骨節(こっせつ)ことごとく痛(いた)み、汗膏(あせあぶら)ともに流(なが)れて、其(そ)の苦(くるし)み堪(た)えがたし。父(ちち)も心身(しんしん)戦(おのの)き怖(おそ)れて母(はは)と子とを憂念(ゆうねん)し、諸親眷属皆(しょしんけんぞくみ)な悉(ことごと)く苦惱(くのう)す。既(すで)に生(う)まれて草上(そうじょう)に墮(お)つれば、父母(ふぼ)の喜(よろこ)び限(かぎ)りなきこと、猶(な)ほ貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいしゅ)を得(え)たるがごとし。その子(こ)聲(こえ)を發(はっ)すれば、母(はは)も初(はじ)めて此(こ)の世(よ)に生(う)まれ出(い)でたるが如(ごと)し。爾來(それより)母(はは)の懐(ふところ)を寝處(ねどこ)となし、母(はは)の膝(ひざ)を遊(あそ)び場(ば)となし、母(はは)の乳(ちち)を食物(しょくもつ)となし、母(はは)の情(なさけ)を性命(いのち)となす。飢(う)える時(とき)、食(しょく)を需(もと)むるに母(はは)にあらざれば哺(くら)わず。渇(かわ)く時(とき)、飲(のみもの)を索(もと)むるに、母(はは)にあらざれば嚥(の)まず。寒(さむ)き時(とき)、服(きもの)を加(くわ)うるに、母(はは)にあらざれば着(き)ず、暑(あつ)き時(とき)、衣(きもの)を撒(さ)るに、母(はは)にあらざれば脱(ぬ)がず。母飢(ははうえ)に中(あた)る時(とき)も、哺(ふく)めるを吐(は)きて子(こ)に[口臽](くら)はしめ、母寒(ははさむ)きに苦(くる)しむ時(とき)も、着(き)たるを脱(ぬ)ぎて子(こ)に被(かぶ)らす。母(はは)にあらざれば養(やしな)われず、母(はは)にあらざれば育(そだ)てられず。その闌車(らんしゃ)を離(はな)るるに及(およ)べば、十指(じっし)の甲中(つめのなか)に、子(こ)の不浄(ふじょう)を食(くら)う。計(はか)るに、人々(ひとびと)母の乳(ちち)を飲(の)むこと、一百八十斛(いっぴゃくはちじゅっこく)となす。
父母(ちちはは)の恩重(おんおも)きこと天(てん)の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
母(はは)、東西(とうざい)の隣里(りんり)に傭(やと)われて、或(あるい)は水汲(みずく)み、或(あるい)は火燒(ひた)き、或(あるい)は碓(うす)つき、或(あるい)は磨挽(うすひ)き、種々(しゅじゅ)の事(こと)に服従(ふくじゅう)して、家(いえ)に還(かえ)るの時(とき)未(いま)だ至(いた)らざるに、今(いま)や吾が兒(わがこ)吾が家(わがいえ)に啼(な)き哭(いさ)ちて、吾(われ)を戀ひ慕(こひした)はんと思い起(おこ)せば、胸悸(むなさわ)ぎ心驚(こころおどろ)き、両乳(りょうにゅう)流れ出(い)でて、忍び堪(た)ゆること能(あた)わず、乃(すなわ)ち去(さ)りて家に還(かえ)る。兒(こ)遙(はるか)に母の来(く)るを見て、闌車(らんしゃ)の中(なか)に在(あ)れば、即(すなわ)ち頭(あたま)を揺(うご)かし腦(なづき)を弄(ろう)し、外(ほか)に在(あ)れば即(すなわ)ち葡匐(はらばい)して出(い)で來(きた)り、嗚呼(そらなき)して母に向(むか)う。母は子の爲(ため)に足を早(はや)め身を曲(ま)げ、長く兩手(りょうて)を舒(の)べて塵土(ちりつち)を拂(はら)い、吾(わ)が口(くち)を子の口(くち)に接(つ)けつつ、乳(ちち)を出(い)だして之(これ)を飲(の)ましむ。是(こ)の時、母は子を見て歡(よろこ)び、兒(こ)は母を見て喜(よろこ)び、兩情一致(りょうじょういっち)、恩愛(おんあい)の洽(あまね)きこと、復(ま)た此(こ)れに過(す)ぐるものなし。
