拈華微笑 南無父母不二佛

何でも仏教徒として思いついたことを書きます

仏教聖典第237版 ほとけ 勝(すぐ)れた徳

第1章史上の仏


第1節 偉大な生涯


一、ヒマラヤ山の南のふもとを流れるローヒニー河のほとりに、釈迦族の都カピラヴァスツがあった。その王シュッドーダナ(浄飯じょうぼん)は、世々純正な血統を伝え、城を築き、善政をしき、民衆は喜び従っていた。王の姓はゴータマであった。


 妃(きさき)、マーヤー(摩耶夫人まやぷにん)は同じ釈迦族の一族でコーリヤ族とよばれるデーヴァダハ城の姫で、王の従妹(いとこ)にあたっていた。


 結婚の後、ながく子に恵まれず、二十幾年の歳月の後、ある夜、白象が右脇から胎内に入る夢を見て懐妊した。王の一族をはじめ国民ひとしく指折り数えて王子の出生を待ちわびたが、臨月近く、妃は国の習慣に従って生家に帰ろうとし、その途中ルンビニー園に休息した。


 折りから春の陽はうららかに、アショーカの花はうるわしく咲きにおっていた。妃は右手をあげてその枝を手折ろうとし、そのせつなに王子を生んだ。天地は喜びの声をあげて母と子を祝福した。ときに四月八日であった。


 シュッドーダナ王の喜びはたとえようがなく、一切の願いが成就したという意味のシッダールタ(悉達多(しっだった)という名を王子に与えた。


二、しかし、喜びの裏には悲しみもあった。マーヤー夫人はまもなくこの世を去り、太子は以後、夫人の妹マハープラジャーパティーによって育成された。


 そのころ、アシタという仙人が山で修行をしていたが、城のあたりに漂う吉相(きっそう)を見て、城に来たり、太子を見て「このお子が長じて家にいられたら世界を統一する偉大な王となり、もしまた、出家*して道を修めれば世を救う仏*になられるであろう。」と予言した。


 はじめ王はこの予言を聞いて喜んだが、次第に、もしや出家されてはという憂いを持つようになった。


 太子は七歳の時から文武の道を学んだ。春祭りに、父王に従って田園に出、農夫の耕すさまを見ているうちに、すきの先に掘り出された小虫を小鳥がついばみ去るのを見て、「あわれ、生き物は互いに殺しあう。」とつぶやき、ひとり木陰に坐って静思した。


 生まれて間もなく母に別れ、いままた生きもののかみあう有様を見て、太子の心には早くも人生の苦悩が刻まれた。それはちょうど、若木につけられた傷のように、日とともに成長し、太子をますます暗い思いに沈ませた。


 父王はこの有様を見て大いに憂い、かねての仙人の予言を思いあわせ、太子の心を引き立てようといろいろ企てた。ついに太子十九歳のとき、太子の母の兄デーヴァダハ城主スプラブッダの娘ヤショーダラーを迎えて妃と定めた。


三、この後十年の間、太子は、春季(はる)・秋季(あき)・雨季(うき)それぞれの宮殿にあって歌舞管弦の生活を楽しんだが、その間もしきりに沈思瞑想して人生を見きわめようと苦心した。


 「宮廷の栄華も、すこやかなこの肉体も、人から喜ばれるこの若さも、結局この私にとって何であるのか。人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。若さも、健康も、生きていることも、どんな意味があるというのか。


 人間が生きていることは、結局何かを求めていることにほかならない。しかし、この求めることについては、誤ったものを求めることと、正しいものを求めることの二つがある。


誤ったものを求めることというのは、自分が老いと病と死とを免れることを得ない者でありながら、老いず病まず死なないことを求めていることである。


 正しいものを求めることというのは、この誤りをさとって、老いと病と死とを超えた、人間の苦悩のすべてを離れた境地を求めることである。今のわたしは、この誤ったものを求めている者にすぎない。」


四、このように心を悩ます日々が続いて、月日は流れ、太子二十九歳の年、一子ラーフラ(羅睺羅らごら)が生まれたときに、太子はついに出家*の決心をした。太子は御者のチャンダカを伴い、白馬カンタカにまたがって、住みなれた宮殿を出て行った。そして、この俗世界とのつながりを断ち切って出家の身となった。


 このとき、悪魔は早くも太子につきまとった。
「宮殿に帰るがいい。時を待つがいい。この世界はすべておまえのものになるのだ。」
太子は叱咤(しった)した。
「悪魔よ、去れ。すべて地上のものは、わたしの求めるところではないのだ。」
太子は悪魔を追い払い、髪をそり、食を乞いつつ南方(みなみ)に下った。


