拈華微笑 南無父母不二佛

何でも仏教徒として思いついたことを書きます

父母恩重経

『父母恩重経』ぶもおんじゅうきょう(和訓)




是(かく)の如く 我れ聞けり。


或る時、佛、王舎城(おうしゃじょう)の耆闍崛山(ぎしゃくつせん)中に菩薩声聞(しょうもん)の衆と倶(とも)にましましければ、


比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・一切諸天の人民(にんみん)・および龍鬼神等、法を聞かんとて、来たり集まり、


一心に寶座(ほうざ)を囲繞(いにょう)して、瞬(またた)きもせで尊顔を仰ぎ見たりき。


是のとき、佛、すなわち法を説いて宣(のたま)わく。


一切の善男子・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。


そのゆえは、人の此の世に生まるゝは、宿業(しゅくごう)を因として、父母(ちちはは)を縁とせり。


父にあらされば生(しょう)ぜず、母にあらざれば育てられず。


ここを以て氣を父の胤(たね)に稟(う)けて形を母の胎(たい)に托(たく)す。


此の因縁を以ての故に、悲母(ひも)の子を念(おも)うこと世間に比(たぐ)いあることなく、その恩未形(みぎょう)に及べり。


始め胎に受けしより十月を經(ふ)るの間、行・住・坐・臥(ぎょう・じゅう・ざ・が)ともに、もろもろの苦惱を受く。


苦惱休(や)む時なきが故に、常に好める飲食(おんじき)・衣服(えぶく)を得(う)るも、愛欲の念を生ぜず、


唯だ一心に安く生産(しょうさん)せんことを思う。


月滿ち日足りて、生産(しょうさん)の時至れば、業風(ごっぷう)吹きて、之れを促し、


骨節(ほねふし)ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れて、其の苦しみ堪(た)えがたし、


父も心身戦(おのの)き怖(おそ)れて母と子とを憂念(ゆうねん)し諸親眷属(しょしんけんぞく)皆な悉(ことごと)く苦惱す。


既に生まれて草上に墮(お)つれば、父母の喜び限りなきこと猶(な)ほ貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいじゅ)を得たるがごとし。


その子聲(こえ)を發すれば、母も初めて此の世に生まれ出でたるが如し。


爾來(それより)母の懐(ふところ)を寝處(ねどこ)となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情(なさけ)を生命(いのち)となす。


飢えたるとき食を需(もと)むるに母にあらざれば哺(くら)わず、渇(かわ)けるとき飲料(のみもの)を索(もと)むるに母にあらざれば咽(の)まず、


寒きとき服(きもの)を加うるに母にあらざれば着ず、暑きとき衣(きもの)を撒(さ)るに母にあらざれば脱がず。


母飢(うえ)に中(あた)る時も哺(ふく)めるを吐きて子に食(くら)わしめ、母寒きに苦しむ時も着たるを脱ぎて子に被(こうむ)らす。


母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。


その闌車(らんしゃ)を離るるに及べば、十指(じっし)の甲(つめ)の中に、子の不浄を食らう。


計るに人々、母の乳を飲むこと一百八十斛(こく)となす。


父母(ちちはは)の恩重きこと天の極(きわ)まり無きが如し。


母、東西の隣里に傭(やと)われて、或(あるい)は水汲み、或は火燒(ひた)き、或は碓(うす)つき、或は磨挽(うすひ)き、種々の事に服従して


家に還(かえ)るの時、未だ至らざるに、今や吾が兒(こ)、吾が家(いえ)に啼(な)き哭(さけ)びて、吾を戀(こ)ひ慕はんと思い起せば、


胸悸(むねさわ)ぎ心驚き両乳(りょうにゅう)流れ出でて忍び堪(た)ゆること能(あた)わず、乃(すなわ)ち去りて家に還る。


兒(こ)遙(はるか)に母の歸(かえ)るを見て、闌車(らんしゃ)の中に在れば、即ち頭(かしら)を動かし、腦(なづき)を弄(ろう)し、


外に在(あ)れば、即ち葡匐(はらばい)して出で來(きた)り、嗚呼(そらなき)して母に向う。


母は子のために足を早め、身を曲げ、長く兩手を伸(の)べて、塵土(ちりつち)を拂(はら)い、


吾が口を子の口に接(つ)けつつ乳を出(い)だして之れを飲ましむ。


是のとき母は子を見て歡(よろこ)び、子は母を見て喜ぶ。


兩情一致、恩愛の洽(あまね)きこと、復(ま)た此れに過ぐるものなし。


二歳懐(ふところ)を離れて始めて行く。


父に非(あら)ざれば、火の身を焼く事を知らず。


母に非ざれば、刀(はもの)の指を墮(おと)す事を知らず。


三歳、乳を離れて始めて食う。


父に非ざれば毒の命を殞(おと)す事を知らず。


母に非ざれば、薬の病を救う事を知らず。


父母外に出でて他の座席に往き、美味珍羞(びみちんしゅう)を得(う)ることあれば、自ら之を喫(くら)うに忍びず、懐に収めて持ち歸り、喚(よ)び来りて子に與(あた)う。