二歳(にさい)、懐(ふところ)を離(はな)れて始(はじ)めて行(ゆ)く。父に非(あら)ざれば、火の身を焼くことを知らず。母に非(あら)ざれば、刀(はもの)の指(ゆび)を墮(おと)すことを知らず。三歳(さんさい)、乳(ちち)を離(はな)れて始(はじ)めて食(くら)う。父に非(あら)ざれば、毒(どく)の命(いのち)を殞(おと)すことを知らず。母に非(あら)ざれば、薬(くすり)の病(やまい)を救(すく)うことを知らず。
父母(ちちはは)外(そと)に出(い)でて他(た)の座席(ざせき)に往(ゆ)き、美味珍羞(びみちんしゅう)を得(う)ることあれば、自(みずか)ら之(これ)を喫(くら)うに忍(しの)びず、懐(ふところ)に収(おさ)めて持(も)ち歸(かえ)り、喚(よ)び来(きた)りて子(こ)に與(あた)う。十(と)たび還(かえ)れば九(く)たびまで得(う)。得(う)れば即(すなわ)ち常(つね)に歡喜(かんき)して、かつ笑(わら)いかつ食(くら)う。もし過(あやま)りて一(ひと)たび得(え)ざれば、則(すなわ)ち矯(いつ)わり泣(な)き、佯(いつ)わり哭(さけ)びて、父を責(せ)め母に逼(せ)まる。稍(や)や成長(せいちょう)して朋友(ほうゆう)と相交(あいまじ)わるに至(いた)れば、父は衣(きぬ)を索(もと)め帶(おび)を需(もと)め、母は髪(かみ)を梳(くしけず)り、髻(もとどり)を摩(な)で、己(おの)が好美(このみ)の衣服(えぶく)は皆(み)な子に與(あた)えて着(き)せしめ、己(おの)れは則(すなわ)ち古(ふる)き衣(きぬ)、弊(やぶ)れたる服(きもの)を纏(まと)う。
既(すで)に婦妻(ふさい)を索(もと)めて、他(た)の女子(じょし)を娶(めと)れば、父母(ふぼ)をば轉(うた)た疎遠(そえん)して夫婦は特(とく)に親近(しんきん)し、私房(しぼう)の中(うち)に於(おい)て妻(つま)と共(とも)に語(かた)らい樂(たの)しむ。
父母(ちちはは)年高(とした)けて、氣老(きを)い力衰(ちからおとろ)えぬれば、倚(よ)る所(ところ)の者(もの)は唯(た)だ子のみ、頼(たの)む所(ところ)の者(もの)は唯(た)だ婦(よめ)のみ。しかるに夫婦共(ふうふとも)に朝(あした)より暮(くれ)に至(いた)るまで、未(いま)だ肯(あえ)て一(ひと)たびも来(きた)り問(と)はず。
或(あるひ)は父は母を先立(さきだ)て、母は父を先立(さきだ)てて獨(ひと)り空房(くうぼう)を守(まも)り居(お)るは、猶(な)ほ孤客(こかく)の旅寓(りょぐう)に寄泊(きはく)するが如(ごと)く、常(つね)に恩愛(おんあい)の情(じょう)なく復(ま)た談笑(だんしょう)の娯(たのし)み無(な)し。夜半衾冷(やはんふすまひややか)にして五體安(ごたいやす)んぜず。況(いわ)んや褥(しとね)に蚤虱多(のみしらみおほ)くして、暁(あかつき)に至(いた)るまで眠(ねむ)られざるをや。幾度(いくたび)か輾転反側(てんてんはんそく)して獨言(ひとりごと)すらく、噫吾(ああわ)れ何の宿罪(しゅくざい)ありてか、斯(か)かる不孝(ふこう)の子を有(も)てるかと。
事(こと)ありて、子を呼(よ)べば、目を瞋(いか)らして怒(いか)り罵(ののし)る。婦(よめ)も兒(こ)も之(こ)れを見(み)て、共(とも)に罵(ののし)り共に辱(はずか)しめば、頭(こうべ)を垂(た)れて笑(わら)いを含(ふく)む。婦(よめ)も亦不孝(またふこう)、兒(こ)も亦不順(またふじゅん)。夫婦和合(ふうふわごう)して五逆罪(ごぎゃくざい)を造(つく)る。