 太子ははじめバガバ仙人を訪れてその苦行(くぎょう)の実際を見、次にアーラーダ・カーラーマと、ウドラカ・ラーマプトラを訪ねてその修行を見、また自らそれを実行した。しかし、それらは結局さとりの道でないと知った太子は、マガダ国に行き、ガヤーの町のかたわらを流れるナイランジャナー河(尼連禅河にれんぜんが)のほとり、ウルビルバーの林の中において、激しい苦行をしたのである。


五、それはまことに激しい苦行であった。
釈尊自ら「過去のどのような修行者も、現在のどのような苦行者も、また未来のどのような出家者も、これ以上の苦行をした者はなく、また、これからもないであろう。」と後に言われたほど、世にもまれな苦行であった。


 しかし、この苦行も太子の求めるものを与えなかった。そこで太子は、六年の長きにわたったこの苦行を未練なく投げ捨てた。ナイランジャナー河に沐浴して身の汚れを洗い流し、スジャーターという娘の手から乳糜(ちちがゆ)を受けて健康を回復した。


 このとき、それまで太子と一緒に同じ林の中で苦行していた五人の出家者たちは、太子が堕落したと考え、太子を見捨てて他の地へ去っていった。


 いまや天地の間に太子はただひとりとなった。太子は静かに木の下に坐って、命をかけて最後の瞑想に入った。
「血も涸(か)れよ、肉も爛(ただ)れよ、骨も腐れよ。さとりを得るまでは、わたしはこの座を立たないであろう。」これがそのときの太子の決心であった。


 その日の太子の心はまことにたとえるものがないほどの悪戦苦闘であった。乱れ散る心、騒ぎ立つ思い、黒い心の影、醜い想いの姿、すべてそれは悪魔の襲来というべきものであった。太子は心のすみずみまでそれらを追求して散々(さんざん)に裂(さ)き破った。
まことに、血は流れ、肉は飛び、骨は砕けるほどの苦闘であった。


 しかし、その戦いも終わり、夜明けを迎えて(明けの明星あけのみょうじょう)を仰いだとき、太子の心は光り輝き、さとりは開け、仏と成った。
 それは太子三十五歳の年の十二月八日の朝のことであった。


六、これより太子は仏陀*(ぶっだ)、無上覚者(むじょうかくしゃ)、如来(にょらい)、釈迦牟尼(しゃかむに)、釈尊(しゃくそん)、世尊(せそん)などの種々の名で知られるようになった。


 釈尊はまず、六年にわたる苦行の間ともに修行してくれた恩義ある五人の出家者に道を説こうとして、彼らの住むバーラーナシーのムリガダーバ(鹿野苑ろくやおん)に赴き、彼らを教化した。彼らは最初釈尊を避けようとしたが、教えを聞いてから釈尊を信じ最初の弟子となった。また、ラ-ジャグリハ(王舎城)に入ってビンビサーラ王を教化し、ここを教えを説く根拠地として、さかんに教えを広めた。


 人びとは、ちょうど渇(かわ)いた者が水を求めるように、飢えた者が食を求めるように、釈尊のもとに寄り集まった。シャーリプトラ(舎利弗しゃりほつ)、マウドガルヤーヤナ(目連もくれん)の二大弟子をはじめとする、二千余人の弟子たちは、釈尊を仰ぎ、その弟子となった。


 釈尊の出家を憂えてこれを止めようとし、また釈尊の出家によって深い苦しみを味わった父のシュッドーダナ王、養母のマハープラジャーパティー、妃のヤショーダラーをはじめとする釈迦族の人たちも、みな釈尊に帰依*(きえ)して弟子となった。その他非常に多くの人びとが彼の信奉者になった。


七、このようにして伝道の旅を続けること四十五年、釈尊は八十歳を迎えた。ラージャグリハ(王舎城)からシュラヴァスティー(舎衛城)に赴く途中、ヴァイシャーリーにおいて病を得、「三月(みつき)の後に涅槃*(ねはん)に入るであろう。」と予言された。さらに進んでパーバーに至り、鍛冶屋(かじや)のチュンダの供養した食物にあたって病が悪化し、痛みを押してクシナガラに入った。