十(と)たび還れば九(ここの)たびまで得(う)。得(う)れば即ち常に歡喜(かんき)して、かつ笑いかつ食(くら)う。


もし過(あやま)りて一たび得ざれば、則ち矯(いつ)わり泣き、佯(いつ)わり哭(さけ)びて、父を責め母に逼(せ)まる。


稍(や)や成長して朋友と相交わるに至れば、父は衣(きぬ)を索(もと)め帶(おび)を需(もと)め、


母は髪を梳(くしけず)り、髻(もとどり)を摩(な)で、己(おの)が好美(このみ)の衣服は皆な子に與えて着せしめ、


己れは則(すなわ)ち古き衣(きぬ)、弊(やぶ)れたる服(きもの)を纏(まと)う。


既に婦妻を索(もと)めて、他の女子を娶(めと)れば、父母をば轉(うた)た疎遠して夫婦は特に親近し、私房の中(うち)に於て妻と共に語らい樂しむ。


父母年高(ちちははとした)けて、氣老い力衰えぬれば、依(よ)る所の者は唯だ子のみ、頼む所の者は唯だ嫁のみ。


然るに夫婦共に朝(あした)より暮(くれ)に至るまで、未だ肯(あえ)て一たびも来(きた)り問はず。


或は父は母を先立て、母は父を先立てて獨(ひと)り空房を守り居るは、猶ほ孤客(こかく)の旅寓(りょぐう)に寄泊(きはく)するが如く、


常に恩愛の情(じょう)なく復(ま)た談笑の娯(たのし)み無し。


夜半、衾(ふすま)、冷(ひややか)にして五體(ごたい)安んぜず。


況んや褥(しとね)に蚤虱(のみしらみ)多くして、暁(あかつき)に至るまで眠られざるをや、


幾度(いくたび)か輾転反側して獨言(ひとりごと)すらく、噫(ああ)吾れ何の宿罪ありてか、斯(か)かる不孝の子を有(も)てるかと。


事ありて、子を呼べば、目を瞋(いか)らして怒(いか)り罵(ののし)る。


婦(よめ)も兒(こ)も之れを見て、共に罵り共に辱しめば、頭(こうべ)を垂れて笑いを含む。


婦も亦た不孝、兒も亦た不順。夫婦和合して五逆罪を造る。


或は復た急に事を辧(べん)ずることありて、疾(と)く呼びて命ぜむとすれば、十(と)たび喚(よ)びても九(ここの)たび違(たが)い、


遂に来(きた)りきて給仕せず、却(かえ)りて怒(いか)り罵(ののし)りて云(いわ)く、


「老い耄(ぼ)れて世に残るよりは早く死なんには如かずと。」


父母(ちちはは)これを聞いて、怨念胸に塞(ふさ)がり、涕涙瞼(ているいまぶた)を衝(つ)きて、目瞑(めくら)み、心惑(こころまど)い、悲(かなし)み叫びて云く、


「あゝ汝幼少の時、吾に非ざれば養われざりき、吾に非ざれば育てられざりき、


而して今に至れば即ち却(かえ)りて是(かく)の如し。


あゝ吾れ汝を生みしは本より無きに如かざりけり。」と。


若し子あり、父母(ちちはは)をして是(かく)の如き言(ことば)を発せしむれば、子は即ちその言と共に堕ちて地獄、餓鬼、畜生の中(うち)にあり。


一切の如来、金剛天、五通仙も、これを救い護ること能わず。


父母(ちちはは)の恩重きこと天の極まり無きが如し。



善男子善女人よ、別(わ)けて之れを説けば、父母(ちちはは)に十種の恩徳あり。


何をか十種となす。


 一には 懐胎守護(かいたいしゅご) の恩


 二には 臨生受苦(りんしょうじゅく) の恩


 三には 生子忘憂(しょうしぼうゆう) の恩


 四には 乳哺養育(にゅうほよういく) の恩


 五には 廻乾就湿(えげんじゅしつ) の恩


 六には 洗灌不浄(せんかんふじょう) の恩


 七には 嚥苦吐甘(えんくとかん) の恩


 八には 為造悪業(いぞうあくごう) の恩


 九には 遠行憶念(おんぎょうおくねん) の恩


 十には 究竟憐愍(くきょうれんみん) の恩


父母の恩重きこと天の極まり無きが如し。



善男子・善女人よ、是(かく)の如きの恩徳、如何にして報(むくゆ)べき。


佛、すなわち偈(げ)を以て讃じて宣わく、


悲母(ひも)、子を胎めば、十月の間に血を分け肉を頒(わか)ちて、身重病を感ず、子の身体これに由(よ)りて成就す。


月満ち時到れば、業風催促して、[*ぎょうにんべんに扁]徧身疼痛(へんしんとうつう)し、骨節(こっせつ)解体して、神心悩乱し、忽然(こつねん)として身を亡ぼす。


若(も)し夫(そ)れ平安になれば、猶ほ蘇生し来(きた)るが如く、子の声を発するを聞けば、己れも生れ出でたるが如し。


其の初めて生みし時には、母の顔(かんばせ)、花の如くなりしに、子を養うこと数年なれば、容(かたち)すなわち憔悴す。


水の如き霜の夜にも、氷の如き雪の暁(あかつき)にも、乾ける処に子を廻(まわ)し、濕(しめり)し処に己れ臥す。


子己(おの)が懐(ふところ)に屎(くそま)り、或は其の衣(きもの)に尿(いばり)するも、手自ら洗い濯(そそ)ぎて、臭穢(しゅうえ)を厭(いと)うこと無し。


食味を口に含みて、これを子に哺(ふく)むるにあたりては、苦き物は自から嚥(の)み、甘き物は吐きて与う。


若し夫れ子のために止むを得ざる事あれば、自(みずか)ら悪業を造りて、悪趣に堕つることを甘んず。


若し子遠く行けば、帰りて其の面(おもて)を見るまで、出でても入りても之を憶い、寝ても寤(さ)めても之を憂う。


己(おの)れ生(しょう)ある間は、子の身に代らんことを念い、己れ死に去りて後(のち)には、子の身を護らんことを願う。


是(かく)の如きの恩徳、如何にして報(むくゆ)べき。


然るに長じて人と成れば、声を抗(あ)げ気を怒らして、父の言(ことば)に順(したが)わず、母の言に瞋(いか)りを含む。


既にして婦妻を娶れば、父母にそむき違うこと恩無き人の如く、兄弟を憎み嫌うこと怨(うらみ)ある者の如し。


妻の親族訪(と)い来れば、堂に昇(のぼ)せて饗応し、室に入れて歓晤(かんご)す。


嗚呼(ああ)、噫嗟(ああ)、衆生顛倒して、親しき者は却(かえ)りて疎(うと)み、疎き者は却りて親しむ。


父母(ちちはは)の恩重きこと天の極まり無きが如し。


其の時、阿難、座より起ちて、偏(ひとえ)に右の肩を袒(はだ)ぬぎ、長跪合掌して、前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して云(もう)さく、