或(あるい)は復(ま)た急(きゅう)に事(こと)を辧(べん)ずることありて、疾(と)く呼(よ)びて命(めい)ぜむとすれば、十(と)たび喚(よ)びて九(く)たび違(たが)い、遂(つひ)に来(きた)りて給仕(きゅうじ)せず、却(かえ)りて怒(いか)り罵(ののし)りて云(い)わく、老(を)い耄(ぼ)れて世に残(のこ)るよりは早く死なんには如(し)かずと。父母(ちちはは)これを聞(き)いて、怨念胸(おんねんむね)に塞(ふさ)がり、涕涙瞼(ているいまぶた)を衝(つ)きて、目瞑(めくら)み、心惑(こころまど)い、悲(かなし)み叫(さけ)びていわく、噫汝幼少(あゝなんじようしょう)の時、吾(われ)に非(あら)ざれば養(やしな)われざりき、吾(われ)に非(あら)ざれば育(そだ)てられざりき。而(しか)して今に至(いた)れば即(すなわ)ち却(かえ)りて是(かく)の如(ごと)し。噫吾(あゝわ)れ汝(なんじ)を生(う)みしは本(もと)より無(な)きに如(し)かざりけりと。
若(も)し子あり、父母(ちちはは)をして是(かく)の如(ごと)き言(ことば)を発(はっ)せしむれば、子は即(すなわ)ちその言(ことば)と共に、堕(お)ちて地獄餓鬼畜生(ぢごくがきちくしょう)の中(うち)にあり。一切(いっさい)の如来金剛天五通仙(にょらいこんごうてんごつうせん)も、これを救(すく)い護(まも)ること能(あた)わず。父母(ちちはは)の恩重(おんおも)きこと天(てん)の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
善男子善女人(ぜんなんしぜんにょにん)よ、別(わ)けて之(こ)れを説(と)けば、父母(ちちはは)に十種(じっしゅ)の恩徳(おんどく)あり。何(なに)をか十種(じっしゅ)となす。
一には懐胎守護(かいたいしゅご)の恩
二には臨生受苦(りんしょうじゅく)の恩
三には生子忘憂(しょうしぼうゆう)の恩
四には乳哺養育(にゅうほよういく)の恩
五には廻乾就湿(えげんじゅしつ)の恩
六には洗灌不浄(せんかんふじょう)の恩
七には嚥苦吐甘(えんくとかん)の恩
八には為造悪業(いぞうあくごう)の恩
九には遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩
十には究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩
父母(ちちはは)の恩重(おんおも)きこと天(てん)の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
善男子善女人(ぜんなんしぜんにょにん)、かくの如(ごと)きの恩徳(おんどく)、如何(いか)にして報(むくゆ)べき。佛(ほとけ)、すなわち偈(げ)を以(もっ)て讃(さん)して宣(のたま)わく、
悲母(ひぼ)、子を胎(はら)めば、十月(とつき)の間(あいだ)に血(ち)を分(わ)け肉(にく)を頒(わか)ちて、身(み)、重病(じゅうびょう)を感(かん)ず。子の身体(しんたい)之(これ)に由(よ)りて成就(じょうじゅ)す。
月(つき)満(み)ち時(とき)到(いた)れば、業風催促(ごうふうさいそく)して、徧身疼痛(へんしんとうつう)し、骨節解体(こっせつかいたい)して、神心悩乱(しんしんのうらん)し、忽然(こつねん)として身(み)を亡(ほろ)ぼす。
若(も)し夫(そ)れ平安(へいあん)になれば、猶(な)お蘇生(そせい)し来(きた)るが如(ごと)く、子の声を発(はっ)するを聞けば、己(おの)れも生(うま)れ出(い)でたるが如(ごと)し。
