拈華微笑 南無父母不二佛

何でも仏教徒として思いついたことを書きます

花のき村と盗人たち 新美南吉




 むかし、花(はな)のき村に、五人組の盗人(ぬすびと)がやって来ました。


 それは、若竹(わかたけ)が、あちこちの空(そら)に、かぼそく、ういういしい緑色(みどりいろ)の芽(め)をのばしている初夏(しょか)のひるで、松林(まつばやし)では松蝉(まつぜみ)が、ジイジイジイイと鳴(な)いていました。


 盗人たちは、北から川に沿(そ)ってやって来ました。


花のき村の入り口のあたりは、すかんぽやうまごやしの生(は)えた緑の野原(のはら)で、子供(こども)や牛が遊んでおりました。


これだけを見ても、この村が平和な村であることが、盗人たちにはわかりました。


そして、こんな村には、お金(かね)やいい着物(きもの)を持った家があるに違(ちが)いないと、もう喜(よろ)こんだのでありました。



 川は藪(やぶ)の下(した)を流れ、そこにかかっている一つの水車(すいしゃ)をゴトンゴトンとまわして、村の奥深(おくふか)くはいっていきました。



 藪のところまで来ると、盗人のうちのかしらが、いいました。


「それでは、わしはこの藪のかげで待っているから、おまえらは、村のなかへはいっていって様子(ようす)を見て来(こ)い。


なにぶん、おまえらは盗人になったばかりだから、へまをしないように気をつけるんだぞ。


金のありそうな家を見たら、そこの家のどの窓(まど)がやぶれそうか、そこの家に犬(いぬ)がいるかどうか、よっくしらべるのだぞ。


いいか釜右ヱ門(かまえもん)。」


「へえ。」


と釜右ヱ門が答(こた)えました。


これは昨日(きのう)まで旅(たび)あるきの釜師(かまし)で、釜(かま)や茶釜(ちゃがま)をつくっていたのでありました。


「いいか、海老之丞(えびのじょう)。」


「へえ。」


と海老之丞が答えました。


これは昨日まで錠前屋(じょうまえや)で、家々(いえいえ)の倉(くら)や長持(ながもち)などの錠(じょう)をつくっていたのでありました。


「いいか角兵ヱ(かくべえ)。」


「へえ。」


とまだ少年(しょうねん)の角兵ヱが答えました。


これは越後(えちご)から来(き)た角兵ヱ獅子(かくべえじし)で、昨日までは、家々の閾(しきい)の外で、逆立(さかだ)ちしたり、とんぼがえりをうったりして、一文(もん)二文(もん)の銭(ぜに)を貰(もら)っていたのでありました。


「いいか鉋太郎(かんなたろう)。」


「へえ。」


と鉋太郎が答えました。


これは、江戸(えど)から来た大工(だいく)の息子(むすこ)で、昨日までは諸国(しょこく)のお寺(てら)や神社(じんじゃ)の門などのつくりを見て廻(まわ)り、大工の修業(しゅぎょう)していたのでありました。


「さあ、みんな、いけ。


わしは親方(おやかた)だから、ここで一服(いっぷく)すいながらまっている。」



 そこで盗人の弟子(でし)たちが、釜右ヱ門は釜師のふりをし、海老之丞は錠前屋のふりをし、角兵ヱは獅子(しし)まいのように笛(ふえ)をヒャラヒャラ鳴(な)らし、鉋太郎は大工のふりをして、花のき村にはいりこんでいきました。



 かしらは弟子どもがいってしまうと、どっかと川ばたの草の上に腰(こし)をおろし、弟子どもに話したとおり、たばこをスッパ、スッパとすいながら、盗人のような顔(かお)つきをしていました。