「世尊よ、是(かく)の如き父母(ちちはは)の重恩を、我等出家の子(もの)は、如何にしてか報ずべき。


具(つぶ)さに其の事を説示し給え。」と。



佛(ほとけ)、宣(のたま)わく。


「汝等大衆よく聴けよ。孝養の一事は、在家出家の別あることなし。


出でて時新の甘果を得れば、将(も)ち帰り父母(ちちはは)に供養せよ。


父母これを得て歓喜し、自ら食(くら)うに忍びず、先ず之を三寶(さんぽう)に廻(めぐ)らし施せば、則ち菩提心を啓発せん。


父母病あらば、牀辺(しょうへん)を離れず、親しく自ら看護せよ。


一切の事、これを他人に委(ゆだ)ぬること勿(なか)れ。


時を計り便を伺いて、懇(ねんご)ろに粥飯(しゅくはん)を勧めよ。


親は子の勧むるを見て、強いて粥飯を喫し、子は親の喫するを見て、抂(ま)げて己(おの)が意(こころ)を強くす。


親暫(しばら)く睡眠すれば、気を静めて息を聞き、睡(ねむり)覚むれば、医に問いて薬を進めよ。


日夜に三寶に恭敬(くぎょう)して、親の病の癒(い)えんことを願い、常に報恩の心を懐(いだ)きて、片時も忘失(わす)るゝこと勿れ。



是の時、阿難また問うて云く。


「世尊よ、出家の子、能(よ)く是(かく)の如くせば、以って父母(ちちはは)の恩に報(むくゆ)ると為(な)すか。」



佛、宣わく。


「否。未だ以て、父母(ちちはは)の恩に報ると為さざるなり。


親、頑固(かたくな)にして三寶を奉ぜず、不仁にして物を残(そこな)い、不義にして物を盗み、無礼にして色に荒(すさ)み、不信にして人を欺き、不智にして酒に耽(ふけ)らば、


子は当(まさ)に極諫(ごくかん)して、之れを啓悟(けいご)せしむべし。


若し猶ほ闇(くら)くして未だ悟ること能(あた)わざれば、則ち為に譬(たとえ)を取り、類を引き、因果の道理を演説して、未来の苦患(くげん)を救うべし。


若し猶ほ頑(かたくな)にして未だ改むること能わざれば、啼泣歔欷(ていきゅうきょき)して己が飲食(おんじき)を絶てよ。


親、頑闇(かたくな)なりと雖も、子の死なんことを懼るるが故に、恩愛の情に索(ひ)かれて、強忍(きょうにん)して道に向わん。


若(も)し親志(こころざし)を遷(うつ)して、佛の五戒を奉じ、仁ありて殺さず、義ありて盗まず、礼ありて婬(いん)せず、信ありて欺かず、智ありて酔わざれば、


則ち家門の内、親は慈に、子は孝に、夫は正に、妻は貞に、親族和睦して、婢僕(ひぼく)忠順し、六畜蟲魚(ろくちくちゅうぎょ)まで普(あまね)く恩沢(おんたく)を被(こうむ)りて、


十方の諸仏、天龍鬼神、有道(うどう)の君(きみ)、忠良の臣より、庶民万姓(ばんしょう)に至るまで、敬愛(きょうあい)せざるはなく、


暴悪の主(しゅ)も、佞嬖(ねいへい)の輔(ほ)も、妖児兇婦(ようじきょうふ)も、千邪万怪(せんじゃばんかい)も、之れを如何ともすること無けん。


是(ここ)に於て父母(ちちはは)、現(げん)には安穏に住し後(のち)には善処に生じ、仏を見、法を聞いて長く苦輪を脱せん、


かくの如くにして始めて父母の恩に報るものとなすなり。」



佛、更に説を重ねて宣わく。


「汝等大衆能く聴けよ。


父母のために心力(しんりょく)を盡(つく)して、有らゆる佳味、美音、妙衣(みょうえ)、車駕(しゃが)、宮室(きゅうしつ)等を供養し、


父母をして一生遊楽に飽かしむるとも、若し未だ三寶を信ぜざらしめば、猶ほ以て不孝と為す。


如何となれば、仁心ありて施しを行い、礼式ありて身を検(ひきし)め、柔和にして恥を忍び、


勉強して徳を進め、意を寂静(じゃくじょう)に潜(ひそ)め、志を学問に励ます者と雖も、


一たび酒食に溺るれば、悪魔忽(たちま)ち隙を伺い、妖魅(ようみ)則ち便(たより)を得て、


財を惜しまず、情を蕩(とろ)かし、忿(いかり)を発(おこ)させ、怠(おこたり)を増させ、心を乱し、智を晦(くら)まして、


行いを禽獣に等しくするに至ればなり。



大衆よ古(いにしえ)より今に及ぶまで、之に由りて身を亡ぼし家を滅ぼし君を危くし、親を辱しめざるは無し。


是の故に、沙門は独身(どくしん)にして耗(ぐう)なく、その志を情潔にして、唯だ道を是れ務む。


子たる者は深く思い、遠く慮(おもんばか)りて、以て孝養の軽重・緩急を知らざるべからざるなり。


凡(およ)そ是等(これら)を父母(ちちはは)の恩に報(むくゆ)るの事となす。」と。



是のとき阿難、涙を払いつつ座より起ち長跪(ちょうき)合掌して前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、