其(そ)の初(はじ)めて生(う)みし時には、母の顔(かんばせ)花(はな)の如(ごと)くなりしに、子を養(やしな)うこと数年なれば容(かたち)すなわち憔悴(しょうすい)す。
水の如(ごと)き霜(しも)の夜(よ)にも、氷(こほり)の如(ごと)き雪(ゆき)の暁(あかつき)にも、乾(かわ)ける処(ところ)に子(こ)を廻(ま)わし、濕(うるお)える処(ところ)に己(おの)れ臥(ふ)す。
子(こ)、己(おの)が懐(ふところ)に屎(くそま)り或(あるい)は其(そ)の衣(ころも)に尿(いばり)するも、手自(てみずか)ら洗(あら)い濯(そそ)ぎて、臭穢(しゅうえ)を厭(いと)うこと無(な)し。
食味(しょくみ)を口に含(ふく)みて、これを子に哺(ふく)むるにあたりては、苦(にが)き物(もの)は自(みず)から嚥(の)み、甘(あま)き物(もの)は吐(は)きて与(あた)う。
若(も)し夫(そ)れ子のために止(や)むを得(え)ざる事あれば、自(みずか)ら悪業(あくごう)を造(つく)りて、悪趣(あくしゅ)に堕(お)つることを甘(あま)んず。
若(も)し子遠く行(ゆ)けば、帰りて其(そ)の面(おもて)を見るまで、出(い)でても入(い)りても之(これ)を憶(おも)い、寝ても寤(さ)めても之(これ)を憂(うれ)う。
己(おの)れ生(しょう)ある間(あいだ)は、子の身に代(かわ)らんことを念(おも)い、己(おの)れ死に去(さ)りて後(のち)には、子の身を護(まも)らんことを願(ねが)う。
是(かく)の如(ごと)きの恩徳(おんどく)、如何(いか)にして報(ほう)ずべき。
然(しか)るに長(ちょう)じて人(ひと)と成(な)れば、声を抗(あ)げ気を怒(いか)らして、父の言(げん)に順(したが)わず、母の言(げん)に瞋(いか)りを含(ふく)む。既(すで)にして婦妻(ふさい)を娶(めと)れば、父(ちち)母(はは)に乖(そむ)き違(たが)うこと恩無(な)き人(ひと)の如(ごと)く、兄弟(きょうだい)を憎(にく)み嫌(きら)うこと怨(うら)みある者の如(ごと)し。妻(つま)の族(ぞく)来(きた)りぬれば、堂(どう)に昇(のぼ)せて饗応(きょうおう)し、室(しつ)に入(い)れて歓晤(かんご)す。嗚呼噫嗟(ああああ)、衆生顛倒(しゅじょうてんどう)して、親(した)しき者は却(かえ)りて疎(うと)み、疎(うと)き者は却(かえ)りて親(したし)む。
父母(ちちはは)の恩重(おんおも)きこと天の極(きわ)まり無(な)きが如(ごと)し。
是(こ)の時、阿難(あなん)、座(ざ)より起(た)ちて、偏(ひとえ)に右(みぎ)の肩(かた)を袒(はだぬ)ぎ、長跪合掌(ちょうきがっしょう)して、前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、世尊(せそん)、是(かく)の如(ごと)き父母(ちちはは)の重恩(じゅうおん)を、我等出家(われらしゅっけ)の子(もの)は、如何(いか)にしてか報(ほう)ずべき。具(つぶ)さに其(その)事(こと)を説示(せつじ)し給(たま)えと。
仏(ほとけ)宣(のたま)わく、汝等大衆(なんじらだいしゅ)、よく聴(き)け。孝養(こうよう)の一事(いちじ)は、在家出家(ざいけしゅっけ)の別(べつ)ある事(こと)なし。出(い)でし時(とき)新(しん)の甘果(かんか)を得(う)れば、将(も)ち去(さ)りて父母(ちちはは)に供養(くよう)せよ。父(ちち)母(はは)之(これ)を得(え)て歓喜(かんぎ)し、自(みずか)ら食(くら)うに忍びず、先(まず)之(これ)を三宝(さんぽう)に廻(めぐ)らし施(ほどこ)せば、則(すなわ)ち菩提心(ぼだいしん)を啓発(けいはつ)せん。
