拈華微笑 南無父母不二佛

何でも仏教徒として思いついたことを書きます

偲び草 巻之二



からの続き



九月二十五日
 思えば母と同じ家で生活をともにして暮らした年月は、生まれてから高三で広島に下宿するまでの17年間と、約三十年前医療法人岩国病院小児科部長に就職して帰岩し、ここ豊岳小児科(この時は父既に亡く元豊岳小児科)自宅で母、私、妻の三人で過ごした僅か半年足らずと、20年前水戸から岩国へ帰ってきて豊岳小児科医院を再興開業して今年母が亡くなるまでの二十年間の総和で、略三十七年間であり、私が現在満62歳だから、これまでの我が人生の約三分の二の期間を母親と同居で生活することができたことになる。
 これを長いと見るか短いと見るかは色々な意見があろうが、実感としては、このたびは余りにも早く短く終わってしまったなあと、慨嘆の思いがひとしお胸に迫るのである。


胸塞ふたぐ 濃いし恋しの 愛執は
 歩めば墜つる 死出の旅路ぞ   雲




九月二十七日   閑


みいちゃんが 初めて家出 三時間


読んでのとおり。
うっかりドアが開いていて気がついたときには三時間以上過ぎていた。エンゼルさんに声を掛けて、岸本さんは留守で、松井さんにも声を掛けて捜したが、猫は見つからんだろうと。
諦めて家に帰ってきたら生け垣の内側にいたので抱き上げたら、突然暴れて両手が血まみれにされた。まあ所詮猫は猫で虎やライオンじゃないから殺されることはなかったが(笑い)うちにあった救急用のキズバンドがゼロになったので、おなじみのコスモス旭町まで補充買いに行って、キズテープだけ内税でしめて4262円。医院備品だから経費である。
怪我でも病気でもなんでも病院へ行くよりコスモスへ行くほうがはるかに安く早く治るのである(笑い)
医者が云うんだから間違いない(大笑い)



十月一日   雲(狂歌)


秋空と共に青天井のごとく天高く上がったものを詠みました(笑い)



消費税 芥(あくた)の如き 2パーでも


 塵(ちり)も積もれば 山となりぬる



令和元年十月朔日   雲居杣人(くもいのそまびと)





十月八日   


亡母葬儀喪主 豊岳正彦 
昭和47年妙心寺授戒名 正彦しょうげん



 十月七日にしたためた前日日曜日十月六日快晴の亡母豊岳悦子松巖院満中陰法要並びに納骨式の様子を、十月八日朝に推敲し清書して上稿する。




 十月六日快晴岩国市藤生町5丁目24-6松巖院に於ける光陰を書き留む


 碧天に朗らかに、松巖院歴代先住墓所豊岳家墓の拈華院千聖不傳居士隣りに、正彦道子貴道手を添え合わせて、微笑院慈惠法悦大姉を納骨す。(則子及び喪主妻さだ美は都合により欠席)


 御導師
福城寺山本禅明老大和尚
豊昌寺豊岳慈明大和尚


 納骨儀立会人
豊岳正太郎様黒瀬豊岳家長男
槇野眞理様
野津山重樹様
野津山泰幸様
豊岳美智子様豊昌寺女房様
黒川富雄様豊岳幹子様御尊父様





謹んで申し上げます。
故豊岳悦子満中陰法要及び納骨の儀は、十月六日快晴の天の下午後一時からの松巖院での法要と納骨を万滞りなく執り行えましたことをもちまして、葬儀を終えることができました。
これもひとえに、松巖院法要に先立つ岩国市山手町豊岳家自宅法要にご参集賜りました遠くの親戚と近くの他人の皆々様方と、遠方から多大なるご厚情を賜りました皆々様方のお陰さまをもちましてのことでございます。
余り有る御恩を賜りまた皆々様から賜りましたお力添えに、遺族一同心から深く深く感謝申し上げ、
皆様にあつくあつく御礼申し上げます。合掌九拝


令和元年十月吉日 喪主 豊岳正彦 合掌礼拝




ー雲居杣人父母院不二正恩居士雑歌ー


松巖の 先住墓所に 還浄す
 拈華微笑の 夫婦一代


碧天に 朗らかに徠し 松巖院
 石鎚臨み 秋の風吹く


松よ巖よ 海の風吹く 山寺に
 鐘ぞ秀づる 微笑一禅


草を刈り 掃き清めたる 山道を
 暫し登りて 清浄華供ふ


六根清浄 拈華微笑
諸悪莫作 衆善奉行


納骨を 終えし堂にて 茶を喫す
 陀羅茶の香り かるかんの悦


経誦みて楽し 香焚きて楽し
苔茂す石庭の借景に石鎚の行雲眺むる楽し
秋の花咲く山道歩き楽し
談笑の花咲く松巖禅堂の楽し


無有不二の 無邊の虚空 伽藍堂
 不立文字の 慈恵満悦


無有不二の 伽藍に盈つる 不立文字
 拈華微笑は 未生大慈悲


拈華微笑 無邊風月 不二不傳
 一切衆生 皆悉成仏


松巖の 風に吹かれて 三昧す
 涅槃寂静 拈華微笑坐


今北か 山の岡なら こうせんか
 鉄の舟漕ぎ 法海をぞ行け




ー悦舟或いは悦女或いは豊岳悦子を偲び草ー  閑人或いは雲居杣人或いは豊岳正彦



母生前私と二人で周防大島をドライブしたときに作った句にこのたび下の句をつけて雑歌にした。


もう無いと 云うた途端に 無尽蔵
 周防の海と 山の幸彦



母生前に松巖院へ納めた悦舟の自由律俳句と定型俳句。


『全身新緑』


『春の海 きらきらきらと 輝けり』



葬儀に際して母生前の墨蹟写経を見ていて見つけ、葬儀の際に仏壇に貼ってお示し申し上げたもの。


『この世は美しい


人の命は甘美なるもの


お釈迦様最後の言葉(ママ)』


・・・・・・・






十月九日   地上げ屋サン所で雲と風天






名前:もう更新 あっと驚く 通りがけ
タイトル:なんか俳句も得意なんだけど受けないかも(笑い)
本文:
なんと!
前のエントリーでツカミも読み切らないで、
しかもいち米の短いのを投稿して、
あと2米は長いのにしようかなと楽しみにする間もなく、
一週間で更新されちゃいました(笑い)
地上げ屋サン、ホントにどこも悪くないんですか?(笑い)


なんかまえの強化米じゃなかた狂歌米が受けたみたいなので、
軽薄なわたくしはすぐに調子に乗ってもう一首てきとーにてっとりばやく作ってみました(笑い)
NHKが味噌じゃなかった糞ですな(大笑い)



一〇月九日 雲


消費税 憲法違反の 人頭税


 マイナンバーで 焼き印済みよ(笑い)


 
(笑い)が字余りになっちまいました、まいっちんぐ(古っ!)



古いついでにもう一句



古もの屋 買わず飛び込む 税の音



   風流風天でした(笑い)



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つづく


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