これは、ずっとまえから火(ひ)つけや盗人(ぬすびと)をして来たほんとうの盗人(ぬすびと)でありました。


「わしも昨日までは、ひとりぼっちの盗人であったが、今日(きょう)は、はじめて盗人の親方というものになってしまった。


だが、親方になって見ると、これはなかなかいいもんだわい。


仕事(しごと)は弟子どもがして来てくれるから、こうして寝()ねころんで待(ま)っておればいいわけである。」


とかしらは、することがないので、そんなつまらないひとりごとをいってみたりしていました。



 やがて弟子の釜右ヱ門が戻(もど)って来ました。


「おかしら、おかしら。」



 かしらは、ぴょこんとあざみの花のそばから体(からだ)を起(お)こしました。


「えいくそッ、びっくりした。


おかしらなどと呼(よ)ぶんじゃねえ、魚(さかな)の頭(あたま)のように聞(き)こえるじゃねえか。


ただかしらといえ。」



 盗人になりたての弟子は、


「まことに相(あい)すみません。」


とあやまりました。


「どうだ、村の中の様子は。」


とかしらがききました。


「へえ、すばらしいですよ、かしら。


ありました、ありました。」


「何が。」


「大きい家がありましてね、そこの飯炊(めした)き釜は、まず三斗(と)ぐらいは炊(た)ける大釜(おおがま)でした。


あれはえらい銭(ぜに)になります。


それから、お寺に吊(つ)ってあった鐘(かね)も、なかなか大きなもので、あれをつぶせば、まず茶釜が五十はできます。


なあに、あっしの眼(め)に狂(くる)いはありません。


嘘(うそ)だと思(おも)うなら、あっしが造(つく)って見せましょう。」


「馬鹿馬鹿(ばかばか)しいことに威張(いば)るのはやめろ。」


とかしらは弟子を叱(しか)りつけました。


「きさまは、まだ釜師根性(かましこんじょう)がぬけんからだめだ。


そんな飯炊き釜や吊鐘(つりがね)などばかり見てくるやつがあるか。


それに何(なん)だ、その手に持っている、穴(あな)のあいた鍋(なべ)は。」


「へえ、これは、その、或る家の前を通(とお)りますと、槙(まき)の木の生垣(いけがき)にこれがかけて干(ほ)してありました。


見るとこの、尻(しり)に穴があいていたのです。


それを見たら、じぶんが盗人であることをつい忘れてしまって、この鍋、二十文でなおしましょう、とそこのおかみさんにいってしまったのです。」


「何というまぬけだ。


じぶんのしょうばいは盗人だということをしっかり肚(はら)にいれておらんから、そんなことだ。」


と、かしらはかしららしく、弟子に教(おし)えました。


そして、


「もういっぺん、村にもぐりこんで、しっかり見なおして来い。」


と命(めい)じました。


釜右ヱ門は、穴のあいた鍋をぶらんぶらんとふりながら、また村にはいっていきました。



 こんどは海老之丞がもどって来ました。


「かしら、ここの村はこりゃだめですね。」


と海老之丞は力(ちから)なくいいました。


「どうして。」


「どの倉(くら)にも、錠(じょう)らしい錠は、ついておりません。


子供(こども)でもねじきれそうな錠が、ついておるだけです。


あれじゃ、こっちのしょうばいにゃなりません。」


「こっちのしょうばいというのは何だ。」


「へえ、……錠前(じょうまえ)……屋(や)。」


「きさまもまだ根性(こんじょう)がかわっておらんッ。」


とかしらはどなりつけました。


「へえ、相すみません。」


「そういう村こそ、こっちのしょうばいになるじゃないかッ。


倉があって、子供でもねじきれそうな錠しかついておらんというほど、こっちのしょうばいに都合(つごう)のよいことがあるか。


まぬけめが。


もういっぺん、見なおして来い。」


「なるほどね。


こういう村こそしょうばいになるのですね。」


と海老之丞は、感心(かんしん)しながら、また村にはいっていきました。



 次(つぎ)にかえって来たのは、少年(しょうねん)の角兵ヱでありました。


角兵ヱは、笛(ふえ)を吹(ふ)きながら来たので、まだ藪(やぶ)の向こうで姿(すがた)の見えないうちから、わかりました。


「いつまで、ヒャラヒャラと鳴(な)らしておるのか。


盗人(ぬすびと)はなるべく音(おと)をたてぬようにしておるものだ。」


とかしらは叱りました。


