人は皆能登珠洲正院で世界一男前浦秀一さんに会おう!
人は皆能登珠洲正院で世界一男前浦秀一さんに会おう!
hougakumasahiko.muragon.com/entry/660.html
日本一の男前は世界一の男前である。
facebook.com/photo?fbid=2381049575427352&set=a.104477036417962
日本中の皆さん世界中の皆さん世界一の男前自分を捨てて人のために粉骨砕身する大光王阿弥陀如来様に会いに能登へ能登へとおいでください。能登は優しや土までも。能登で祈れば世界が治まる。
南無無量寿光佛父母恩重経三世十方無辺大慈悲遍照金剛
【幣原喜重郎サンフランシスコ講和条約前の変死真相】
blog.goo.ne.jp/hougakumasahiko6th/e/60a2e74b091bfbba411ca1ca82ea54e8
日本国憲法は幣原喜重郎が作った。マッカーサーも証言した。
http://benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou.html
聞き手は衆議院議員であり、幣原の秘書官であった平野三郎[2]で、聞き取りは、幣原が亡くなる10日ほど前の、1951年・昭和26年(今から73年前)[3]の2月下旬に行われたとされる。
「幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二十一年の一月二十四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。・・・
マッカーサーの草案を持って天皇の御意見を伺いに行った時陛下に反対されたらどうしようか。僕は元帥と会うときは何時も二人切りだったが、陛下のときは吉田君にも立ち会って貰った。しかし心配は無用だった。陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなってもかまわぬ、と言われた。」
このように肺炎がペニシリンで全快した喜重郎はその後ずっと元気で、サンフランシスコ条約で日本が主権回復したら昭和天皇に退位して譲位するよう人知れず進言した。いかに無罪とはいえ国際社会が厳しい目を向けていることを知っていたからで元気な幣原は退位後の選挙で内閣を組織するつもりだった。
ところが平野がこの話を幣原から聞いた10日後突然幣原が急死した。この話の時幣原は矍鑠として意気旺盛だったにもかかわらず。変死である。大正天皇と同じ事態が出来した。変死は犯罪であり犯人が存在する。犯人は昭和天皇である。サンフランシスコに幣原を行かせない為に平野の訪問直後毒殺した。
幣原が全世界に昭和天皇の退位を宣言することを知っていたヒロヒトが憲法1条と99条を破っておつきの忍者に幣原を暗殺させ、代わりに憲法99条を破って吉田茂を単独全権委任大使として派遣して、マッカーサーとの密約ホイットニー文書の「沖縄を米国に譲渡する。」を実現させたのだ。
この昭和天皇の1952年憲法99条違反国家反逆外患誘致援助汚職で、沖縄は全島が米国領土になった。これがアメリカの国連憲章違反密約による対日本領土変更戦争犯罪第2号である。第1号は岩国占領の1945年8月15日である。佐藤栄作が沖縄返還を果たすまで沖縄はアメリカだった。ノーベル平和賞は非核三原則でなく沖縄返還それ自体である。しかし真実を語れば幣原暗殺も明るみに出るので、憲法41条違反放送法NHKが全力で裕仁と吉田茂とマッカーサーの三者共謀極悪戦争犯罪を憲法41条違反日本学術会議法東大慶応大を使って隠蔽したのである。1952年初めそれまでNHKを支配したGHQは帰国したからね。替わってすかさずイスラエルモサドがNHKを占領したのさ。これが唯一無二の真実だ真実は単純。