父母病(ちちははやまい)あらば、牀辺(しょうへん)を離(はな)れず、親(した)しく自(みずか)ら看護(かんご)せよ、一切(いっさい)の事(こと)之(こ)れを他人(たにん)に委(ゆだ)ぬること勿(なか)れ。時(とき)を計(はか)り便(べん)を伺(うかが)い、懇(ねんごろ)に粥飯(しゅくはん)を勧(すす)めよ。親は子の勧(すす)むるを見て、強(し)いて粥飯(しゅくはん)を喫(きっ)し、子は親の喫(きっ)するを見て、抂(ま)げて己(おの)が意(こころ)を強(つよ)くす。親暫(おやしばら)く睡眠(すいみん)すれば、気(き)を静(しず)めて息(いき)を聞き睡(ねむり)覚(さ)むれば、医(い)に問(と)いて薬(くすり)を進(すす)めよ。日夜(にちや)に三宝(さんぽう)に恭敬(くぎょう)して、親の病(おやのやまい)の癒(い)えんことを願い、常に報恩の心(ほうおんのこころ)を懐(いだ)きて、片時(かたとき)も忘失(わす)るゝこと勿(なか)れ。
是(こ)の時、阿難(あなん)また問(と)いていわく、世尊(せそん)、出家(しゅっけ)の子(こ)能(よ)く是(かく)の如(ごと)くせば、以(もっ)て父母(ちちはは)の恩に報(ほう)ずと為(な)す乎(か)。
仏(ほとけ)、宣(のたま)わく、否(いな)、未(いま)だ以(もっ)て、父母(ちちはは)の恩(おん)に報(ほう)ずと為(な)さざるなり。親(おや)、頑固(かたくな)にして三宝(さんぽう)を奉(ほう)ぜず、不仁(ふじん)にして物(もの)を残(そこな)い、不義(ふぎ)にして物(もの)を盗(ぬす)み、無礼(ぶれい)にして色に荒(いろにすさ)み、不信(ふしん)にして人を欺(ひとをあざむ)き、不智(ふち)にして酒に耽(さけにふけ)らば、子は当(まさ)に極諫(ごくかん)して、之(これ)を啓悟(けいご)せしむべし。若(も)し猶闇(なおくら)くして未(いま)だ悟(さと)ること能(あた)わざれば、則(すなわ)ち為(た)めに譬(たとえ)を取(と)り類(るい)を引(ひ)き、因果(いんが)の道理(どうり)を演説(えんぜつ)して、未来(みらい)の苦患(くげん)を救(すく)うべし。若(も)し猶頑(なおかたくな)にして未(いま)だ改(あらた)むること能(あた)わざれば、啼泣歔欷(ていきゅうきょき)して己が飲食を絶(おのがおんじきをた)てよ。親、頑闇(かたくな)なりと雖(いえど)も、子の死なんことを懼(おそ)るるが故(ゆえ)に、恩愛の情(じょう)に索(ひ)かれて、強忍(きょうにん)して道(みち)に向(むか)わん。
若(も)し親志(おやこころざし)を遷(うつ)して仏の五戒(ほとけのごかい)を奉(ほう)じ、仁(じん)ありて殺(ころ)さず、義(ぎ)ありて盗(ぬす)まず、礼(れい)ありて婬(いん)せず、信(しん)ありて欺(あざむ)かず、智(ち)ありて酔(よ)わざれば、則(すなわ)ち家門(かもん)の内(うち)、親は慈(じ)に、子は孝(こう)に、夫(おっと)は正(せい)に、婦(つま)は貞(てい)に、親族和睦(しんぞくわぼく)し、婢僕忠順(ひぼくちゅうじゅん)し、六畜蟲魚(ろくちくちゅうぎょ)まで、普(あまね)く恩沢(おんたく)を被(こうむ)りて、十方の諸仏(じっぽうのしょぶつ)、天龍鬼神(てんりゅうきじん)、有道の君(うどうのきみ)、忠良の臣(ちゅうりょうのしん)より、庶民万性(しょみんばんしょう)まで、敬愛(けいあい)せざるは無(な)く、暴悪の主(ぼうあくのしゅ)も、佞嬖の輔(ねいへいのほ)も、妖児兇婦(ようじきょうふ)も、千邪万怪(せんじゃばんかい)も、之(こ)れを如何(いかん)ともすること無(な)く、是(ここ)に於(おい)て父母(ちちはは)、現(げん)には安穏に住(あんのんにじゅう)し、後(ご)には善処に生(ぜんしょにしょう)じ、仏(ほとけ)を見、法を聞いて長く苦輪(くりん)を脱(だっ)せん。かくの如(ごと)くにして始(はじ)めて父母(ちちはは)の恩に報(ほう)ずるものと為(な)すなり。