角兵ヱは吹くのをやめました。


「それで、きさまは何を見て来たのか。」


「川についてどんどん行きましたら、花菖蒲(はなしょうぶ)を庭(にわ)いちめんに咲(さ)かせた小(ちい)さい家がありました。」


「うん、それから?」


「その家の軒下(のきした)に、頭(あたま)の毛(け)も眉毛(まゆげ)もあごひげもまっしろな爺(じい)さんがいました。」


「うん、その爺さんが、小判(こばん)のはいった壺(つぼ)でも縁(えん)の下に隠(かく)していそうな様子だったか。」


「そのお爺さんが竹笛(たけぶえ)を吹いておりました。


ちょっとした、つまらない竹笛だが、とてもええ音(ね)がしておりました。


あんな、不思議(ふしぎ)に美(うつく)しい音(ね)ははじめてききました。


おれがききとれていたら、爺さんはにこにこしながら、三つ長(なが)い曲(きょく)をきかしてくれました。


おれは、お礼(れい)に、とんぼがえりを七へん、つづけざまにやって見せました。」


「やれやれだ。


それから?」


「おれが、その笛はいい笛だといったら、笛竹(ふえたけ)の生(は)えている竹藪(たけやぶ)を教(おし)えてくれました。


そこの竹で作(つく)った笛だそうです。


それで、お爺さんの教えてくれた竹藪へいって見ました。


ほんとうにええ笛竹が、何百(なんびゃく)すじも、すいすいと生えておりました。」


「昔(むかし)、竹の中(なか)から、金(きん)の光(ひかり)がさしたという話(はなし)があるが、どうだ、小判(こばん)でも落(お)ちていたか。」


「それから、また川をどんどんくだっていくと小さい尼寺(あまでら)がありました。
そこで花(はな)の撓(とう)がありました。


お庭(にわ)にいっぱい人(ひと)がいて、おれの笛くらいの大きさのお釈迦(しゃか)さまに、あま茶(ちゃ)の湯(ゆ)をかけておりました。


おれもいっぱいかけて、それからいっぱい飲ましてもらって来ました。


茶わんがあるならかしらにも持って来てあげましたのに。」


「やれやれ、何という罪(つみ)のねえ盗人(ぬすびと)だ。


そういう人ごみの中では、人のふところや袂(たもと)に気(き)をつけるものだ。


とんまめが、もういっぺんきさまもやりなおして来い。


その笛はここへ置(お)いていけ。」



 角兵ヱ(かくべえ)は叱られて、笛を草(くさ)の中へおき、また村にはいっていきました。



 おしまいに帰って来たのは鉋太郎(かんなたろう)でした。


「きさまも、ろくなものは見て来なかったろう。」


と、きかないさきから、かしらがいいました。


「いや、金持(かねもち)がありました、金持(かねもち)が。」


と鉋太郎は声(こえ)をはずませていいました。


金持ときいて、かしらはにこにことしました。


「おお、金持か。」


「金持です、金持です。


すばらしいりっぱな家でした。」


「うむ。」


「その座敷(ざしき)の天井(てんじょう)と来(き)たら、さつま杉(すぎ)の一枚板(いちまいいた)なんで、こんなのを見たら、うちの親父(おやじ)はどんなに喜(よろ)こぶかも知(し)れない、と思って、あっしは見(み)とれていました。」


「へっ、面白(おもしろ)くもねえ。


それで、その天井をはずしてでも来る気かい。」



 鉋太郎(かんなたろう)は、じぶんが盗人の弟子であったことを思い出(だ)しました。


盗人(ぬすびと)の弟子(でし)としては、あまり気が利(き)かなかったことがわかり、鉋太郎はバツのわるい顔(かお)をしてうつむいてしまいました。



 そこで鉋太郎も、もういちどやりなおしに村にはいっていきました。


「やれやれだ。」


と、ひとりになったかしらは、草(くさ)の中へ仰向(あおむ)けにひっくりかえっていいました。


「盗人(ぬすびと)のかしらというのもあんがい楽(らく)なしょうばいではないて。」





 とつぜん、


「ぬすとだッ。」


「ぬすとだッ。」


「そら、やっちまえッ。」


という、おおぜいの子供(こども)の声(こえ)がしました。


子供の声でも、こういうことを聞いては、盗人としてびっくりしないわけにはいかないので、かしらはひょこんと跳(と)びあがりました。


そして、川にとびこんで向岸(むこうぎし)へ逃(に)げようか、藪(やぶ)の中にもぐりこんで、姿(すがた)をくらまそうか、と、とっさのあいだに考(かんが)えたのであります。