「世尊よ、此の経は当(まさ)に何と名づくべき。


又如何にしてか奉持(ぶじ)すべきか。」と。



佛、阿難に告げ給わく。


「阿難よ、此の経は父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)と名づくべし。


若し一切衆生ありて、一たび此の経を読誦(どくじゅ)せば、則ち以て乳哺(にゅうほ)の恩に報(むくゆ)るに足らん。


若し一心に此の経を持念し、又人をして之を持念せしむれば、当(まさ)に知るべし、


是の人は、能(よ)く父母の恩に報(むくゆ)ることを。


一生に有らゆる十悪、五逆、無間(むげん)の重罪も、皆な消滅して、無上道を得ん。」と。



是の時、梵天・帝釈(たいしゃく)・諸天の人民(にんみん)、一切の集会(しゅうえ)、此の説法を聞いて、悉(ことごと)く菩提心を発(おこ)し、


五体地に投じて涕涙(ているい)、雨の如く。


進みて佛足(ぶっそく)を頂礼(ちょうらい)し、退(しりぞ)きて各々(おのおの)歓喜奉行(かんぎぶぎょう)したりき。



佛説父母恩重経










父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)。   
法相宗薬師寺管長 高田好胤老師




感恩の歌      竹内浦次作


あはれはらから心せよ 山より高き父の恩


海より深き母の恩 知るこそ道のはじめなれ


児(こ)を守(も)る母のまめやかに わが懐中(ふところ)を寝床(ねどこ)とし


かよわき腕をまくらとし 骨身を削るあはれさよ



美しかりし若妻も 幼児(おさなご)一人そだつれば


花のかんばせいつしかに 衰へ行くこそかなしけれ


身を切る如き雪の夜も 骨さす霜のあかつきも


乾けるところに子を廻し ぬれたるところに己れ伏す



幼きもののがんぜなく 懐中(ふところ)汚し背をぬらす


不浄をいとふ色もなく 洗ふも日々に幾度ぞや


己れは寒さに凍えつつ 着たるを脱ぎて子を包み


甘きは吐きて子に与え 苦きは自ら食(くら)ふなり



幼児乳をふくむこと 百八十斛(ももやそこく)を超すとかや


まことに父母の恵こそ 天の極り無きが如し


父母は我が子の為ならば 悪業(あっごう)つくり罪かさね


よしや悪趣に落つるとも 少しの悔(くひ)もなきぞかし



若し子遠く行くあらば 帰りてその面(かほ)見るまでは


出ても入りても子を憶(おも)ひ 寝ても覚めても子を念(おも)ふ


髪くしけづり顔ぬぐひ 衣を求め帯を買い


美しきは皆子に与へ 父母は古きを選むなり



己れ生あるその内は 子の身に代わらんことを思ひ


己れ死に行くその後は 子の身を守らんことを願ふ



よる年波の重なりて いつか頭(かうべ)の霜白く


衰へませる父母を 仰げば落つる涙かな


あゝありがたき父の恩 子はいかにして酬(むく)ゆべき


あゝありがたき母の恩 子はいかにして報ずべき



報恩の歌


あはれ地上に数知らぬ 衆生(しゆじやう)の中にただひとり


父とかしづき母と呼ぶ 貴きえにし伏し拝み


起てよ人の子いざ起ちて 浮世の風にたたかれし


余命少なきふた親の 弱れる心慰めよ



さりとも見えぬ父母の 夜半の寝顔仰ぐとき


見まがふ程の衰へに 驚き泣かぬものぞなき


樹しづまらんと欲すれど 風の止まぬを如何にせん


子養はんとねがへども 親在(おは)さぬぞあはれなる



逝きにし慈父(ちち)の墓石を 涙ながらに拭いつゝ


父よ父よと叫べども 答へまさぬぞ果敢(はか)なけれ


あゝ母上よ子を遺(お)きて いづこに一人逝きますと


胸かきむしり嘆けども 帰りまさぬぞ悲しけれ



父死に給ふその臨終(きは)に 泣きて念ずる声あらば


生きませる時なぐさめの 言葉かはして微笑(ほほえ)めよ


母息絶ゆるその臨終に 泣きて合掌(おろが)む手のあらば


生きませる時肩にあて 誠心(まごころ)こめてもみまつれ



実(げ)に古くして新しき 道は報恩のをしへなり


孝は百行(ひゃくぎょう)の根本(もと)にして 信への道の正門ぞ


世の若人よとく往きて 父母の御前に跪拝(ひざま)づけ


世の乙女子(をとめご)よいざ起ちて 父母の慈光(ひかり)を仰げかし



老いて後思い知るこそ悲しけれ


この世にあらぬ親の恵みに


  合掌


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あとがき 法相宗管長薬師寺住職 高田 好胤
            
 私は常づね、父母恩重経を一人でも多くの人々に読んで頂きたいと願っています。



しかし、佛壇店をたずねても般若心経、阿弥陀経、観音経等の経本は必ずおかれていますが、父母恩重経をおいて下さっているお店はまだまだ少ないようです。



そこでお佛壇を扱っておられる方々にお会いするたびに、温かい世づくりのお手伝いの為にぜひ父母恩重経もそろえてもらいたい旨お願いをし続けてきました。



今回(昭和五十八年)、全日本宗教用具協同組合で父母恩重経を刊行され、それを各佛壇店において下さる由、大変有難い事だと喜んでいます。





 私は結婚式に招かれた時、必ず父母恩重経をお持ちして、新婚のお二人に差上げ、新婚旅行の道中、二人で心を合わせ、声を揃えて読んできてほしい。



そして帰ってからは座右の書の一冊に加えてもらいたいとお願いしています。



皆さんお読みになってきて下さるようで、新婚旅行の旅先から情景描写などをまじえてのお礼状を頂きます。



中には「こんなお経を読まされたばっかりに楽しかるべき新婚旅行が涙の旅行になってしまいました」と恨み状めいたものを手にする事もあります。



けれども私は「よかったなあ」と喜びの気持ちで読ませてもらっています。



親の恩の尊さを身近に説いたこのお経を、新婚の夫婦がいっしょに読んで催してくれるその涙は、人の心の中にその本質としてだれもが授かっているやさしさ、温かさに目ざめてもらったあらわれの涙であることがとてもうれしいのです。



ですから、どのお礼状も最後には「この涙は二人が生涯忘れてはならない大切な涙であると思いました」といった意味の言葉で結ばれているのが常です。



こうしたお礼状を頂くたびに、新しい人生の門出を父母恩重経でお手伝いする事のできた満足感が私の胸を潤してくれます。





 ところでこのお経において親の苦労の具体的な姿は殆どが母の姿で説かれています。



お釈迦様のお母さま、摩耶夫人(まやぶにん)はお釈迦さまをお産みになって七日後に亡くなっておられます。



大変な難産だったのです。



そのせいか、父母恩重経の中に子供を産むときの母親は命がけである事を所をかえて二度も説かれています。



これはお釈迦様八十年のご生涯を通じてのご実感であったと思います。



こうしたご自分の命とひきかえに魂と肉体をこの世に生み出して下さったお母さまに何一つして差上げる事ができなかったお釈迦様のお気持ちが、お母さまに傾きっぱなしのままでこのお経が説かれている所以であると拝察されます。



同時にこのようにお釈迦さまがお母さまをお慕い続けられた飾り気のないおやさしいお気持ちがその底に流れているところに読む人の心を打つ所以があるのだと思います。



先年、父母恩重経を講義し、一冊にまとめて出版した本の題を「母」(徳間書店刊)とした理由もここにあります。





 諸人(もろびと)よ 思い知れかし 己(おの)が身の



  誕生の日は 母苦難(ははくなん)の日





 これはよみ人しらずのお歌ですが、まさに父母恩重経の精神(こころ)さながらの一首であります。(水戸黄門光圀公の作:豊岳正彦補記)





 私は両親の命日と自分の誕生日に父母恩重経を読誦(どくじゅ)しております。



毎年三月二十三日、母の祥月命日には六つ年上の姉と位牌を前に読誦致します。



やはり姉の方が早く声をつまらせてしまいます。



するとそれにつりこまれて私も胸に熱いものがこみ上げてきて、最後は共にとぎれとぎれに読み終えるのがやっとです。



はらからの情愛に心潤さずにおかないのがこのお経であります。



また、「父母恩重経は私にとって、生前親不孝を重ねた懺悔のお経であります」とおっしゃられる方もおられます。



どうか皆さん方もご両親在(おわ)しまさぬ場合、ご命日に兄弟姉妹(ごきょうだい)でこのお経を読誦して頂きたい、
そしてはらからの情愛に心潤され合(お)うて頂きたいと思います。