仏(ほとけ)更(さ)らに説(せつ)を重(かさ)ねて宣(のたま)わく、汝等大衆能(なんじらだいしゅよ)く聴(き)け。父母(ちちはは)のために心力(しんりょく)を尽(つく)して、有(あ)らゆる佳味美音妙衣車駕宮室等(かみびおんみょうえしゃがきゅうしつとう)を供養(くよう)し父母(ちちはは)をして一生遊楽(いっしょうゆうらく)に飽(あ)かしむるとも、若(も)し未(いま)だ三宝を信ぜざらしめば、猶(な)お以(もっ)て不孝と為(な)す。如何(いかん)となれば、仁心(じんしん)ありて施(ほどこ)しを行(おこな)い、礼式(れいしき)ありて身を撿(ひきし)め、柔和(にゅうわ)にして辱(はじ)を忍び、勉強(べんきょう)して徳に進(すす)み、意(い)を寂静(じゃくじょう)に潜(ひそ)め、志(こころざし)を学問(がくもん)に励(はげ)ます者と雖(いえど)も、一(ひと)たび酒色(しゅしょく)に溺(おぼ)るれば、悪魔忽(たちま)ち隙を伺(うかが)い、妖魅(ようみ)則ち便(たより)を得(え)て、財を惜(おし)まず、情を蕩(とろ)かし忿(いかり)を発(おこ)させ、怠(おこたり)を増させ、心を乱(みだ)し、智(ち)を晦(くら)まして、行(おこな)いを禽獣(きんじゅう)に等(ひと)しくするに至(いた)ればなり。大衆(だいしゅ)、古(いにしえ)より今(いま)に及(およ)ぶまで、之(これ)に由(よ)りて、身を亡(ほろ)ぼし、家を滅(ほろ)ぼし、君(きみ)を危(あやう)くし、親を辱(はずか)しめざるは無(な)し。是(こ)の故(ゆえ)に、沙門(しゃもん)は独身(どくしん)にして耦(ぐう)なく、その志(こころざし)を清潔(じょうけつ)にして、唯(た)だ道(みち)を是(こ)れ務(つと)む。子たる者(もの)は深く思(おも)い遠く慮(おもんばか)りて、以(もっ)て孝養(こうよう)の軽重緩急(けいじゅうかんきゅう)を知らざるべからざるなり。凡(およ)そ是等(これら)を父母(ちちはは)の恩に報(ほう)ずるの事(こと)となす。
是(こ)の時、阿難(あなん)、涙(なみだ)を払(はら)いつつ座(ざ)より起(た)ち、長跪合掌(ちょうきがっしょう)して、前(すす)みて仏(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、世尊(せそん)、此(こ)の経(きょう)は当(まさ)に何(なに)とか名(な)づくべき、又(また)如何(いか)にしてか奉持(ぶじ)すべきと。
仏(ほとけ)、阿難(あなん)に告(つ)げ給(たま)わく、阿難(あなん)、此(こ)の経(きょう)は父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)と名(な)づくべし。若(も)し一切衆生(いっさいしゅじょう)ありて、一(ひと)たび此(こ)の経(きょう)を読誦(どくじゅ)せば、則(すなわ)ち以(もっ)て乳哺の恩(にゅうほのおん)に報(ほう)ずるに足(た)らん。若(も)し一心(いっしん)に此(こ)の経(きょう)を持念(じねん)し、又(また)人(ひと)をして之(これ)を持念(じねん)せしむれば、当(まさ)に知(し)るべし、是(こ)の人(ひと)は、能(よ)く父母(ちちはは)の恩(おん)に報(ほう)ずることを。一生(いっしょう)の有(あ)らゆる十悪五逆無間の重罪(じゅうあくごぎゃくむげんのじゅうざい)も、みな消滅(しょうめつ)して、無上道(むじょうどう)を得(え)んと。