 しかし子供達(こどもたち)は、縄切(なわき)れや、おもちゃの十手(じって)をふりまわしながら、あちらへ走っていきました。


子供達は盗人(ぬすびと)ごっこをしていたのでした。


「なんだ、子供達の遊(あそ)びごとか。」


とかしらは張(は)り合(あ)いがぬけていいました。


「遊びごとにしても、盗人ごっことはよくない遊びだ。


いまどきの子供はろくなことをしなくなった。


あれじゃ、さきが思いやられる。」



 じぶんが盗人のくせに、かしらはそんなひとりごとをいいながら、また草の中にねころがろうとしたのでありました。


そのときうしろから、


「おじさん。」


と声(こえ)をかけられました。


ふりかえって見ると、七歳(さい)くらいの、かわいらしい男(おとこ)の子が牛(うし)の仔(こ)をつれて立(た)っていました。


顔だちの品(ひん)のいいところや、手足の白いところを見ると、百姓(ひゃくしょう)の子供とは思われません。


旦那衆(だんなしゅう)の坊(ぼっ)ちゃんが、下男(げなん)について野あそびに来て、下男にせがんで仔牛(こうし)を持たせてもらったのかも知れません。


だがおかしいのは、遠くへでもいく人のように、白い小さい足に、小さい草鞋(わらじ)をはいていることでした。


「この牛、持っていてね。」



 かしらが何もいわないさきに、子供はそういって、ついとそばに来て、赤い手綱(たづな)をかしらの手にあずけました。



 かしらはそこで、何かいおうとして口をもぐもぐやりましたが、まだいい出さないうちに子供は、あちらの子供たちのあとを追って走っていってしまいました。


あの子供たちの仲間(なかま)になるために、この草鞋をはいた子供はあとをも見ずにいってしまいました。



 ぼけんとしているあいだに牛の仔を持たされてしまったかしらは、くッくッと笑いながら牛の仔を見ました。



 たいてい牛の仔というものは、そこらをぴょんぴょんはねまわって、持っているのがやっかいなものですが、この牛の仔はまたたいそうおとなしく、ぬれたうるんだ大きな眼をしばたたきながら、かしらのそばに無心(むしん)に立っているのでした。


「くッくッくッ。」


とかしらは、笑いが腹(はら)の中からこみあげてくるのが、とまりませんでした。


「これで弟子たちに自慢(じまん)ができるて。


きさまたちが馬鹿(ばか)づらさげて、村の中をあるいているあいだに、わしはもう牛の仔をいっぴき盗んだ、といって。」



 そしてまた、くッくッくッと笑いました。


あんまり笑ったので、こんどは涙(なみだ)が出て来ました。


「ああ、おかしい。


あんまり笑ったんで涙が出て来やがった。」



 ところが、その涙が、流れて流れてとまらないのでありました。


「いや、はや、これはどうしたことだい、わしが涙を流すなんて、これじゃ、まるで泣いてるのと同じじゃないか。」



 そうです。


ほんとうに、盗人のかしらは泣いていたのであります。


――かしらは嬉(うれ)しかったのです。


じぶんは今まで、人から冷(つめ)たい眼でばかり見られて来ました。


じぶんが通ると、人々はそら変(へん)なやつが来たといわんばかりに、窓(まど)をしめたり、すだれをおろしたりしました。


じぶんが声をかけると、笑いながら話しあっていた人たちも、きゅうに仕事のことを思い出したように向こうをむいてしまうのでありました。


池の面(おもて)にうかんでいる鯉(こい)でさえも、じぶんが岸に立つと、がばッと体(たい)をひるがえしてしずんでいくのでありました。


あるとき猿廻(さるまわ)しの背中(せなか)に負(お)われている猿に、柿(かき)の実(み)をくれてやったら、一口(ひとくち)もたべずに地(じ)べたにすててしまいました。