幸いご両親ご健在の方は自分の誕生日に読誦して、人の心の初心にかえる感動の涙に心洗われて頂きたいと思います。



 「大孝は終身父母を慕う。」(命ある限りいついつ迄も両親を慕い続ける事、それは真(まこと)の親孝行である)
これは中国の思想家、孟子さまのお言葉です。



孔子さまも孝経の中で、
「孝は徳の本なり。教への由(よ)って生ずる所なり(親孝行はすべての道徳の源であり、これなくして教育は成り立たない)」と教えて下さっています。



孝謙天皇の天平宝字元年(西紀七五七年)、天皇は各家庭に孝経をおいて読むようにとの勅を発しておられます。



以来、明治に至る迄、孝経は国民必読の書でありました。



私共が子供の頃はまだ孝経や論語の教えが学校で教えられていました。



それによって東洋的な無我と智恵、そして日本人のあたたかな宗教的情操の涵養が学校教育の場でいただくことができていました。



けれどもこれが涵養は学校教育の場から追放されているが如きが今日の現状です。



青少年非行化をふくめて各種もろもろの問題の大きな原因がこのあたりにあることに気づいてほしいものです。



それであるだけにどうか家族揃って父母恩重経を読誦していただき、はらからの情愛に心潤され合うていただきたい、



また人の心の初心に帰った感動の涙に心洗われていただきたいとひたすらに願いつつ、



全日本宗教用具協同組合で父母恩重経を刊行され、広く世にひろめていただく事に諸手(もろて)をあげて賛意を表します。



 また、このお経のお話を申上げるときよく、「このお経が感恩・報恩の歌のお経ですか」とのおたずねを受けます。



そうですこのお経がまさしく感恩・報恩の歌のお経なのです。



この感恩の歌、報恩の歌は修養団の講師であり、また青少年の健全なる育成に生涯をささげ、昭和五十七年三月二十三日に九十六歳の天寿を全うされた竹内浦次翁の作になるものです。



翁がさる年慈愛深き御尊母がみまかられませし時に悲哭の思ひを父母恩重経に託しておつくりになりましたのがこの歌です。



 旧制師範学校などで愛唱され、その訓導を受けたひとびとに語りつがれています。



どうかみなさまがたこの歌を黙読だけではなく声に出して朗読また御唱和をなさっていただき、潤はしい情操の養いの糧資を得ていただくことをお願いいたします。



                              合掌





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この父母恩重経は永田文昌堂のご好意により同社編集部編纂の和訓を引用させていただきました。



昭和五十八年六月二十七日 発行
平成十九年四月一日 印刷



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父母恩重経(ふぼおんじゅうきょう)  臨済宗聖典



仏のたまわく、大地の土の多きが如く、


この世に生をうくるもの多けれど、


中にも人間と生るるは


爪の上の土の如く稀なり。


この故に人のこの世に生まるるは、


宿業を因とし、


父母を縁とせり。


父にあらざれば生まれず、


母にあらざれば育てられず。


子の心身は父母にうく。


この因縁の故に


父母の子を思うこと、


世間に比ぶべきものあることなし。



 母、胎児をみごもりしより、


十月の間、


血をわけ肉をわかちて


子の身体をつくる。


身に重き病を患うが如く、


起き伏し、


もろもろの苦しみをうくれば、


常に好める飲食衣服をうるも


愛欲の心を生ぜず。


ただ一心に安産せんことを思う。


月みち日たりて出産のとき至れば、


陣痛しきりに起りてこれを促し、


骨節ことごとく痛み、


あぶら汗しきりに流れて、


その苦しみたえがたく、


これがため忽然として


母の身を亡ぼすことあり。


父もおののき怖れ、


母と子とを思い悩む。


もし子安らけく産れいずれば、


父母の喜び限りなく、


その子、声を発すれば、


母も初めてこの世に生れいでたるが如し。



 もし子、遠くにゆけば


帰りてその顔を見るまで


出でても入りてもこれを思い、


寝てもさめてもこれを思う。


子病み悩める時は


子に代らんことを思い、


死して後も


子の行末を護らんことを誓う。


花の如き母も、


若さに光る父も、


寄る年波の重なりて、


いつか頭に霜をおき、


衰え給うぞ涙かな。



 もろ人あきらかに聞け。


孝養のことは在家出家の別あることなし。


或は言う。


親は己の好みにて子を生めば、子は親に孝養のつとめなしとかや。


されど、こは人の道に反くものぞ。


真の親は子について報謝を求めず、


自らの功を誇らぬものなれど、


子はひたすらに孝養をつとむべし。



 汝ら大衆よく聴け。


父母の為に心をつくし、美味なる飲食、麗わしき衣服、


心地よき車、結構なる住居等を供養し、一生安楽ならしむるとも、


もし父母いまだ三宝に帰依せず因果の理を信ぜずば、


なお真の孝養いたるとせず。


もし父母、かたくなにして仏の教えを奉ぜずば、


子は時に応じ機に随い、


たとえをとり類をひき、


因果の道理を説ききかせ、


未来の苦しみを救うべし。


父母は恩愛の情にひかれて


やがて仏の道に向わん。


即ち生きものを殺さず盗みせず、


男女の道を過たず、


うそ偽りをいわず、


心迷わざれば、


家の内、


親は慈しみ、


子は孝に、


夫は正しく妻は貞に、


親族睦まじく家人順い、


畜類虫魚までも普く恵みを蒙り、


家栄え国和やかに、


十方の諸菩薩天龍鬼神大衆まで


これを敬愛せざるなし。


暴悪の主も不良の徒も、


千萬の悪魔も


これを如何ともすることなけん。


こゝにおいて


父母現世には安穏に住し、


後世には善処に生じ、


仏を見、


法を聞きて長く苦しみを脱せん。


かくの如くにして始めて


父母の恩に報ずるものとなす。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 産める子に 踏まれ蹴られど 母ごころ


  わが身消ゆれど 子をば守らむ



 垂乳根(たらちね)の 白き媼母(おんも)の 独り寝(ぬ)る



  寝音に暁(あけ)の 待ち遠しけれ


        雲居杣人正顔



南無父母無二佛
南無大日不動薬師如来
南無阿弥陀佛
南無釈迦牟尼佛

南無三宝


拈華微笑  合掌






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



『父母恩重経』ぶもおんじゅうきょう(和訓)
hougakumasahiko.muragon.com/entry/6.html


是(かく)の如く 我れ聞けり。


或る時、佛、王舎城(おうしゃじょう)の耆闍崛山(ぎしゃくつせん)中に菩薩声聞(しょうもん)の衆と倶(とも)にましましければ、


比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・一切諸天の人民(にんみん)・および龍鬼神等、法を聞かんとて、来たり集まり、


