拈華微笑 南無父母不二佛

何でも仏教徒として思いついたことを書きます

宗門安心章

宗門安心章

はじめに


 お経は、いつの時代も難しいものと考えられてきました。そんな中、お経を身近に感じてもらおうと和文のお経が作られました。江戸時代の「白隠禅師坐禅和讃」、明治時代に曹洞宗から生まれた「修証義」などがそうです。


 人々に分かりやすく教えを伝えることは、お釈迦さま自身も苦労したことでしょう。時代を超えてさまざまな人が仏教を、自分なりに理解しようと努力したあとが、後世に作られたお経です。


 さて、そのように人々に分かりやすく布教することを目指して、臨済宗妙心寺派の本山、妙心寺が昭和四十年に世に出したお経が「宗門安心章(しゅうもん・あんじんしょう)」です。


 「宗門安心章」は、三つの章から成っています。第一「信心帰依(しんじんきえ)」では、まず教えをよりどころとして、信じることの大切さを説いています。「よりどころ」は「寄るところ」に通じます。寄るところもなく、やみくもに歩き回っては、ただ疲れるばかりです。人生の中で、寄って休める場所を見つける一つの方法が、仏教を学ぶことかもしれません。


 つづく第二「自覚安心(じかくあんじん)」では、仏教を信じる(よりどころとする)その人自身が仏さまであり、自分を見つめることが大切である、と説かれています。ここでいう自覚とは仏教の言葉で「自ら目覚める(さとる・気づく)」ことをいいます。また、この章では、自分にないものを求めて持っているものに気づかない愚かさを説きます。それは、せっかく持っている自分の力を信じなさい、ということです。悩みや苦しみ、不安な気持ちは社会や環境のせいではなく、自分の中から生まれてくるものです。周りを変えるのではなく、自分の考え方、ものの見方を変えれば心が安らかになるのではないか、と気づくことが大切です。


 最後に第三「行事仏道(ぎょうじぶつどう)」では、仏教を実際の生活の中で行っていくための心がまえ「戒(かい)・定(じょう)・慧(え)」を学んでいきます。「戒」とは「持戒(じかい)」で、自分の行いを見つめなおすことです。「定」は「禅定(ぜんじょう)」で、自分勝手な解釈や都合でなく物事の重要な部分を、かたよらない心で見定めることです。「慧」は「智慧(ちえ)」のことで、あるがままに物事を見ましょう、ということです。


 以下、上の太字が本文、下の細字が解釈文になります。長いので、少しづつ読んでみていただければ幸いです。


宗門安心章



第一 信心帰依(しんじんきえ)


 万劫(まんごう)にも受け難きは人身、億劫(おくごう)にも逢い難きは仏法なり。われら今さいわいに受け難き人身を受け、会い難き仏法に遇う、宿善のいたすところと雖(いえど)も、仏祖広大の恩徳に依らざるなし。いかでか歓喜(かんぎ)し踊躍(ゆやく)せざらんや。偏(ひとえ)に信心帰依の心を発(おこ)し、如説(にょせつ)に修行をはげむべし。空しく一生を過ごして、永劫(ようごう)に悔(くい)を遺すことなかれ。
 人として生まれることは難しく、仏の教えに出会うことはさらに難しいものです。私たちは、いま幸運にも人として生まれ、仏の教えに出会いました。それは、みなさんがこれまでよい行いを重ねてきたからでしょうが、お釈迦さまやその教えを伝えてきた人たちのおかげでもあります。どうして喜んで飛び上がったりしないでいられましょうか。ひたすら仏の教えを信じ、説かれているとおりに修行に励みましょう。むなしい一生を過ごして、あとになって後悔しないように。



 信は道源功徳の母にして、行善の本(もと)はすなわち帰依にあり。至心(ししん)に合掌し、篤く三宝(さんぼう)を敬うべし。三宝とは仏法僧なり。四生(ししょう)の終帰、万国の極宗、何(いず)れの世、何れの人か、この法を尊(たっと)ばざらん。人 尤(はなは)だ悪しきは鮮(すくな)し。よく教うればこれに従う。それ三宝に帰せずんば、何を以てか枉(まが)れるを直うせん。
 信じることは、すべての行いの始まりであり、徳を積むきっかけを生み出してくれる母親のようなもので、よい行いの根本は、教えをよりどころにするということです。心をこめて手を合わせ、三つの宝を大切にしましょう。三つの宝とは、「仏さま」「その教え」「教えを実際に行う人々」です。生まれ方は違っても最後は同じであるように、また、文化は違ってもあらゆる国に受け入れられるように、いつの時代も、どんな人でも、この教えを重んじることでしょう。根っからの悪人は少なく、よく説いて導けば、教えに従ってくれるものです。三つの宝「仏・法・僧」に頼らないで、どうやって曲がった心をまっすぐにすることができるでしょうか。



