拈華微笑 南無父母不二佛

何でも仏教徒として思いついたことを書きます

令和二年七月五日偲び草「通りがけ母亡き途に涙する」

ラターシュに魅せられてさまへ投稿しました。
http://latache1992.blog56.fc2.com/blog-entry-848.html


「大和撫子小池百合子女史は選挙の結果にかかわらず都知事職を男子大和魂に禅譲するがよい」


阿修羅の豊岳正彦投稿から抜粋転記する。


30. 豊岳正彦[-4838] lkyKeJCzlUY 2020年7月04日 09:17:27
www.asyura2.com/20/senkyo273/msg/818.html#c30


76. 豊岳正彦[-4846] lkyKeJCzlUY 2020年7月05日 08:09:16
www.asyura2.com/20/senkyo273/msg/818.html#c76
(>>77,78,79まで)


>>30つづき


「大和撫子小池百合子女史は選挙の結果にかかわらず都知事職を男子大和魂に禅譲するがよい」



つまり、日本国憲法に従って正当な選挙の結果衆議院議員になり、


日本国憲法に従って正当に内閣総理大臣を拝命し、


日本国憲法に従って外交の最大の問題を解決する日中国交回復を成し遂げ、


日本国憲法を守って内政の最大の問題である戦後の故郷の荒廃と、


故郷の田舎と大都会東京大阪との間に生じた極端な貧富の格差を、


日本列島改造してわずか2年で全国民生活を底上げし全家庭一億総中流階級生活という貧富の格差解消を、


『消費税』など影も形も無い正しい税制の下で成し遂げて、


人類史上空前絶後の、諸外国が奇跡と称賛した『民のかまど』を、


三宝帰依佛教徒(天台宗?)親孝行親切日本人田中角栄氏が為せば成るで仏国土日本に成し遂げたのである。


このように、親に生んでもらって育てられた子どもの時から死ぬまで、


日本国憲法と日本国憲法最高法規第10章を全て守って、


人類史上空前絶後の世界一の立憲法治政治「内政外交」を行った首相、


即ち一億人国家国民家族の父母「慈父」家長は、


中卒で進学せず芸能界という社会に就職した勤労納税国民山本太郎氏と同じ、


最終学歴尋常高等小学校卒の田中角栄内閣総理大臣唯一人である。


http://www.asyura2.com/20/senkyo273/msg/454.html#c39



これは上杉鷹山公の参姫への手紙に全て書かれている、


藩主とその奥方のつとめを、


田中角栄首相とその奥様がともに守り通したからに他ならない。


田中角栄氏が大和魂日本男児の武士道仏道総理であり、


その奥方が大和撫子の内助の功を国主の賢夫人として奥向きで婦徳を尽くして、


家長即ち田中角栄総理が国事にまい進するのをささえ続けた、


ということに他ならない。



阿修羅に上杉鷹山公参姫への手紙を転記したから、


読んでご覧になれば七つの子どもでも、これが日本国憲法と全く同じ仏法であることが判る。



http://www.asyura2.com/20/senkyo273/msg/755.html#c31
「男は戦いで死ぬ者女は家で自分と子の命を守る者」


昔の人は【雌鶏が時を告げれば国が滅ぶ】と言いました。


都民がどうなろうとも我が身だけがかわいい女性知事は直ちに身を引いて、


家の中で子や孫を目の中に入れても痛くないほどかわいがる、


いいおばあちゃんになるべきですね。



http://www.asyura2.com/20/senkyo273/msg/755.html#c37
私の父の実家は代々女性が家長という家系でした。
作家の堀田善衞氏のお家も女性が代々家長だったでしょう?


http://www.asyura2.com/20/senkyo273/msg/755.html#c47
>>37さん
家長が女性でも構わないが、1400万人の家族の家長が女性だったためしがあるかい?


http://www.asyura2.com/20/senkyo273/msg/755.html#c50
上杉鷹山公が孫娘に、
藩主の妻として修身すべき内助の功が大和撫子の婦徳そのものである、
とやさしく諭している部分を抜き書きする。