一心に寶座(ほうざ)を囲繞(いにょう)して、瞬(またた)きもせで尊顔を仰ぎ見たりき。


是のとき、佛、すなわち法を説いて宣(のたま)わく。


一切の善男子・善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。


そのゆえは、人の此の世に生まるゝは、宿業(しゅくごう)を因として、父母(ちちはは)を縁とせり。


父にあらされば生(しょう)ぜず、母にあらざれば育てられず。


ここを以て氣を父の胤(たね)に稟(う)けて形を母の胎(たい)に托(たく)す。


此の因縁を以ての故に、悲母(ひも)の子を念(おも)うこと世間に比(たぐ)いあることなく、その恩未形(みぎょう)に及べり。


始め胎に受けしより十月を經(ふ)るの間、行・住・坐・臥(ぎょう・じゅう・ざ・が)ともに、もろもろの苦惱を受く。


苦惱休(や)む時なきが故に、常に好める飲食(おんじき)・衣服(えぶく)を得(う)るも、愛欲の念を生ぜず、


唯だ一心に安く生産(しょうさん)せんことを思う。


月滿ち日足りて、生産(しょうさん)の時至れば、業風(ごっぷう)吹きて、之れを促し、


骨節(ほねふし)ことごとく痛み、汗膏(あせあぶら)ともに流れて、其の苦しみ堪(た)えがたし、


父も心身戦(おのの)き怖(おそ)れて母と子とを憂念(ゆうねん)し諸親眷属(しょしんけんぞく)皆な悉(ことごと)く苦惱す。


既に生まれて草上に墮(お)つれば、父母の喜び限りなきこと猶(な)ほ貧女(ひんにょ)の如意珠(にょいじゅ)を得たるがごとし。


その子聲(こえ)を發すれば、母も初めて此の世に生まれ出でたるが如し。


爾來(それより)母の懐(ふところ)を寝處(ねどこ)となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情(なさけ)を生命(いのち)となす。


飢えたるとき食を需(もと)むるに母にあらざれば哺(くら)わず、渇(かわ)けるとき飲料(のみもの)を索(もと)むるに母にあらざれば咽(の)まず、


寒きとき服(きもの)を加うるに母にあらざれば着ず、暑きとき衣(きもの)を撒(さ)るに母にあらざれば脱がず。


母飢(うえ)に中(あた)る時も哺(ふく)めるを吐きて子に食(くら)わしめ、母寒きに苦しむ時も着たるを脱ぎて子に被(こうむ)らす。


母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。


その闌車(らんしゃ)を離るるに及べば、十指(じっし)の甲(つめ)の中に、子の不浄を食らう。


計るに人々、母の乳を飲むこと一百八十斛(こく)となす。


父母(ちちはは)の恩重きこと天の極(きわ)まり無きが如し。


母、東西の隣里に傭(やと)われて、或(あるい)は水汲み、或は火燒(ひた)き、或は碓(うす)つき、或は磨挽(うすひ)き、種々の事に服従して


家に還(かえ)るの時、未だ至らざるに、今や吾が兒(こ)、吾が家(いえ)に啼(な)き哭(さけ)びて、吾を戀(こ)ひ慕はんと思い起せば、


胸悸(むねさわ)ぎ心驚き両乳(りょうにゅう)流れ出でて忍び堪(た)ゆること能(あた)わず、乃(すなわ)ち去りて家に還る。


兒(こ)遙(はるか)に母の歸(かえ)るを見て、闌車(らんしゃ)の中に在れば、即ち頭(かしら)を動かし、腦(なづき)を弄(ろう)し、


外に在(あ)れば、即ち葡匐(はらばい)して出で來(きた)り、嗚呼(そらなき)して母に向う。


母は子のために足を早め、身を曲げ、長く兩手を伸(の)べて、塵土(ちりつち)を拂(はら)い、


吾が口を子の口に接(つ)けつつ乳を出(い)だして之れを飲ましむ。


是のとき母は子を見て歡(よろこ)び、子は母を見て喜ぶ。


兩情一致、恩愛の洽(あまね)きこと、復(ま)た此れに過ぐるものなし。


二歳懐(ふところ)を離れて始めて行く。


父に非(あら)ざれば、火の身を焼く事を知らず。


母に非ざれば、刀(はもの)の指を墮(おと)す事を知らず。


三歳、乳を離れて始めて食う。


父に非ざれば毒の命を殞(おと)す事を知らず。


母に非ざれば、薬の病を救う事を知らず。


父母外に出でて他の座席に往き、美味珍羞(びみちんしゅう)を得(う)ることあれば、自ら之を喫(くら)うに忍びず、懐に収めて持ち歸り、喚(よ)び来りて子に與(あた)う。