みんながじぶんを嫌(きら)っていたのです。


みんながじぶんを信用(しんよう)してはくれなかったのです。


ところが、この草鞋をはいた子供は、盗人であるじぶんに牛の仔をあずけてくれました。


じぶんをいい人間(にんげん)であると思ってくれたのでした。


またこの仔牛(こうし)も、じぶんをちっともいやがらず、おとなしくしております。


じぶんが母牛(ははうし)ででもあるかのように、そばにすりよっています。


子供も仔牛も、じぶんを信用しているのです。


こんなことは、盗人のじぶんには、はじめてのことであります。


人に信用されるというのは、何といううれしいことでありましょう。……



 そこで、かしらはいま、美(うつく)しい心になっているのでありました。


子供のころにはそういう心になったことがありましたが、あれから長い間、わるい汚(きたな)い心でずっといたのです。


久(ひさ)しぶりでかしらは美しい心になりました。


これはちょうど、垢(あか)まみれの汚い着物を、きゅうに晴着(はれぎ)にきせかえられたように、奇妙(きみょう)なぐあいでありました。



 ――かしらの眼から涙が流れてとまらないのはそういうわけなのでした。



 やがて夕方(ゆうがた)になりました。


松蝉は鳴きやみました。


村からは白い夕(ゆう)もやがひっそりと流れだして、野の上にひろがっていきました。


子供たちは遠くへいき、「もういいかい。」「まあだだよ。」という声が、ほかのもの音(おと)とまじりあって、ききわけにくくなりました。



 かしらは、もうあの子供が帰って来るじぶんだと思って待っていました。


あの子供が来たら、「おいしょ。」と、盗人と思われぬよう、こころよく仔牛をかえしてやろう、と考えていました。



 だが、子供たちの声は、村の中へ消えていってしまいました。


草鞋の子供は帰って来ませんでした。


村の上にかかっていた月が、かがみ職人(しょくにん)の磨(みが)いたばかりの鏡(かがみ)のように、ひかりはじめました。


あちらの森でふくろうが、二声(ふたこえ)ずつくぎって鳴きはじめました。



 仔牛はお腹(なか)がすいて来たのか、からだをかしらにすりよせました。


「だって、しようがねえよ。


わしからは乳(ちち)は出(で)ねえよ。」



 そういってかしらは、仔牛のぶちの背中をなでていました。


まだ眼から涙が出ていました。



 そこへ四人の弟子がいっしょに帰って来ました。





 「かしら、ただいま戻りました。


おや、この仔牛はどうしたのですか。


ははア、やっぱりかしらはただの盗人じゃない。


おれたちが村を探(さぐ)りにいっていたあいだに、もうひと仕事しちゃったのだね。」



 釜右ヱ門が仔牛を見ていいました。


かしらは涙にぬれた顔を見られまいとして横をむいたまま、


「うむ、そういってきさまたちに自慢(じまん)しようと思っていたんだが、じつはそうじゃねえのだ。


これにはわけがあるのだ。」


といいました。


「おや、かしら、涙……じゃございませんか。」


と海老之丞が声を落(お)としてききました。


「この、涙てものは、出はじめると出るもんだな。」


といって、かしらは袖(そで)で眼をこすりました。


「かしら、喜んで下(くだ)せえ、こんどこそは、おれたち四人、しっかり盗人根性(ぬすっとこんじょう)になって探(さ)ぐって参(まい)りました。


釜右ヱ門は金(きん)の茶釜のある家を五軒見とどけますし、
海老之丞は、五つの土蔵(どぞう)の錠をよくしらべて、曲(ま)がった釘(くぎ)一本(ぽん)であけられることをたしかめますし、
大工(だいく)のあッしは、この鋸(のこぎり)で難(なん)なく切れる家尻(やじり)を五つ見て来ましたし、
角兵ヱは角兵ヱでまた、足駄(あしだ)ばきで跳(と)び越えられる塀(へい)を五つ見て来ました。


かしら、おれたちはほめて頂(いただ)きとうございます。」


と鉋太郎(かんなたろう)が意気(いき)ごんでいいました。


しかしかしらは、それに答えないで、


「わしはこの仔牛をあずけられたのだ。


ところが、いまだに、取りに来ないので弱(よわ)っているところだ。


すまねえが、おまえら、手わけして、預けていった子供を探(さが)してくれねえか。」


「かしら、あずかった仔牛をかえすのですか。」


と釜右ヱ門が、のみこめないような顔でいいました。


「そうだ。」


「盗人でもそんなことをするのでごぜえますか。」


「それにはわけがあるのだ。


これだけはかえすのだ。」


「かしら、もっとしっかり盗人根性になって下(くだ)せえよ。」


と鉋太郎がいいました。



 かしらは苦笑(にがわら)いしながら、弟子たちにわけをこまかく話してきかせました。


わけをきいて見れば、みんなにはかしらの心持(こころも)ちがよくわかりました。



 そこで弟子たちは、こんどは子供をさがしにいくことになりました。


「草鞋をはいた、かわいらしい、七つぐれえの男坊主(おとこぼうず)なんですね。」


とねんをおして、四人の弟子は散(ち)っていきました。


かしらも、もうじっとしておれなくて、仔牛をひきながら、さがしにいきました。



 月のあかりに、野茨(のいばら)とうつぎの白い花がほのかに見えている村の夜を、五人の大人(おとな)の盗人が、一匹(ぴき)の仔牛をひきながら、子供をさがして歩いていくのでありました。



