「佛陀を繞りて」山崎精華:昭和2年11月25日大雄閣発行《愚かな槃特》
愚かな槃特 (太陰暦)
『佛陀を繞りて』十五(365~387頁) 山崎精華譯著 大雄閣出版(昭和二年十一月)
一 出生
拘薩羅(コーサラ)國舎衞城に一人の婆羅門がゐた。彼は妻を娶つて何不自由なく暮らしてゐた。然しどうしたことか、彼等の間に出來た子は、生れるとすぐ死んでいつた。
あるとき彼の妻はまた姙娠した。然し彼はいつものやうに悦ばなかつた。彼は手を頬にあてゝ、憂はしげに坐つた。
隣の家に年寄の婦(をんな)がゐた。彼女は婆羅門の憂はしい貌色をみて彼に問うた。
『婆羅門よ、おまへは何か心配なことがあるか』
『老婦よ、わたしの妻は福徳が薄い。わたしの子は生れるとすぐ死んで逝くのだ。わたしの妻はまた姙(みごも)つた。しかし、その兒も生れるとすぐ死ぬと思ふと少しも悦ばしくない』
老婦はそれを聞いてかう答へた。
『婆羅門よ。それならば、おまへの妻がお産する日にキツトわたしを喚べよ』
誕生の日はやがて來た。婆羅門は老婦の言葉の如く彼女を喚んだ。老婦は來た。彼女は産婦の室に入つた。そして今生れた男の兒を、淨(きよ)く浴(ゆあみ)して白い布で身を裹(つつ)んだ。彼女はまた赤兒の口に上妙の生酥を入れ、使の女に赤兒を預けてかう云つた。
『おまへはこの赤兒を抱いて四辻の大きな道に連れてゆけ。そしてもし、沙門婆羅門たちが通られたならば、おまへは、その人々に「この小兒(をさなご)は聖者のみ足を禮(れい)します」と、慇ぎんに云へ。そしてもし、夕方までこの兒が生きてゐたならば、連れて歸れ。もし、生きながらへなかつたならば、何處へでも棄てよ』
使の女は、その如く赤兒を抱いて、四辻の大道にともなつた。それは丁度、晨朝(あした)の日がまだ耀いてゐるときであつた。諸の外道は、いつものように諸天を禮するために、この四辻道を行き過ぎた。彼女はそれを見て、老婦に教へられたまゝ、恭々しく彼等に云つた。
『聖者よ。このみどり兒は聖者の足を禮します』
諸の外道はそれをきいてかういつて呪(いの)つた。
『おまへのみどり兒は無病長壽であれ。諸の神よ、擁護(まも)りたまへ。父母の願は滿たされよ』
また多くの芯芻(比丘僧)たちが行乞のためにこゝを通つた。彼女は彼等にも同じく云つた。彼等も亦それに祝福を與へた。
日暮れまで赤兒は生きてゐた。彼女はそこで赤兒をつれて還つた。婆羅門と彼の妻は大に欣んだ。彼等はそこで宗族を招いて悦びの享宴を張つた。
誕生の日に大道に置いたといふので、彼等は赤兒に’大路’(摩訶槃陀迦マハーパンタカ)と命名した。
世間にかういふ言葉がある。
「もし渇した人が水を求めて鹽(しほ)水を飲むならば、その渇きは一層加はる。
そのように、もし、淫を貪る者は、欲を習ひ行うて一層欲貪を增すであらう」と。
そのように婆羅門の染欲はそれによって彌增した。彼の妻はそこで再び姙つた。誕生の日に彼は再び隣の老婦を招いた。老婦は前と同じやうに、彼の赤兒を洗浴し、白い布で裹み、生酥を口に入れて、使の女に預けて大道に赴かしめた。
使の女はしかし甚だ懶(おこた)りであつた。彼女は小さい路道(ろぢ)に赤兒を置いて、道に遇ふ沙門や婆羅門に前の如く云つた。彼等も亦前の如く、赤兒を祝福した。かくの如くして赤兒は夕方まで尚生存してゐた。使ひの女はそこで赤兒を連れ歸つた。父母はやはり、宗族を招いてこれを祝つた。
その小路で祝福されたことによつて、これに小路(周利槃特チュラパンタカ)と命名した。
