拈華微笑 南無父母不二佛

何でも仏教徒として思いついたことを書きます

無我の真理と自我の虚妄

仏教は無我であり、すべての一神教は自我である。



猫が炬燵板上でモニターとキーボードの間に居座るので、猫が寝ているときしか入力できない。起きて坐られるとモニターが見えなくなるからである。パソコンが直って一難去ったがまた一難がちゃんとやってくる。日々新たなりン日々好日これなり。


十二月三日午前零時十三分雑歌 雲


父母ありて こそ子はこの世の ものとなる
 鶏に先立つ 卵無きなり


南無父母恩重経



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十二月十五日午前零時十五分

兄弟星ブログ




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仏教はこの世で唯一の「政教分離」であり、


一神教はすべてこの世で「政教一致」である。


「政教一致をカルトという。」


これがこの世で唯一の仏教の言葉日本語の正しい言霊である。


よってすべての一神教はみな等しくカルトそのものである。


仏教聖典にそう書いて有る。華厳経(笑い)。


「この世の中には、三つの誤った見方がある。
もしこれらの見方に従ってゆくと、この世のすべてのことが否定されることになる。


 一つには、ある人は、人間がこの世で経験するどのようなことも、すべて運命であると主張する。
二つには、ある人は、それはすべて神の御業(みわざ)であるという。
三つには、またあるひとは、すべて因も縁もないものであるという。


 もしも、すべてが運命によって定まっているならば、この世においては、善いことをするのも、悪いことをするのも、みな運命であり、幸・不幸もすべて運命となって、運命のほかには何ものも存在しないことになる。


 したがって、人びとに、これはしなければならない、これはしてはならないという希望も努力もなくなり、世の中の進歩も改良もないことになる。


 次に、神の御業であるという説も、最後の因も縁もないとする説も、同じ非難が浴びせられ、悪を離れ、善をなそうという意志も努力も意味もすべてなくなってしまう。


 だから、この三つの見方はみな誤っている。
どんなことも縁によって生じ、縁によって滅びるものである。


(仏教聖典A6文庫本p45仏教伝道協会出版)







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