・・・
 男女の別は人の道において、大きな意義のあるところである。


男は外に向かって外事をし、


女は内にあって、内事を治めるものである。


国を治め、天下の政(まつりごと)を行うといえば、


大変なことのように思われるであろうが、


天下の本は国であり、


国の本は家である。


家がよくととのえられるためには、


一家の男女の行いが正しいことがその根本となる。


根本が乱れて、末が治まることはありえない。


 普通に考えれば、


婦人は政治には関係がないと思われるであろうが、


政治の本は一家の中から起こることであり、


身を治め徳を積み、


夫は妻の天であってこの天にそむいてはならない。


これを常に心に銘記して恭敬を忘れず、


夫に従順であれば、


やがては政事を輔(たす)けることとなるものである。


 あなたはまだ稚(おさな)いので、


人々から程遠い奥向きで徳を積んでみても、


その影響が一国に及ぶはずがないと思われるであろう。


しかし、感通とは妙なもので、


人に知られず身を修めていると、


いつかはそれが知られて、


効果が大いに表われることは疑いのないところである。


『鶴九皐に泣いて声天に聞こゆ


(かく、きゅうこうにないて、せい、てんにきこゆ


・・・鶴は奥深い谷底で鳴いても、


その気品ある泣き声は天に届く。


つまり優れた人物はどこに身を隠しても、


その名声は自然に広く世間に知れ渡るというたとえ)』


と詩経に書かれているのはこのことである。


奥向きで正しく徳のある行いをしておれば、


一国の賢夫人と仰がれるようになる。


そうなれば、


あなたの行いによって人々が感化されないはずがない。


誠があれば、それは決して隠れたままにはならない。


ひたすら努めに努められよ。・・・



と、
国家という大きな家を治める家長即ち統治者は元服男子であり、
家長男子と婚姻した元服女子の最も大事な役割は、
国家という家の中で、
国王という家長を陰から支える内助の功に、
自分自身が大和撫子という女性の身を修め嗜みて常につとめ、
家の天の家長であり国家の天の国王である夫を、
男女の役割即ち士道と婦道の別を弁え表舞台から引いて支える、
慎み深い中にぶれない芯を抱く先祖代々の徳養教養ある大和撫子であってこそ、
国主を支える賢夫人と大きな家族の国民から称賛される、と、
自らが大和魂武士道の鑑として数え十七歳満十五歳元服直後に米沢藩十五万石の藩主を襲名、
と同時に「民の父母」となることを春日大社に血書して誓った、
鷹山公の孫娘に向けた「老婆心」である。


このように心において女は男の心になれないが、男は女の心になれるのである。


ゆえに、民の父母に一人で成れる者は男子に限る、女子では成れぬ。
為政者は必ず男子であることは仏法の理である。


父母とは大慈悲の心である。
あらゆる手だてによって、すべての人を救う大慈の心が慈父。
人とともに病み、人とともに悩む、子を思う母のようにかたときも捨てることなく、
守り、育て、悲(あわ)れむ大悲の心が悲母。
悲母は悩み苦しむ子を見て『お前の悩みは私の悩み』とともに悩む大悲の心で胸に抱き取り、
慈父は母子を見てあらゆる手だてを尽くして守り育て救い取って『お前の楽しみは私の楽しみ』と、
あらゆる手だてを尽くして人とともに働き、人とともに楽しむ大慈の心ですべての人に向かうのである。


民の父母は、水戸黄門光圀公の「人皆楽しむ」偕楽園に現れている。
悲母を慕う水戸黄門光圀公は自分の誕生日に食を絶って潔斎し生母を供養する久昌寺に歌を残した。
『もろ人よ 思い知れかし 己が身の
 誕生の日は 母苦難の日』
上杉鷹山公に魁けて民の父母と伝国の辞を体現した水戸光圀公の偕楽園は、
梅の花が咲き匂う地上の仏国土である。


婦徳とは悲母の大悲に他ならない。
人びと全てが悩み苦しむとき、悲母が上に立ってすべての人を抱き取るだけでは火事も地震も飢餓も行き倒れも治まらない。
慈父の大慈の心で『人とともに働き、人とともに働いて得た成果を分かちあってともに楽しむ』大慈こそが世に必要である。
この慈父は悲母の天である。
これを三つ子の言霊日本語で、
母なる大地、父なる天といふのである。


今東京都民1400万の塗炭の苦しみをその渦中に不惜身命飛び込んで『民の父母』となって救おうと、
大丈夫日本男児山本太郎大和魂が立ち上がった。
都知事選の結果がどうあれ、東京と日本に必要なのは大和魂大丈夫日本男児であり、大和撫子ではない。
選挙の結果にかかわらず小池百合子女史は政治の修羅場から自ら身を引いて、
戦場を大丈夫大和魂に渡すことこそが、
先祖代々大和撫子が終生修身する婦徳の道であり、
悲母観音の菩薩道すなわち仏道である。

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