 かくれんぼのつづきで、まだあの子供がどこかにかくれているかも知れないというので、盗人たちは、みみずの鳴いている辻堂(つじどう)の縁の下や柿の木の上や、物置(ものおき)の中や、いい匂(にお)いのする蜜柑(みかん)の木のかげを探(さ)がしてみたのでした。


人にきいてもみたのでした。



 しかし、ついにあの子供は見あたりませんでした。


百姓達(ひゃくしょうたち)は提燈(ちょうちん)に火を入れて来て、仔牛をてらして見たのですが、こんな仔牛はこの辺(あた)りでは見たことがないというのでした。


「かしら、こりゃ夜(よ)っぴて探(さが)してもむだらしい、もう止(よ)しましょう。」


と海老之丞がくたびれたように、道ばたの石に腰をおろしていいました。


「いや、どうしても探(さが)し出して、あの子供にかえしたいのだ。」


とかしらはききませんでした。


「もう、てだてがありませんよ。


ただひとつ残っているてだては、村役人(むらやくにん)のところへ訴(うった)えることだが、かしらもまさかあそこへは行きたくないでしょう。」


と釜右ヱ門がいいました。


村役人というのは、いまでいえば駐在巡査(ちゅうざいじゅんさ)のようなものであります。


「うむ、そうか。」


とかしらは考えこみました。そしてしばらく仔牛の頭をなでていましたが、やがて、


「じゃ、そこへ行こう。」


といいました。


そしてもう歩きだしました。


弟子たちはびっくりしましたが、ついていくよりしかたがありませんでした。



 たずねて村役人の家へいくと、あらわれたのは、鼻の先(さき)に落ちかかるように眼鏡(めがね)をかけた老人(ろうじん)でしたので、盗人たちはまず安心しました。


これなら、いざというときに、つきとばして逃げてしまえばいいと思ったからであります。



 かしらが、子供のことを話(はな)して、


「わしら、その子供を見失(みうしな)って困(こま)っております。」


といいました。



 老人は五人の顔を見まわして、


「いっこう、このあたりで見受(みう)けぬ人ばかりだが、どちらから参(まい)った。」


とききました。


「わしら、江戸から西の方(ほう)へいくものです。」


「まさか盗人(ぬすびと)ではあるまいの。」


「いや、とんでもない。


わしらはみな旅(たび)の職人(しょくにん)です。


釜師や大工や錠前屋などです。」


とかしらはあわてていいました。


「うむ、いや、変なことをいってすまなかった。


お前達は盗人(ぬすびと)ではない。


盗人が物をかえすわけがないでの。


盗人なら、物をあずかれば、これさいわいとくすねていってしまうはずだ。


いや、せっかくよい心で、そうして届(とど)けに来たのを、変なことを申(もう)してすまなかった。


いや、わしは役目(やくめ)がら、人を疑(うたが)うくせになっているのじゃ。


人を見さえすれば、こいつ、かたりじゃないか、すりじゃないかと思うようなわけさ。


ま、わるく思わないでくれ。」


と老人はいいわけをしてあやまりました。


そして、仔牛はあずかっておくことにして、下男(げなん)に物置の方へつれていかせました。


「旅で、みなさんお疲(つか)れじゃろ、わしはいまいい酒(さけ)をひとびん西の館(やかた)の太郎(たろう)どんからもらったので、月を見ながら縁側(えんがわ)でやろうとしていたのじゃ。