 釈尊は城外のシャーラ(沙羅さら)樹の林に行き、シャーラの大木が二本並び立っている間に横たわった。釈尊は懇(ねんご)ろに弟子たちを教え、最期のせつなまで教えを説いて世間の大導師たる仏としての仕事をなし終わり、静かに涅槃に入った。


八、クシナガラの人びとは、釈尊が涅槃に入られたのを悲しみ嘆き、アーナンダ(阿難あなん)の指示に従って、定められたとおりに釈尊の遺骸を火葬した。


このとき、マガダ国の王アジャータシャトルをはじめとするインドの八つの国々の王は、みな釈尊の遺骨の分配を乞うたが、クシナガラの人びとはこれを拒否し、争いが起こった。しかし、賢者ドローナの計(はか)らいにより、遺骨は八大国に分配された。その他、遺骸の瓶(かめ)と火葬の灰を受けた者があり、それぞれの国に奉安されて、この世に仏の十の大塔(卒塔婆ストゥーバ)が建立されるに至った。



第二節 最後の教え


一、釈尊はクシナガラの郊外、シャーラ(沙羅)樹の林の中で最後の教えを説かれた。


 弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、自らを灯火(ともしび)とし、自らをよりどころとせよ、他を頼りとしてはならない。この【法*】を灯火とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない。


 わが身を見ては、その汚れを思って【貪*(むさぼ)】らず、苦しみも楽しみもともに苦しみの【因*(もと)】であると思ってふけらず、わが心を【観*(み)】ては、その中に【我*(が)】はないと思い、それらに迷*ってはならない。そうすれば、すべての苦しみを断つことができる。わたしがこの世を去った後も、このように教えを守るならば、これこそわたしのまことの弟子である。


二、弟子たちよ、これまでおまえたちのために説いたわたしの教えは、常に聞き、常に考え、常に修めて捨ててはならない。もし教えのとおりに行うなら常に幸いに満たされるだろう。


 教えのかなめは心を修めることにある。だから、欲をおさえて己に克(か)つことに努めなければならない。身を正し、心を正し、ことばをまことあるものにしなければならない。貪ることをやめ、怒りをなくし、悪を遠ざけ、常に【無常*】を忘れてはならない。


 もし心が邪悪に引かれ、欲にとらわれようとするなら、これをおさえなければならない。心に従わず、心の【主(あるじ)】となれ。


 心は人を仏にし、また、畜生にする。迷って鬼となり、さとって仏と成るのもみな、この心のしわざである。だから、よく心を正しくし、道に外れないよう努めるがよい。


三、弟子たちよ、おまえたちはこの教えをもとに、相和(あいわ)し、相敬(あいうやま)い、争いを起こしてはならない。水と乳のように和合せよ。水と油のようにはじきあってはならない。


 ともにわたしの教えを守り、ともに学び、ともに修め、励ましあって、道の楽しみをともにせよ。つまらないことに心をつかい、むだなことに時をついやさず、さとりの花を摘み、道の果実(このみ)を取るがよい。


 弟子たちよ、わたしは自らこの教えをさとり、おまえたちにこの教えを説いた。おまえたちはよくこれを守って、ことごとにこの教えに従って行わなければならない。


 だから、この教えのとおりに行わない者は、わたしに会っていながらわたしに会わず、わたしと一緒にいながらわたしから遠く離れている。また、この教えのとおりに行う者は、たとえわたしから遠く離れていてもわたしと一緒にいる。


四、弟子たちよ、わたしの終わりはすでに近い。別離も遠いことではない。しかし、いたずらに悲しんではならない。世は無常であり、生まれて死なない者はない。今わたしの身が朽(く)ちた車のようにこわれるのも、この無常の道理を身をもって示すのである。


 いたずらに悲しむことをやめて、この無常の道理に気がつき、人の世の真実のすがたに目を覚まさなければならない。変わるものを変わらせまいとするのは無理な願いである。


 【煩悩(ぼんのう)】の賊は常におまえたちのすきをうかがって倒そうとしている。もしおまえたちの部屋に毒蛇(どくじゃ)が住んでいるのなら、その毒蛇を追い出さない限り、落ちついてその部屋で眠ることはできないであろう。


 煩悩の賊は追わなければならない。煩悩の蛇は出さなければならない。おまえたちは慎んでその心を守るがよい。


五、弟子たちよ、今はわたしの最後の時である。しかし、この死は肉体の死であることを忘れてはならない。肉体は父母より生まれ、食によって保たれるものであるから、病み、傷つき、こわれることはやむを得ない。