二人は年とともに成長した。
大路は甚だ聰叡であつた。
身もすこやかに長大して、諸の學藝に通じた。
しかし、小路は甚だ魯鈍であつた。
彼の師が悉談(しつたん)章を敎へたことがあつた。
彼はそのとき悉のことをいへば談のことを忘れ、談のことをいへば、悉のことを忘れて、遂に記憶することがなかつた。
彼の師はとうとう彼の父にかう云つた。
『わたしは會つて衆多の弟子を敎へたけれども、これほどの愚かものに出遇つたことがない。
大路はよくものを辨へるのに、此の兒は甚だ憶えがわるい。
わたしは、こんな兒をよう敎へることができない』
父はこれを聞いてかう思つた。
『婆羅門がみなみな學者であるわけでもなからう。この兒はたヾ明論を諳(そら)んじさせるがよからう』
父はそこで別の師を雇つて明論を諳んじさせた。しかしそれも同じいことであつた。
吠陀の秘密の字といふのに蓬瓮の二字がある。彼はやはり、蓬をいへば瓮を忘れ、瓮を云へば蓬を忘れた。
この師もそこで同様に敎へることをことわつた。
婆羅門はそこで再びかう考へた。
『婆羅門がみなみな經典を諳んじてゐるわけでもない。たヾ種姓さへ婆羅門であるならば、自然に生活することも出來やう。それはさうして何の辛いこともあるわけではあるまい』
人々はしかし彼の童子を「愚かな槃特」と云つた。
父はその愚かな槃特が、殊更にいぢらしく、可愛ゆくあつた。
彼は何處へ行くのにも、必ず愚かな槃特を伴うた。
あるとき父婆羅門は重い病に臥した。
所詮醫藥も効果薄く、日ましに衰弱が加はつた。
彼は大路を喚んでかう云つた。
『わしが歿きあと、汝(おまへ)のことは少しも氣に懸らない。
可哀さうなのは愚かな槃特である。
汝は決して愚かな槃特を見捨ててはいけない。
安危ともどもに助け合うて、兄弟のよしみを盡くせよ。
それから、わしの言葉を記憶せよ。
佛陀はかう云はれている。
聚(あつ)まれるものみな散り銷(う)せ
位高きも 定めて堕落(おち)る
會(あ)ふものやがて別れ去り
生命あるもの みな死に歸る 』
彼はかく云ひ終ると命をひきとつた。
二人は相哭いて、凶(かなし)きおくりをなした。
大路は、もはや相當の學者であつた。多くの學徒さへ彼の門に集まつてゐた。
二 兄の出家
その頃舎利弗と目連が多くの弟子たちを伴うて拘薩羅(コーサラ)國を遊行し、やがて舎衞城に來た。
舎衞城の人々は彼等を迎へるために城外に群がり出た。
大路はそのとき城外の一樹のもとで彼の學徒達を敎へてゐた。
彼は城を出る人々を見て、學徒達に問うた。
『彼等は何處へ行くのだ』
『舎利弗と目連の比丘達を迎へるのです』
と學徒達は答へた。
『彼等は最上の婆羅門族を捨てゝ、劣つた刹帝利の沙門ゴータマの弟子となつたといふことだ。
そのやうな沙門を迎へることもなからうに』
と彼は云つた。
しかし彼の學徒の中に佛陀の敎を崇めてゐる婆羅門の若者がゐて、彼にかう云つた。
『師よ、彼は聖(ひじり)の證(あかし)をえてゐます。
彼はすぐれた法を體得してゐます。
師も彼の敎を聽かれたならば、出家せられるかもしれませぬ』
彼は學徒達の歸つたあとにかう念つた。
『婆羅門の若者が佛の敎を讚へた。
私はいま竊(ひそ)かに彼らの敎を聽いて試(み)やう。
彼は、城外の一樹下を往く一人の比丘を見て、彼を喚び止めてかう云つた。
『比丘よ。ゴータマの敎を少し聽かせよ』
彼の比丘は十惡の業道と十善の果報を説いた。
大路はそれを聞いて敬信の心がおきた。