いいとこへみなさんこられた。


ひとつつきあいなされ。」



 ひとの善(よ)い老人はそういって、五人の盗人を縁側につれていきました。


 
そこで酒をのみはじめましたが、五人の盗人と一人の村役人はすっかり、くつろいで、十年もまえからの知り合いのように、ゆかいに笑ったり話したりしたのでありました。



 するとまた、盗人のかしらはじぶんの眼が涙をこぼしていることに気がつきました。


それを見た老人の役人は、


「おまえさんは泣き上戸(じょうご)と見える。


わしは笑い上戸(じょうご)で、泣いている人を見るとよけい笑えて来る。


どうか悪(わる)く思わんでくだされや、笑うから。」


といって、口をあけて笑うのでした。


「いや、この、涙というやつは、まことにとめどなく出るものだね。」


とかしらは、眼をしばたきながらいいました。



 それから五人の盗人(ぬすびと)は、お礼をいって村役人(むらやくにん)の家を出ました。



 門を出て、柿の木のそばまで来ると、何か思い出したように、かしらが立ちどまりました。


「かしら、何か忘れものでもしましたか。」


と鉋太郎がききました。


「うむ、忘れもんがある。


おまえらも、いっしょにもういっぺん来い。」


といって、かしらは弟子をつれて、また役人の家にはいっていきました。


「御老人(ごろうじん)。」


とかしらは縁側に手をついていいました。


「何だね、しんみりと。


泣き上戸のおくの手が出るかな。


ははは。」


と老人は笑いました。


「わしらはじつは盗人(ぬすびと)です。


わしがかしらでこれらは弟子です。」



 それをきくと老人は眼をまるくしました。


「いや、びっくりなさるのはごもっともです。


わしはこんなことを白状(はくじょう)するつもりじゃありませんでした。


しかし御老人が心のよいお方(かた)で、わしらをまっとうな人間のように信じていて下さるのを見ては、わしはもう御老人をあざむいていることができなくなりました。」



 そういって盗人のかしらは今までして来たわるいことをみな白状してしまいました。


そしておしまいに、


「だが、これらは、昨日わしの弟子になったばかりで、まだ何も悪いことはしておりません。


お慈悲(じひ)で、どうぞ、これらだけは許(ゆる)してやって下さい。」


といいました。




 次の朝、花のき村から、釜師と錠前屋と大工と角兵ヱ獅子とが、それぞれべつの方へ出ていきました。


四人はうつむきがちに、歩いていきました。


かれらはかしらのことを考えていました。


よいかしらであったと思っておりました。


よいかしらだから、最後(さいご)にかしらが「盗人(ぬすびと)にはもうけっしてなるな。」といったことばを、守らなければならないと思っておりました。



 角兵ヱは川のふちの草の中から笛を拾(ひろ)ってヒャラヒャラと鳴らしていきました。






 こうして五人の盗人は、改心(かいしん)したのでしたが、そのもとになったあの子供はいったい誰(だれ)だったのでしょう。


花のき村の人々は、村を盗の難(なん)から救(すく)ってくれた、その子供を探(さが)して見たのですが、けっきょくわからなくて、ついには、こういうことにきまりました、


――それは、土橋(どばし)のたもとにむかしからある小さい地蔵(じぞう)さんだろう。


草鞋(わらじ)をはいていたというのがしょうこである。


なぜなら、どういうわけか、この地蔵さんには村人(むらびと)たちがよく草鞋をあげるので、ちょうどその日も新しい小さい草鞋が地蔵さんの足もとにあげられてあったのである。


――というのでした。



 地蔵さんが草鞋をはいて歩いたというのは不思議なことですが、世の中にはこれくらいの不思議はあってもよいと思われます。


それに、これはもうむかしのことなのですから、どうだって、いいわけです。


でもこれがもしほんとうだったとすれば、花のき村の人々がみな心の善(よ)い人々だったので、地蔵さんが盗人から救ってくれたのです。


そうならば、また、村というものは、心のよい人々が住まねばならぬということにもなるのであります。





底本:「ごんぎつね・夕鶴 少年少女日本文学館第十五巻」講談社
   1986(昭和61)年4月18日第1刷発行
   1993(平成5)年2月25日第13刷発行
初出:「花のき村と盗人たち」帝国教育会出版部
   1943(昭和18)年9月30日
入力:田浦亜矢子
校正:もりみつじゅんじ
1999年10月25日公開
2012年5月8日修正
青空文庫作成ファイル:
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●表記について
このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。


●図書カードwww.aozora.gr.jp/cards/000121/files/630_21624.html

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