 仏の本質は肉体ではない。さとりである。肉体はここに滅びても、さとりは永遠に【法と道】とに生きている。だから、わたしの肉体を見るものがわたしを見るのではなく、わたしの教えを知る者こそわたしを見る。


 わたしの亡き後は、わたしの説き遺(のこ)した法がおまえたちの【師】である。この【法】を保ち続けてわたしに仕えるようにするがよい。


 弟子たちよ、わたしはこの人生の後半四十五年間において、説くべきものはすべて説き終わり、なすべきことはすべてなし終わった。わたしにはもはや秘密はない。内もなく、外もなく、すべてみな完全に説きあかし終わった。


 弟子たちよ、今やわたしの最期である。わたしは今より【涅槃(ねはん)】に入るであろう。これがわたしの最後の教誡(きょうかい)である。



第二章 永遠の仏


第一節 いつくしみと願い


一、仏の心とは大慈悲である。
あらゆる手だてによって、すべての人びとを救う大慈の心、
人とともに病み、人とともに悩む大悲の心である。


 ちょうど子を思う母のように、しばらくの間も捨て去ることなく、守り、育て、救い取るのが仏の心である。


「おまえの悩みはわたしの悩み、おまえの楽しみはわたしの楽しみ。」と、かたときも捨てることがない。


 仏の大悲は人によって起こり、この大悲に触れて信ずる心が生まれ、信ずる心によってさとりが得られる。


それは、子を愛することによって母であることを自覚し、母の心に触れて子が安らかとなるようなものである。


 ところが、人びとはこの仏の心を知らず、その無知からとらわれを起こして苦しみ、煩悩のままにふるまって悩む。


【罪業(ざいごう)】の重荷を負って、あえぎつつ、迷いの山から山を駆けめぐる。


二、仏の慈悲をただこの世一生だけのことと思ってはならない。
それは久しい間のことである。


人びとが生まれ変わり、死に変わりして迷いを重ねてきたその初めから今日まで続いている。


 仏は常に人びとの前に、その人びとのもっとも親しみのある姿を示し、救いの手段を尽くす。


 釈迦族の太子と生まれ、出家し、苦行をし、道をさとり、教えを説き、死を示した。


 人びとの迷いに限りがないから、仏のはたらきにも限りがなく、


人びとの罪の深さに底がないから仏の慈悲にも底がない。


 だから、仏はその修行の初めに四つの大誓願を起こした。


一つには誓ってすべての人びとを救おう。


二つには誓ってすべての煩悩を断とう。


三つには誓ってすべての教えを学ぼう。


四つには誓ってこの上ないさとりを得よう。


 この四つの誓願をもととして仏は修行した。


仏の修行のもとがこの誓願であることは、そのまま


仏の心が人びとを救う大慈悲であることを示している。


三、仏は、仏に成ろうとして殺生(せっしょう)の罪を離れることを修め、そしてその功徳によって人びとの長寿を願った。


 仏は盗みの罪を離れることを修め、その功徳によって人びとが求めるものを得られるようにと願った。


 仏はみだらな行いを離れることを修め、その功徳によって人びとの心に害心がなく、また身に飢えや渇きがないようにと願った。


 仏は、仏に成ろうとして、偽りの言葉を離れる行(ぎょう)を修め、その功徳によって人びとが真実を語る心の静けさを知るようにと願った。


 二枚舌を離れる行を修めては、人びとが常に仲良くしてお互いに道を語るようにと願った。


 また悪口を離れる行を修めては、人びとの心が安らいでうろたえ騒ぐことがないようにと願った。


 むだ口を離れる行を修めては、人びとに思いやりの心をつちかうようにと願った。


 また仏は、仏に成ろうとして、貪(むさぼ)りを離れる行を修め、その功徳によって人びとの心に貪りがないようにと願った。


 憎しみを離れる行を修めて、人びとの心に慈しみの思いがあふれるようにと願った。


 愚かさを離れる行を修めて、人びとの心に因果の道理を無視する誤った考えがないようにと願った。


 このように、仏の慈悲はすべての人びとに向かうものであり、その本領はすべての人びとの幸福のため以外の何ものでもない。


仏はあたかも父母(ちちはは)のように人びとをあわれみ、人びとに迷いの海を渡らせようと願ったのである。



第二節 救いとその手だて


一、さとりの岸に立って、迷いの海に沈んでる人びとに呼びかける仏のことばは、人びとの耳には容易には聞こえない。


だから、仏は、自ら迷いの海に分け入って、救いの手段を講じた。


 さて、それでは一つの比喩(たとえ)を説こう。
ある町に長者があって、その家が火事になった。
たまたま外にあった長者は帰宅して驚き、子供たちを呼んだが、彼らは遊びにふけって火に気づかず、家の中にとどまっていた。