『私は間もなく、再び汝のところに、來るであらう』
彼はかく云つて去り歸つた。
彼は或る日、重ねて彼の比丘を訪ねて、佛の敎を請うた。
比丘は十二因緣のことを述べた。
大路は愈々深信を生じた。
『尊者よ。私は出家して如来の梵行を修めたい』
比丘はかう念つた。
『私は彼の出家を許さう、そして法の轅を駕し、法の炬(ともしび)を持たしめやう』
比丘は大路にかう答へた。
『汝(おまへ)の意(こゝろ)にしたがへよ』
大路は云つた。
『此の處は衆くの人々に知られて私は出家し難い』
比丘はそこで大路を伴つて他の地方に行き、彼處で彼に出家の具戒を授けた。
それをなし終つて比丘は云つた。
『佛の修道に二つある。
讀誦と禪思である。
汝はどちらを撰ぶか』
『尊者よ。私は二つ一緒にやりませう』
彼は晝に諸の敎を諳んじた。夜に諸の思惟を觀察した。
そして間もなく煩惱結賊を斷じて三明智を得、不受後有の自覺に達した。
心は障礙除かれて恰も手に空を握るが如く、彼は愛憎、名利の惑慾から離れることが出來た。
大路はそこでかう念つた。
『いまこそ私は舎衞城に往き、世尊の御足を禮し、世尊にお事(つか)へ申さう』
彼は他の多くの比丘達と衣鉢を執つて遊行しながら、舎衞城に來た。
三 弟の求道
兄に往かれた愚かな槃特は、生活の術を知らなかつた。
家業は日に衰へ、財を失つて貧窮の果て、漸く人に物を乞うて活きた。
あるとき彼は多くの人々が城外に出るのを見て彼らに問うた。
『汝達は何のために城を出るのか』
『尊者大路が多くの比丘達と來られるのだ』
愚かな槃特はそれを聞いてかう念つた。
『兄弟や親族でない人々も彼を出迎へてゐる。
私はまことに彼の弟だ。私も彼を迎へに出でやう』
愚かな槃特は城の外に出た。
多くの比丘達は城に近づいた。
大路尊者は群衆の中に愚かな槃特を見出した。
尊者は弟をかへりみて云つた。
『愚かな槃特よ。私は汝と別れて久しい。汝は無事にくらしてゐるか』
『私は活計(くらし)に難儀してゐる』
『汝は出家しないか』
『私は愚かである。私が出家しても私を敎へてくれる人はなからう』
大路はしづかに思を凝らして弟を觀た。
彼は弟に善根の種子の或ることを觀た。
しかし誰れに屬せしめやうもなかつた。
結局彼は自分に屬せしめることに決めて弟に云つた。
『私は汝を私のところで出家させやう』
『さうして下さい』
大路は愚かな槃特を出家具戒させ、一つの伽陀(ガータ)を示して彼に諳んじさせた。
身にも意(こゝろ)にも惡を造らず
世間の有情(いのちあるもの) そを惱まさず
正しき念(こゝろ)に 境(もの)の空しきを知り
益(やく)なき苦しみ そを遠離(をんり)せよ
愚かな槃特はこの伽陀を諳んじやうと努めた。
しかし三月經つても憶えることが出來なかつた。
却つて田園の若者たちは夙くにその頌(じゅ)を覺えてしまつた。
安居(あんご)のときが來た。
諸の弟子達は大路(摩訶槃陀迦)の處に聚つて各々自得をのべた。
その自得によつて弟子達は新しい敎をうけるのである。
愚かな槃特はしかし何の述べることもなかつた。
況んや新しい敎をきくことをやである。
彼らは槃特に言つた。
『おまへは新しい敎をきかないのか』
『私は一つの偈も憶えることが出來なかつた』
『槃特よ、しかしおまへも何かの敎をきくがよい』
愚かな槃特は苦しい想をして大路のところに詣つた。
大路は彼に問うた。
『槃特よ。偈を憶えたのか』
『私はまだ誦んずることが出來ませぬ』
大路もさすがその愚鈍にあきれた。