十(と)たび還れば九(ここの)たびまで得(う)。得(う)れば即ち常に歡喜(かんき)して、かつ笑いかつ食(くら)う。


もし過(あやま)りて一たび得ざれば、則ち矯(いつ)わり泣き、佯(いつ)わり哭(さけ)びて、父を責め母に逼(せ)まる。


稍(や)や成長して朋友と相交わるに至れば、父は衣(きぬ)を索(もと)め帶(おび)を需(もと)め、


母は髪を梳(くしけず)り、髻(もとどり)を摩(な)で、己(おの)が好美(このみ)の衣服は皆な子に與えて着せしめ、


己れは則(すなわ)ち古き衣(きぬ)、弊(やぶ)れたる服(きもの)を纏(まと)う。


既に婦妻を索(もと)めて、他の女子を娶(めと)れば、父母をば轉(うた)た疎遠して夫婦は特に親近し、私房の中(うち)に於て妻と共に語らい樂しむ。


父母年高(ちちははとした)けて、氣老い力衰えぬれば、依(よ)る所の者は唯だ子のみ、頼む所の者は唯だ嫁のみ。


然るに夫婦共に朝(あした)より暮(くれ)に至るまで、未だ肯(あえ)て一たびも来(きた)り問はず。


或は父は母を先立て、母は父を先立てて獨(ひと)り空房を守り居るは、猶ほ孤客(こかく)の旅寓(りょぐう)に寄泊(きはく)するが如く、


常に恩愛の情(じょう)なく復(ま)た談笑の娯(たのし)み無し。


夜半、衾(ふすま)、冷(ひややか)にして五體(ごたい)安んぜず。


況んや褥(しとね)に蚤虱(のみしらみ)多くして、暁(あかつき)に至るまで眠られざるをや、


幾度(いくたび)か輾転反側して獨言(ひとりごと)すらく、噫(ああ)吾れ何の宿罪ありてか、斯(か)かる不孝の子を有(も)てるかと。


事ありて、子を呼べば、目を瞋(いか)らして怒(いか)り罵(ののし)る。


婦(よめ)も兒(こ)も之れを見て、共に罵り共に辱しめば、頭(こうべ)を垂れて笑いを含む。


婦も亦た不孝、兒も亦た不順。夫婦和合して五逆罪を造る。


或は復た急に事を辧(べん)ずることありて、疾(と)く呼びて命ぜむとすれば、十(と)たび喚(よ)びても九(ここの)たび違(たが)い、


遂に来(きた)りきて給仕せず、却(かえ)りて怒(いか)り罵(ののし)りて云(いわ)く、


「老い耄(ぼ)れて世に残るよりは早く死なんには如かずと。」


父母(ちちはは)これを聞いて、怨念胸に塞(ふさ)がり、涕涙瞼(ているいまぶた)を衝(つ)きて、目瞑(めくら)み、心惑(こころまど)い、悲(かなし)み叫びて云く、


「あゝ汝幼少の時、吾に非ざれば養われざりき、吾に非ざれば育てられざりき、


而して今に至れば即ち却(かえ)りて是(かく)の如し。


あゝ吾れ汝を生みしは本より無きに如かざりけり。」と。


若し子あり、父母(ちちはは)をして是(かく)の如き言(ことば)を発せしむれば、子は即ちその言と共に堕ちて地獄、餓鬼、畜生の中(うち)にあり。


一切の如来、金剛天、五通仙も、これを救い護ること能わず。


父母(ちちはは)の恩重きこと天の極まり無きが如し。


善男子善女人よ、別(わ)けて之れを説けば、父母(ちちはは)に十種の恩徳あり。


何をか十種となす。


 一には 懐胎守護(かいたいしゅご) の恩


 二には 臨生受苦(りんしょうじゅく) の恩


 三には 生子忘憂(しょうしぼうゆう) の恩


 四には 乳哺養育(にゅうほよういく) の恩


 五には 廻乾就湿(えげんじゅしつ) の恩


 六には 洗灌不浄(せんかんふじょう) の恩


 七には 嚥苦吐甘(えんくとかん) の恩


 八には 為造悪業(いぞうあくごう) の恩


 九には 遠行憶念(おんぎょうおくねん) の恩


 十には 究竟憐愍(くきょうれんみん) の恩


父母の恩重きこと天の極まり無きが如し。


善男子・善女人よ、是(かく)の如きの恩徳、如何にして報(むくゆ)べき。


佛、すなわち偈(げ)を以て讃じて宣わく、


悲母(ひも)、子を胎めば、十月の間に血を分け肉を頒(わか)ちて、身重病を感ず、子の身体これに由(よ)りて成就す。


月満ち時到れば、業風催促して、[*ぎょうにんべんに扁]徧身疼痛(へんしんとうつう)し、骨節(こっせつ)解体して、神心悩乱し、忽然(こつねん)として身を亡ぼす。


若(も)し夫(そ)れ平安になれば、猶ほ蘇生し来(きた)るが如く、子の声を発するを聞けば、己れも生れ出でたるが如し。


其の初めて生みし時には、母の顔(かんばせ)、花の如くなりしに、子を養うこと数年なれば、容(かたち)すなわち憔悴す。


水の如き霜の夜にも、氷の如き雪の暁(あかつき)にも、乾ける処に子を廻(まわ)し、濕(しめり)し処に己れ臥す。


子己(おの)が懐(ふところ)に屎(くそま)り、或は其の衣(きもの)に尿(いばり)するも、手自ら洗い濯(そそ)ぎて、臭穢(しゅうえ)を厭(いと)うこと無し。


食味を口に含みて、これを子に哺(ふく)むるにあたりては、苦き物は自から嚥(の)み、甘き物は吐きて与う。


若し夫れ子のために止むを得ざる事あれば、自(みずか)ら悪業を造りて、悪趣に堕つることを甘んず。


若し子遠く行けば、帰りて其の面(おもて)を見るまで、出でても入りても之を憶い、寝ても寤(さ)めても之を憂う。


己(おの)れ生(しょう)ある間は、子の身に代らんことを念い、己れ死に去りて後(のち)には、子の身を護らんことを願う。


是(かく)の如きの恩徳、如何にして報(むくゆ)べき。


然るに長じて人と成れば、声を抗(あ)げ気を怒らして、父の言(ことば)に順(したが)わず、母の言に瞋(いか)りを含む。


既にして婦妻を娶れば、父母にそむき違うこと恩無き人の如く、兄弟を憎み嫌うこと怨(うらみ)ある者の如し。


妻の親族訪(と)い来れば、堂に昇(のぼ)せて饗応し、室に入れて歓晤(かんご)す。


嗚呼(ああ)、噫嗟(ああ)、衆生顛倒して、親しき者は却(かえ)りて疎(うと)み、疎き者は却りて親しむ。


父母(ちちはは)の恩重きこと天の極まり無きが如し。


其の時、阿難、座より起ちて、偏(ひとえ)に右の肩を袒(はだ)ぬぎ、長跪合掌して、前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して云(もう)さく、


「世尊よ、是(かく)の如き父母(ちちはは)の重恩を、我等出家の子(もの)は、如何にしてか報ずべき。


具(つぶ)さに其の事を説示し給え。」と。


佛(ほとけ)、宣(のたま)わく。


「汝等大衆よく聴けよ。孝養の一事は、在家出家の別あることなし。


出でて時新の甘果を得れば、将(も)ち帰り父母(ちちはは)に供養せよ。


父母これを得て歓喜し、自ら食(くら)うに忍びず、先ず之を三寶(さんぽう)に廻(めぐ)らし施せば、則ち菩提心を啓発せん。


父母病あらば、牀辺(しょうへん)を離れず、親しく自ら看護せよ。


一切の事、これを他人に委(ゆだ)ぬること勿(なか)れ。


時を計り便を伺いて、懇(ねんご)ろに粥飯(しゅくはん)を勧めよ。


親は子の勧むるを見て、強いて粥飯を喫し、子は親の喫するを見て、抂(ま)げて己(おの)が意(こころ)を強くす。


親暫(しばら)く睡眠すれば、気を静めて息を聞き、睡(ねむり)覚むれば、医に問いて薬を進めよ。


日夜に三寶に恭敬(くぎょう)して、親の病の癒(い)えんことを願い、常に報恩の心を懐(いだ)きて、片時も忘失(わす)るゝこと勿れ。


是の時、阿難また問うて云く。


「世尊よ、出家の子、能(よ)く是(かく)の如くせば、以って父母(ちちはは)の恩に報(むくゆ)ると為(な)すか。」


佛、宣わく。


「否。未だ以て、父母(ちちはは)の恩に報ると為さざるなり。


親、頑固(かたくな)にして三寶を奉ぜず、不仁にして物を残(そこな)い、不義にして物を盗み、無礼にして色に荒(すさ)み、不信にして人を欺き、不智にして酒に耽(ふけ)らば、