此(こ)の時(とき)、梵天帝釈(ぼんてんたいしゃく)、諸天の人民(しょてんのにんみん)、一切の集会(しゅうえ)、此(こ)の説法(せっぽう)を聞いて、悉(ことごと)く菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)し、五体(ごたい)地(ち)に投(とう)じて、涕涙(ているい)、雨(あめ)の如(ごと)く、進(すす)みて佛足(ぶつそく)を頂礼(ちょうらい)し、退(しりぞ)きて各々歓喜奉行(おのおのかんぎぶぎょう)したりき。
佛説(ぶっせつ)父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)
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61元帥(げんすい)へ
洋々たり天地の大道(てんちのだいどう)
是非善悪(ぜひぜんあく)は地上の波瀾(はらん)
地位(ちい)を替(か)ゆれば皆正(みなせい)なり
時(とき)を失(うしな)えば悉く侵犯(ことごとくしんぱん)
裁(さば)く者悉(ことごと)く神にも非(あら)ず
裁(さば)かるる者皆(みな)鬼にも非(あら)ず
誰(たれ)か国家(こくか)を思わざる
誰(たれ)か繁栄を願(ねが)わざる
餘命(よめい)いくばくもなき老骨(ろうこつ)
絞首(こうしゅ)何(なん)の益(えき)かあらん
A級(エイきゅう)は悉(ことごと)く国家の至宝(しほう)
B級(ビイきゅう)は皆(みな)帝国の名士(めいし)
審判(しんぱん)既(すで)に心命(しんめい)を截(た)つ
改悔(かいげ)今(いま)や再生(さいせい)を誓(ちか)ふ
天寿(てんじゅ)を赦(ゆる)して平和(へいわ)を説(と)かしめ
仁慈(じんじ)を施(ほどこ)して悪化(あくか)を防(ふせ)がん
国民(こくみん)ひとしく願(ねが)ふところ
国家(こくか)斉(ひと)しく念(ねん)ずる処(ところ)
慈悲(じひ)は是(これ)恆久平和(こうきゅうへいわ)の礎(いしずえ)
智明(ちめい)は是(これ)永劫不滅(ようごうふめつ)の燈炬(とうこ)なり
昭和23年11月15日大沼法竜(おうぬまほうりゅう)
マックアーサー元帥閣下
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62法話(ほうわ)
沈思黙考再三再四(ちんしもくこうさいさんさいし)
地上天変安住(ちじょうてんぺんあんじゅう)なし
人世栄達浮雲(じんせいえいだつふうん)の如(ごと)く
人智(じんち)の聰明(そうめい)たのむに足(た)らず
弊履(へいり)と捨(す)てし悉達多(しっだるた)
説(と)かずや古三千年(いにしえさんぜんねん)
五欲(ごよく)の園(その)に遊(あそ)ぶ故(ゆえ)
悲愁(ひしゅう)の淵(ふち)に沈(しづ)むなり
栄枯盛衰差別(えいこせいすいさべつ)の波瀾(はらん)
有為転変(ういてんぺん)は地上(ちじょう)の習(なら)ひ
執着(しゅうじゃく)すれば永劫流転(ようごうるてん)
超越(ちょうえつ)すれば一味平等(いちみびょうどう)
悟(さとり)の道(みち)に二(ふた)つあり
聖道(しょうどう)捨てて淨土(じょうど)に入(い)れよ
雑行(ぞうぎょう)捨て正行(しょうぎょう)に
助業(じょごう)を捨て正定(しょうじょう)の
業(ごう)の作用(はたらき)一(ひと)つにて
易(やす)く仏(ほとけ)になれるなり
智慧(ちえ)と慈悲(じひ)とに限(かぎ)りなき
不滅(ふめつ)の真理(しんり)把握(はあく)して
南无阿彌陀仏(なむあみだぶつ)に悟入(ごにゅう)せば