彼は槃特の項(うなじ)をとらへて房(へや)の外に出した。
『汝(おまへ)は何といふ愚かものだ。
汝はここへ來て何をする積りなのだ』
愚かな槃特は房の外で暗涙に暮れた。
『私は在俗の生活(くらし)にかへることも出來ない。
出家の業を續けることも出來ない。
私はどうすればよいのだ』
丁度そのとき佛陀は通りかかられた。
『汝は何故に泣いてゐるのか』
『私は愚かものであります。
私は師から見捨てられました。
私は在家に歸ることも出來ず、出家のままでゐることも出來ませぬ。
世尊よ。
私は途方にくれてゐます』
『汝はわしのところへ來ないか』
『世尊よ。
私は愚か者であります。
私は魯鈍のものであります。
私はどうして世尊のもとに親しく敎を受けることが出來ませう』
佛陀はしかし、その言葉をきいて偈を詠んだ。
愚かな者自らを愚といふ
そはすでに智(さと)き者
愚かな者自らを知れりといふ
これぞ眞當(まこと)の愚者なれ。
『槃特よ。
世尊の敎は萬人に通ふことが出來る。
世尊の法は萬行をかね備へてゐる。
機に應じた敎は世尊の許(もと)で説かれる。
汝はわしの許へ來い』
愚かな槃特は佛陀の許に行つた。
佛陀は槃特の根機をよく觀た。
佛陀はそこで彼に、かの後世永く傳(つた)へられた、有名なしかしながら極めて簡単な一對の句を授けた。
卽ち、
我れ塵を拂(はら)はん
我れ垢を除かん
といふ句。
愚かな槃特はこれをすら記憶することが出來なかつた。
佛陀は槃特の障りの甚だ重いことを知つて、更に彼に云つた。
『槃特よ。
汝は他の比丘たちの鞋履(はきもの)の埃を拂ひ拭(ぬぐ)ふことが出來るか』
『世尊よ。それは出來ます』
愚かな槃特は世尊の敎のやうにそれをなさうとした。
他の比丘たちはそれを許さなかつた。
佛陀は彼等に云つた。
『汝たちは彼を遮つてはならない。
汝たちは槃特の業障(さはり)を除いてやらねばならない。
汝たちは彼に對句の法(のり)を敎へよ』
比丘たちは槃特に彼等の鞋履の埃を拂はせながら、彼に對句の法を敎へた。
槃特は一生懸命であつた。
彼は身業(みわざ)に鞋履の埃を拂ひながら、心に世尊の法を勉めて誦(ず)した。
『我れ塵を拂はん
我れ垢を除かん』
彼は比丘に敎へられるまゝにこれを繰返した。
あるとき彼はふとかういふ考に達した。
『私はいま鞋履の塵を拂つてゐる。
これは物(外)の塵である。
世尊の法は、それは心(内)の塵、心の垢を除くといふことであらう』
彼はかく思惟すると、彼の心を蔽ふてゐた闇が次第に霽(は)れ、彼を壓(あつ)してゐた心の重いものが取り去られてきた。
彼はそこで忽念と啓悟して諸の業障は消え、善根の芽が萌して未だ曾て學ばなかつた三つの妙なる偈が彼の心に生じた。
此の塵といふは欲のこと、土塵ではない
密かに欲を、土塵とはせられた
智(さと)き者はよく、この欲染の塵を拂ふ
これぞ無懺放逸の人でない
此の塵といふは瞋のこと、土塵ではない
密かに瞋を、土塵とはせられた
智きものはよく、この瞋恚の塵を拂ふ
これぞ無懺放逸の人でない
此の塵といふは癡のこと、土塵ではない
密かに愚癡を、土塵とはせられた
智きものはよく、この癡毒の塵を拂ふ
これぞ無懺放逸の人でない
彼はかく誦出した。
そして更に無上精進の心をおこして、三毒の煩惱を斷じ、ほどなく阿羅漢果を證得した。
彼はもはや愛憎の分別に執はれることなく、平等の慈に心を運(めぐ)らして無明の殻を破り、永く樊緣(とらはれ)の籠から脱することができた。