子は当(まさ)に極諫(ごくかん)して、之れを啓悟(けいご)せしむべし。


若し猶ほ闇(くら)くして未だ悟ること能(あた)わざれば、則ち為に譬(たとえ)を取り、類を引き、因果の道理を演説して、未来の苦患(くげん)を救うべし。


若し猶ほ頑(かたくな)にして未だ改むること能わざれば、啼泣歔欷(ていきゅうきょき)して己が飲食(おんじき)を絶てよ。


親、頑闇(かたくな)なりと雖も、子の死なんことを懼るるが故に、恩愛の情に索(ひ)かれて、強忍(きょうにん)して道に向わん。


若(も)し親志(こころざし)を遷(うつ)して、佛の五戒を奉じ、仁ありて殺さず、義ありて盗まず、礼ありて婬(いん)せず、信ありて欺かず、智ありて酔わざれば、


則ち家門の内、親は慈に、子は孝に、夫は正に、妻は貞に、親族和睦して、婢僕(ひぼく)忠順し、六畜蟲魚(ろくちくちゅうぎょ)まで普(あまね)く恩沢(おんたく)を被(こうむ)りて、


十方の諸仏、天龍鬼神、有道(うどう)の君(きみ)、忠良の臣より、庶民万姓(ばんしょう)に至るまで、敬愛(きょうあい)せざるはなく、


暴悪の主(しゅ)も、佞嬖(ねいへい)の輔(ほ)も、妖児兇婦(ようじきょうふ)も、千邪万怪(せんじゃばんかい)も、之れを如何ともすること無けん。


是(ここ)に於て父母(ちちはは)、現(げん)には安穏に住し後(のち)には善処に生じ、仏を見、法を聞いて長く苦輪を脱せん、


かくの如くにして始めて父母の恩に報るものとなすなり。」


佛、更に説を重ねて宣わく。


「汝等大衆能く聴けよ。


父母のために心力(しんりょく)を盡(つく)して、有らゆる佳味、美音、妙衣(みょうえ)、車駕(しゃが)、宮室(きゅうしつ)等を供養し、


父母をして一生遊楽に飽かしむるとも、若し未だ三寶を信ぜざらしめば、猶ほ以て不孝と為す。


如何となれば、仁心ありて施しを行い、礼式ありて身を検(ひきし)め、柔和にして恥を忍び、


勉強して徳を進め、意を寂静(じゃくじょう)に潜(ひそ)め、志を学問に励ます者と雖も、


一たび酒食に溺るれば、悪魔忽(たちま)ち隙を伺い、妖魅(ようみ)則ち便(たより)を得て、


財を惜しまず、情を蕩(とろ)かし、忿(いかり)を発(おこ)させ、怠(おこたり)を増させ、心を乱し、智を晦(くら)まして、


行いを禽獣に等しくするに至ればなり。


大衆よ古(いにしえ)より今に及ぶまで、之に由りて身を亡ぼし家を滅ぼし君を危くし、親を辱しめざるは無し。


是の故に、沙門は独身(どくしん)にして耗(ぐう)なく、その志を情潔にして、唯だ道を是れ務む。


子たる者は深く思い、遠く慮(おもんばか)りて、以て孝養の軽重・緩急を知らざるべからざるなり。


凡(およ)そ是等(これら)を父母(ちちはは)の恩に報(むくゆ)るの事となす。」と。


是のとき阿難、涙を払いつつ座より起ち長跪(ちょうき)合掌して前(すす)みて佛(ほとけ)に白(もう)して曰(もう)さく、


「世尊よ、此の経は当(まさ)に何と名づくべき。


又如何にしてか奉持(ぶじ)すべきか。」と。


佛、阿難に告げ給わく。


「阿難よ、此の経は父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)と名づくべし。


若し一切衆生ありて、一たび此の経を読誦(どくじゅ)せば、則ち以て乳哺(にゅうほ)の恩に報(むくゆ)るに足らん。


若し一心に此の経を持念し、又人をして之を持念せしむれば、当(まさ)に知るべし、


是の人は、能(よ)く父母の恩に報(むくゆ)ることを。


一生に有らゆる十悪、五逆、無間(むげん)の重罪も、皆な消滅して、無上道を得ん。」と。


是の時、梵天・帝釈(たいしゃく)・諸天の人民(にんみん)、一切の集会(しゅうえ)、此の説法を聞いて、悉(ことごと)く菩提心を発(おこ)し、


五体地に投じて涕涙(ているい)、雨の如く。


進みて佛足(ぶっそく)を頂礼(ちょうらい)し、退(しりぞ)きて各々(おのおの)歓喜奉行(かんぎぶぎょう)したりき。


佛説父母恩重経



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 産める子に 踏まれ蹴られど 母ごころ


  わが身消ゆれど 子をば守らむ


 垂乳根(たらちね)の 白き媼母(おんも)の 独り寝(ぬ)る


  寝音に暁(あけ)の 待ち遠しけれ


        雲居杣人正顔


南無父母無二佛
南無大日不動薬師如来
南無阿弥陀佛
南無釈迦牟尼佛
南無三宝


拈華微笑  合掌


これが私の四正勤です。この経を弘めることが我が生まれ来る使命であり不惜身命父母に報恩の誠をささげる四弘誓願七佛通誡偈不二同一父母未生因縁なり。






↑上記は全てTORAさんのブログに投稿を掲載して頂いたものです。
いつも本当にありがとうございます。豊岳正彦拝



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*父母恩重経、仏教聖典とも下記のページのいずれかのコメント欄に掲載してもらっています。ブログ主さんありがとうございます。


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投稿: 豊岳正彦 | 2018年4月 9日 (月) 21時58分

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