勝者(しょうしゃ)に勝(まさ)る勝者(しょうしゃ)あり
昭和23年12月2日大沼法竜(おうぬまほうりゅう)
A級戦犯(エイきゅうせんぱん)者(しゃ)殿
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産める子に踏まれ蹴られど母ごころ
わが身消ゆれど子をば守らむ
垂乳根(たらちね)の白き媼母(おんも)の独り寝(ぬ)る
寝音に暁(あけ)の待ち遠しけれ
雲居杣人正顔
南無父母無二佛
南無大日不動薬師如来
南無阿弥陀佛
南無釈迦牟尼佛
南無三宝
拈華微笑 合掌
これが私の四正勤です。この経を弘めることが我が生まれ来る使命であり不惜身命父母に報恩の誠をささげる四弘誓願七佛通誡偈不二同一父母未生因縁なり。
↑上記は全てTORAさんのブログに投稿を掲載して頂いたものです。
いつも本当にありがとうございます。豊岳正彦拝
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*父母恩重経、仏教聖典とも下記のページのいずれかのコメント欄に掲載してもらっています。ブログ主さんありがとうございます。
1.目先の勝負に何度敗けようが、つねに「生き残ること」に全神経を注いだ者が最終的勝者となります-株式日記と経済展望
2.豊田真由子・衆院議員はなぜ切れてしまったのか?キレるの理由は、脳の「ホルモン」の乱れも影響している
3.WHを高値づかみさせたのは当時の資源エネルギー庁の原子力政策課長で現在は経済産業省のナンバー2
4.問題を隠蔽すること、問題を放置すること、無意味な時間稼ぎをすることがタカタを絶体絶命にした
5.官僚側の目的は、官僚の人事権を内閣が握る「内閣人事局」を撤回させる事。
6.人生を豊かにしてくれるのは、高級なバックでも宝石でもない。
7.自民党都議団は、公明党との選挙協力があれば、議席を10つ獲得できたはず
投稿豊岳正彦 |2018年4月9日(月)21時58分
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真の父母恩重経は真の靖国捨身施武士道
youtube.com/watch?v=wVzNa6JfmfY
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youtube.com/watch?v=AsNOFBkl_pA&t=36s
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youtube.com/watch?v=WGoLGvk36Pw
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odysee.com/@Jano:7/Putin01:5
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hougakumasahikoyoutube.blogspot.com/2024/06/blog-post_12.html
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ホテル暴風雨文野潤也好雪文庫仏教説話
コーカリカ後編(出典:賢愚経)2016/9/10 2016/12/29仏教説話
hotel-bfu.com/bunnosuke/choyaku/setsuwa/2016/09/10/post-214/
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