或るとき大路尊者は槃特が端座してゐるところを通りかかつた。
彼はまだ槃特の阿羅漢であることを知らなかつた。
彼は槃特に云つた。
『少し起つて誦を習ひなさい。それからまた考へなさい』
槃特は兄の悲(なさけ)ある言葉をきいて、座ったまま、象王が鼻をのばすやうに、彼の手をそつと長く舒べた。
大路はそれをふりかへつてみて奇特の想をした。
『汝は何か殊勝(すぐ)れた法を證(さと)つたのか』
槃特はしかし何も云はなかつた。
愚かな槃特はかうして遂に證つた。
そのことが外道に聞えた。
外道は且つ驚き、且つ怪しみ次いで佛陀を謗つた。
『愚かな槃特が證つたと。
喬答摩(ゴータマ)はいつも
「我の法は甚深微妙である。
我の法は知り難く悟り難く、思量者(かんがへるもの)の能く測ることの出來ないものである。
ただ大聰叡智の者のみが知ることのできるものである」
と云つてゐるが、それは妄説(うそ)であつた。
愚かな槃特さへ證することの出來る法が何で甚深の敎であらうぞ』
しかし佛陀は槃特が證得したことを悦ばれた。
『阿難よ。
汝は槃特に比丘尼を敎へよと言へよ』
阿難は槃特のところに詣つてそのことを傅へた。
『世尊は何故に大徳長老を措いて、私に命ぜられたのだらうか』
しかし、彼は結局世尊の敎を奉じた。
比丘尼たちはこれを聞いて互に云つた。
『長老たちは女人を輕蔑してゐられる。
三ケ月もかかつて一偈すら誦ずることの出來ない比丘が、どうして妾達を敎へる資格があらうか』
『とにかく試みにきいてみやう』
彼女等は、もし槃特がうまくやらなかつたならば嗤笑(あざわら)ふといふ根膽であつた。
在俗の人達は、槃特がどういふ説法をするかといふ物珍しい心で聚つた。
槃特はその日いつもの通り衣鉢を持つて室羅伐城(シセーバティ)を乞食した。
そして還つて足を洗ひ彼の房に入つて心を鎭めた。
それから日晡時に禪定から起きて一人の比丘尼をしたがへ、比丘尼達がゐる僧園に來た。
彼は師子座の前に來た。
そして比丘尼達を見た。彼女等に恭敬の心がないのを見た。
彼はまづ右手を象王の鼻の如くのばして師子座を按じ、しづかにその座についた。
次で彼は定に入って身を隠し、東方の空に騰つて、四つの威儀を現じ、自ら水火を出して十八變をなした。
南西北方に於いても同様なことをなして本座に還つた。
『私は三月かかつてたつた一つの偈を受けたのみである。
汝らは樂んでその義を聞かうとおもふのか』
比丘尼達はだまつてゐた。
『かりに私が七日七夜を通じて分別しても、その一つの字句の意義を説き盡すことは出來ないのである』
彼は尚續けて云つた。
『私は試みに説かう。
「身にも口にも心にも惡をつくらず」といふ偈の一句がある。
身の惡とは殺、盗、邪淫の三つである。
口惡とは妄語、離間語、麁惡語、綺雑語の四つである。
意惡とは貪瞋邪見等の罪である。
世尊は有情の惡から離れしめるためにこの一句を譬へ玉ふた』
比丘尼達を始め他の人々は驚いた。
そして未曾有のことと嘆じた。
彼の半偈の説法の終わるまで人びとの心には三寶に歸依する心が生じた。
槃特は彼の説法を終つて佛所に詣り、佛のみ足を禮して一面に坐した。
佛は諸の比丘達に云つた。
『汝等比丘よ。
我等の比丘達の中で心に能く解脱しえたものは愚かな槃特、この比丘である』
かくて愚かな槃特は兄の摩訶槃陀迦とともに敎團の一方の長老となることが出來た。
了
ノート
出處 大正蔵経第二三巻、律部二、根本説一切有部毘奈耶巻第三一。