 父は子供たちに向かって──「子供たちよ、逃げなさい、出なさい。」と叫んだが、子供たちは父の呼び声に気がつかなかった。


 子供たちの安否を気遣(きづか)う父はこう叫んだ──「子供たちよ、ここに珍しいおもちゃがある。早く出て来て取るがよい。」
子供たちはおもちゃと聞いて勇み立ち、火の家から飛び出して災いから免れることができた。


 この世はまことに【火の宅(いえ)】である。
ところが人びとは、家の燃えていることを知らず、焼け死ぬかも知れない恐れの中にある。だから、仏は大悲の心から限りない手段【方便】をめぐらして人びとを救う。


二、さらに別の比喩を説こう。


昔、長者のひとり子が、親のもとを離れてさすらいの身となって、貧困のどん底に落ちぶれた。


 父は故郷を離れて息子の行方を求め、あらゆる努力をしたにもかかわらず、どうしてもその行方を求めることができなかった。


 それから十数年か経って、今はみじめな境遇に成り果てた息子が、たまたま父の住んでいる町の方へさすらってきた。


 めざとくもわが子を認めた父は喜びに躍り上がり召使いを遣(や)って放浪の息子を連れもどそうとした。しかし、息子は疑い、だまされるのを恐れて、行こうとしなかった。


 そこで父はもう一度召使いを息子に近よらせ、よい賃金の仕事を長者の家で与えようと言わせた。息子はその手段に引き寄せられて仕事を引き受け、召使いのひとりとなった。


 父の長者は、わが家とも知らず働いているわが子をおいおいに引き立て、ついには金銀財宝の蔵を管理させるに至ったが、それでも息子はなお父とは知らないでいた。


 父はわが子が素直になったのを喜び、またわが命のやがて尽きようとするのを知って、ある日、親族・友人・知己を呼び集めてこう語った──


「人びとよ、これはわが子である。永年探し求めていた息子である。今より後、わたしのすべての財宝はみなこの子のものである。」


 息子は父の告白に驚いてこう言った──
「今、わたしは父親を見いだしたばかりでなく、思いがけずこれらすべての財宝までもわたしのものとなった。」


 ここにいう長者とは仏のことである。
迷える息子はすべての人びとのことである。
仏の慈悲は、ひとり子に向かう父の愛のようにすべての人びとに向かう。
仏はすべての人びとを子として教え導き、さとりの宝をもって彼らを富める者とする。


三、すべての人びとを子のようにひとしく慈しむ仏の大悲は平等であるが、人びとの性質の異なるのに応じてその救いの手段には相違がある。
ちょうど、降る雨は同じであっても、受ける草木によって、異なった恵みを得るようなものである。


四、親はどれほど多くの子供があっても、そのかわいさに変わりがないが、その中に病める子があれば、親の心はとりわけその子にひかれてゆく。


 仏の大悲もまた、すべての人びとに平等に向かうけれども、ことに罪の重い者、愚かさゆえに悩める者に慈しみとあわれみとをかける。


 また、例えば、太陽が東の空に昇って、闇を滅ぼし、すべてのものを育てるように、
仏は人びとの間に出て、悪を滅ぼし、善を育て、【智慧(ちえ)】の光を恵んで、無知の闇を除き、さとりに至らせる。


 仏は【慈(いつく)】しみの父であり、【悲(あわれ)】みの母である。
仏は、世間の人びとに対する慈悲の心から、ひたすら人びとのために尽くす。
人びとは仏の慈悲なくしては救われない。


 人びとはみな仏の子として仏の救いの手段を受けなければならない。



第三節 仏はとわに


一、人びとはみな、仏は王子として生まれ、出家してさとりを得たのだと信じているけれども、実は仏と成ってよりこの方、限りない時を経ている。


 限りない時の間、仏は常にこの世にあり、永遠の仏として、すべての人びとの性質を知り尽くし、あらゆる手段を尽くして救ってきた。


 仏の説いた永遠の法の中には偽りがない。
なぜなら、仏は、世の中のことをあるがままに知り、すべての人びとを教えるからである。


 まことに、世の中のことをあるがままに知ることはむつかしい。
なぜなら、世の中のことは、まことかと見ればまことではなく、偽りかと見れば偽りでもない。
愚かな者たちはこの世の中のことを知ることはできない。


