拈華微笑 南無父母不二佛

何でも仏教徒として思いついたことを書きます

幸若舞『敦盛』(全文)

幸若舞『敦盛』(全文) (下線は織田信長が桶狭間合戦の前に、幸若舞をひと差し舞ったとされる一節。)  yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/pg425.html  そも/\、此たび平家一の谷の合戦に、御一門、侍大将、総じて以上十六人の組足のその中に、もののあはれを留めしは、相国の御弟経盛の御子息に、無官の太夫敦盛にて、もののあはれを留めたり。その日の御装束、い…

「佛陀を繞りて」山崎精華:昭和2年11月25日大雄閣発行《愚かな槃特》

愚かな槃特 (太陰暦)  『佛陀を繞りて』十五(365~387頁) 山崎精華譯著 大雄閣出版(昭和二年十一月)  一  出生  拘薩羅(コーサラ)國舎衞城に一人の婆羅門がゐた。彼は妻を娶つて何不自由なく暮らしてゐた。然しどうしたことか、彼等の間に出來た子は、生れるとすぐ死んでいつた。  あるとき彼の妻はまた姙娠した。然し彼はいつものやうに悦ばなかつた。彼は手を頬にあてゝ、憂はしげに坐つた。  隣…

「佛陀を繞りて」山崎精華:昭和2年11月25日大雄閣発行《無怨能勝怨》(太陰暦)

無怨能勝怨  (太陰暦) 『佛陀を繞りて』四(六四~八〇頁)  山崎精華譯著 大雄閣出版(昭和二年十一月)  拘睒彌(コーサムビ)の比丘等は闘訟を好み、諸の惡事をなし、戲論(げろん)に耽り、ともすると刀杖を加へることがあつた。 あるとき佛はこれを誡しめられた。 『比丘等よ。 汝等は互に諍論を愼み、辨(わきま)へずして事の是非をさだめてはならない。 相共に和合し、一師の侶(ともがら)であれ、 水乳…

「佛陀を繞りて」山崎精華:昭和2年11月25日大雄閣発行《狂指鬘》

狂指鬘 (太陰暦) 『佛陀を繞りて』五  八一~九六頁  山崎精華譯著 大雄閣出版(昭和二年十一月)  佛陀成道二十年を過ぎた頃、舎衞城(しゃえじょう)に殺人鬼があらはれた。彼は四衢道(よつつじ)に立つて、悪鬼に蠱(とら)はれたる如くその心を耗亂(かきみだ)し、瞋目噴咤、悲怒激憤して利刄を翳し、人を得ればこれを殺害(ころ)しその指を斬取つて鬘(くびかざり)をつヾつた。城中の人々は毒蛇虎狼の如く懼…