 ひとり仏のみはそれをあるがままに知っている。
だから仏はこの世の中のことがまことであるとも言わず、偽りであるとも言わず、善いとも言わず、悪いとも言わず、ただありのままに示す。


 仏が教えようとしていることはこうである。――


「すべての人びとは、その性質、行い、信仰心に応じて善の根を植えるべきだある。」


二、仏はただ言葉で教えるだけでなく、身をもって教える。
仏は、その寿命に限りはないが、欲を貪って飽くことのない人びとを目覚ますために、手段として死を示す。


 例えば多くの子を持つ医師が、他国へ旅をした留守に子供らが毒を飲んで悶え苦しんだとしよう。医師は帰ってこの有様を見、驚いてよい薬を与えた。


 子供たちのうち、正常な心を失っていない者はその薬を飲んで病を除くことができたけれども、すでに正常な心を失ってしまった者はその薬を飲もうとしなかった。


 父である医師は、彼らの病をいやすために思い切った手段をとろうと決心した。
彼は子供たちに言った。――


「わたしは長い旅に出かけなければならない。わたしは老いて、いつ死ぬかもわからない。もしわたしの死を聞いたなら、ここに残しておく薬を飲んで、おのおの元気になるがよい。」


こうして彼は再び長い旅に出た。そして使いを遣(つか)わしてその死を告げさせた。
子供たちはこれを聞いて深く悲しみ、
「父は死んだ。もはやわれわれにはたよる者がなくなった。」と嘆いた。
悲しみと絶望の中で、彼らは父の遺言を思い出し、その薬を飲み、そして回復した。


 世の人はこの父である医師のうそを責めるであろうか。
仏もまたこの父のようなものである。
仏は、欲望に追いまわされている人びとを救うために、
仮にこの世に生と死を示したのである。



第三章 仏の姿と仏の徳


第一節 三つのすがた


一、姿や形だけで仏を求めてはならない。姿、形はまことの仏ではない。まことの仏はさとりそのものである。だから、さとりを見る者がまことに仏を見る。


 世にすぐれた仏の相(すがた)を見て、仏を見たというならば、それは無知の眼の過ちである。仏のまことの相は、世の人には見ることはできない。どんなにすぐれた描写によっても仏を知ることはできないし、どんな言葉によっても仏の相は言い尽くすことはできない。


 まことの相とはいっても、実は、相あるものは仏ではない。仏には相がない。しかも、また、思いのままにすばらしい相を示す。


 だから、明らかに見て、しかもその相にとらわれないなら、この人は自在の力を得て仏を見たのである。


二、仏の身はさとりであるから、永遠の存在であってこわれることがない。
食物によって保たれる肉体ではなく、智慧【=般若】より成る堅固な身であるから、恐れもなく、病もなく、永遠不変である。


 だから、仏は永遠に滅びない。さとりが滅びない限り、滅びることはない。
このさとりが智慧の光となって現われ、この光が人をさとらせ、仏の国に生まれさせる。


 この道理をさとった者は仏の子となり、仏の教えを受持し、仏の教えを守って後の世に伝える。
まことに、仏の力ほど不思議なものはない。


三、仏には三つの身(からだ)がそなわっている。
一つには【法身(ほっしん)】、二つには【報身(ほうじん)】、三つには【応身(おうじん)】である。


 法身とは、法そのものを身とするものである。この世のありのままの道理と、それをさとる智慧とが一つになった法そのものである。


 法そのものが仏であるから、この仏には色もなく形もない。色も形もないから、来るところもなく、去るところもない。来るところも去るところもないから充満しないところがなく大空のようにすべてのものの上に遍(あまね)くゆきわたっている。


 人が思うから有るのではなく、人が恐れるから無いのでもなく、人の喜ぶときに来るのでもなく、人の怠るときに去るのでもない。仏そのものは、人の心のさまざまな動きを越えて存在する。


 仏の身は、あらゆる世界に満ち、すべてのところにゆきわたり、人びとがふつうに持っている仏に関する考えにかかわらず永遠に住(じゅう)する。


四、報身というのは、形のない法身の仏が、人びとの苦しみを救うために形を現わし、願を起こし、行を積み、名を示して、導き救う仏である。


 この仏は大悲をもととし、いろいろな手段によって限りなき人びとを救い、すべてのものを焼き払う火のように、人びとの煩悩の薪(たきぎ)を焼き、また、ちりを吹き払う風のように、人びとの悩みのちりを払う。


 応身の仏は、仏の救いを全うするために、人びとの性質に応じてこの世に姿を現わし、誕生し、出家し、【成道(じょうどう)】し、さまざまの手段をめぐらして人びとを導き、病と死を示して人びとを警(いまし)める仏である。


 仏の身は、もともと一つの法身であるけれども、人びとの性質が異なっているから、仏の身はいろいろに現われる。
しかし、人びとの求める心や、行為や、その能力によって、人の見る仏の相(すがた)は違っていても、仏は一つの真実を見せるのみである。


 仏の身は三つに分かれるが、それはただ一つのことをなしとげるためである。
一つのこととは、いうまでもなく人びとを助け救うことである。


 限りのないすぐれた身をもって、あらゆる境界に現われても、その身は仏ではない。


 仏は肉体ではないからである。たださとりを身としてすべてのものに満ちみち、真実を見る人の前に仏は常に現われる。



第二節 仏との出会い


一、仏がこの世に現われるのは、はなはだまれである。
仏は今この世界においてさとりを開き、法を説き、疑いの網を断ち、愛欲の根を抜き、悪の源をふさぎ、妨げられることなく、自由自在にこの世を歩く。
世に仏を敬うより以上の善はない。


 仏がこの世に現われるのは、法を説いて、人びとにまことの福利を恵むためである。
苦しみ悩む人びとを捨てることができないから、仏はこの苦難の世界に現われる。


 世に道理無く、不正はびこり、欲に飽くことなく、心身ともに堕落し、命短きこの世に、法を説くことは、はなはだむつかしい。
ただ大悲のゆえに、仏はこの困難に打ち勝つ。


二、仏はこの世におけるすべての人びとの善い友である。


 煩悩の重荷に悩む者が仏に会えば、仏はそのために変わってその重荷をになう。


 仏はこの世におけるまことの師である。
愚かな迷いに苦しむ者が仏に会えば、仏は【智慧=般若】(ちえ)の光によってその闇(やみ)を払う。


 子牛がいつまでも母牛のそばを離れないように、ひとたび仏の教えを聞いた者は仏を離れない。
教えを聞くことは常に楽しいからである。


三、月が隠れると、人びとは月が沈んだといい、月が現われると、人びとは月が出たという。
けれども月は常に住して出没することがない。
仏もそのように常に住して生滅(しょうめつ)しないのであるが、ただ人びとを教えるために生滅を示す。


 人びとは月が満ちるとか、月が欠けるとかいうけれども、月は常に満ちており、増すこともなく減ることもない。
仏もまたそのように、常に住して生滅しないのであるが、ただ人びとの見るところに従って生滅があるだけである。


 月はまたすべての上に現われる。
町にも、村にも、山にも、川にも、池の中にも、かめの中にも、葉末(はずえ)の露にも現われる。
人が行くこと百里千里であっても、月は常にその人に従う。
月そのものに変わりはないが、月を見る人によって月は異なる。
仏もまたそのように、世の人びとに従って、限りない姿を示すが、
仏は永遠に存在して変わることがない。


四、仏がこの世に現われたことも、また隠れたことも、因縁を離れてあるのではない。
人びとを救うのによい時が来ればこの世にも現われ、その因縁がつきればこの世から隠れる。


 仏に生滅の相はあっても、まこと生滅することはない。
この道理を知って、仏の示す生滅と、すべてのもののうつり変わりに驚かず、悲しまず、まことのさとりを開いて、この上ない智慧を得なければならない。


 仏は肉体ではくさとりであることはすでに説いた。
肉体はまことに容器であり、その中にさとりを盛ればこそ仏といわれる。
だから、肉体にとらわれて、仏のなくなることを悲しむ者は、まことの仏を見ることはできない。


 もともと、あらゆるもののまことの相は、生滅・去来(こらい)・善悪(ぜんなく)の区別を離れた空*(くう)にして平等なものである。


 それらの区別は、見る者の偏見から起こるもので、仏のまことの相も、実は現われることもなく隠れることもない。



第三節  勝(すぐ)れた徳



一、仏は五つの勝れた徳をそなえて、尊敬を受ける。
勝れた行い、勝れた見方、勝れた智慧、さとりの道を明らかに説くこと、人びとをしてよく教えのとおりに修めさせることである。



 また仏には八つの勝れた能力がある。
一つには、仏は人びとに利益と幸福とを与える。
二つには、仏の教えはこの世においてただちに利益がある。
三つには、世の善悪正邪を正しく教える。
四つには、正しい道を教えてさとりに入らせる。
五つには、どんな人をも一つの道に導く。
六つには、仏にはおごる心がない。
七つには、言ったとおり実行し、実行するとおりに語る。
八つには、惑(まど)いなく、願いを満たし、完全に行をなしとげる。


 また仏は、瞑想(めいそう)に入って静けさと平和を得、
あらゆる人びとに対して
慈(いつく)しみの心
悲(あわれ)みの心、
とらわれのない心を持ち、
心のあらゆる汚れを去って、清らかな者だけが持つ喜びを持つ。



二、この仏はすべての人びとの父母(ちちはは)である。
子が生まれて十六ヶ月の間、父母は子の声に合わせて赤子のように語り、それからおもむろにことばを教えるように、
仏もまた、
人びとに従って教えを説き、
その見るところに従って相(すがた)を現わし、
人びとをして安らかな揺らぎのない境地に住まわせる。



 また仏は、一つのことばをもって教えを説くが、人びとはみなその性質に応じてそれを聞き、
仏は今、わたしのために教えを説かれたと喜ぶ。


 仏の境地は、迷える人びとの考えを越えており、
ことばでは説き尽くすことはできないが、強いてその境地を示そうとすれば、
たとえによるほかはない。


 ガンジス河は常に亀や魚、馬や象などに汚されているが、いつも清らかである。
仏もこの河のように、異教の魚や亀などが競い来たって乱しても、少しも思い乱されることなく清らかである。



三、仏の智慧はすべての道理を知り、
かたよった両極端を離れて中道に立ち、また、
すべての文字やことばを超え、
すべての人びとの考えを知り、
一瞬のうちにこの世のすべてのことを知っている。



 静かな大海に、大空の星がすべてその形を映し出すように、
仏の智慧の海には、すべての人びとの心や思いや、その他あらゆるものがそのままに現われる。
だから仏を一切知者という。


 この仏の智慧はあらゆる人びとの心をうるおし、光を与え、
人びとに【この世の意味、盛衰、因果の道理を明らかに知らせる。】
 まことに仏の智慧によってのみ人びとはよくこの世のことを知る。



四、仏はただ仏として現われるだけでなく、あるときは悪魔となり、あるときは神のすがたをとり、あるいは男のすがた、女のすがたとして現われる。



 病のあるときには医師となって薬を施して教えを説き、
戦いが起これば正しい教えを説いて災いを離れさせ、
固定的な考えにとらわれている者には【無常の道理】を説き、
自我と誇りにこだわっている者には【無我】を説き、
世俗的悦楽の網にとらわれているものには【世の痛ましい有様を明らかにする。】



 仏のはたらきは、このようにこの世の事物の上に現われるが、それはすべてみな法身の源から流れ出るもので、限りない命、限りない光の救いも、その源は法身の仏にある。



五、この世は火の宅(いえ)のように安らかでない。
人びとは愚かさの闇につつまれて、怒り、ねたみ、そねみ、あらゆる煩悩に狂わされている。
【赤子に母が必要である】ように、
人びとはみなこの【仏の慈悲】に頼らなければならない。



 仏は実に聖者の中の尊い聖者であり、【この世の父】である。だから、【あらゆる人びとはみな仏の子】である。
彼らはひたすらこの世の楽しみにかかわり、その災いを見通す智慧を持たない。
この世は苦しみに満ちた恐るべきところ、【老いと病と死の炎は燃えてやまない。】


 ところが、仏は迷いの世界という【火宅】を離れ、静寂な林にあって、

 「今この世界はわがものであり、その中の生けるものたちはみなわが子である。限りない悩みを救うのはわれひとりである。」と言う。


 仏は実に、【大いなる法の王】であるから、思いのままに教えを説く。
仏はただ、人びとを安らかにし、恵みをもたらすためにこの世に現われた。
人々を苦しみから救い出すために、仏は【法=達磨ダルマ=真理】を説いた。
ところが人びとは欲に引かれて聞く耳を持たず気にもしていない。


 しかし、この教えを聞いて喜ぶ人は、もはや決して迷いの世界に退くことのない境地におかれるであろう。



「わが教えは、ただ信によってのみ入ることができる。
すなわち、
仏のことばを信ずることによって教えにかなうので、
自分の知恵によるのではない。」と仏は言った。



 したがって仏の教えに耳を傾け、それを実践すべきである。

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