 恭(うやうや)しく大法(だいほう)の渕源(えんげん)をたずぬるに、世尊(せそん)成道(じょうどう)のあかつき、玉歩(ぎょくほ)を鹿苑(ろくおん)に運ばして、五比丘(ごびく)のために親しく四諦(したい)の法門を説きたもう。三宝この時始めて世に出ず。これを現前(げんぜん)三宝と称したてまつる。
 仏教は、お釈迦さまがさとりを開いて、鹿野苑(ろくやおん)というところに行き、ともに苦行をした五人の修行者に、さとったこと(人生は苦しみであり、苦しみには原因があり、その原因を取り除くため、あるがままを心がけ、極端を嫌い、立場で物事を見ない生き方)を説いたことから始まります。仏教が説く三つの宝「仏・法・僧」は、このときはじめて世の中に現れました。このことを「現前三宝(三つの宝が眼前に現れたこと)」といいます。



 世尊ひとたび涅槃(ねはん)の雲にかくれたまえば、大衆(だいしゅう)悲泣(ひきゅう)哀恋(あいれん)止み難く、或(あるい)は石に刻み、紙に写して、巍々(ぎぎ)たる光影(こうよう)を末代に偲(しの)び、或は貝葉(ばいよう)に記し、黄巻に録して、一代の説法悉(ことごと)く万世に伝う。又円頂(えんちょう)方袍(ほうぼう)の比丘衆はたけく四弘(しぐ)の願輪(がんりん)に鞭(むち)うって、上座の真威儀(しんいぎ)を、五濁(ごじょく)の末世に宛然(えんぜん)したもう。みなこれ正法(しょうぼう)護持の悲願にしてこれを住持(じゅうじ)の三宝と名づく。
 やがて、お釈迦さまが亡くなられると、人々は慕い悲しみ、そのおごそかな姿を石に刻んだり紙に描き写して、のちの世に思いを残し、説かれた教えはことごとく葉っぱに書いたり紙に記録してながく伝えました。また、髪をそり袈裟(けさ)を身につけた僧たちは、道を求めるための四つの誓い(人々を救い、煩悩を断ち、仏教を学び、仏道を完成させること)に努め、仏法の乱れた世の中であっても仏の教えを伝えました。これもみな、なんとかして正しい仏法を守ろうという願いであり、このことを「住持三宝(三つの宝を保ち続けていくこと)」と名づけたのです。


 しかも三宝の実体は、元来人々(にんにん)自性の中(うち)に本具(ほんぐ)したれば、自ら自(じ)の覚性(かくしょう)に帰依して、念々痴闇(ちあん)の心(しん)なき、これを帰依仏無上尊(きえぶつ・むじょうそん)といい、自ら自の心法に帰依して煩悩邪見の心なき、これを帰依法離欲尊(きえほう・りよくそん)という。自ら自の柔軟心(にゅうなんしん)に帰依して、自なく他なく一切衆生と和敬(わけい)随順するを帰依僧和合尊(きえそう・わごうそん)という。もとより一体にして自性の霊妙を離れず、故にこれを一体(いったい)三宝と名づく。
 しかも仏・法・僧という三つの宝の実体は、自分の中に仏がいるということ、行いが仏の教えにしたがっているということ、人々とともに教えを守り修行をしていくということで、もともと誰の心にも備わっており、自分でそのことに気づき、信じて迷わないことを「帰依仏無上尊(この上もなく尊い仏を信じること)」といい、自分の心の中にある仏の教えをよりどころとして、欲もなく迷いもなく、よこしまに物事を見ないことを「帰依法離欲尊(欲から離れる尊い教えを信じること)」といいます。また、みずから心をかたよらず、自由自在にすることで、自分とか他人とか分けることなく、あらゆる人々と心をやわらげ敬いあい、いかなることでも素直に受け入れていくことを「帰依僧和合尊(ともに力を合わせ修行する尊い人々を信じること)」というのです。そして、仏・法・僧は切り離せない一つのもので、それぞれの人に備わっていて自分本来の奥深くにあるので、これを「一体三宝(仏・法・僧が一体であることはもちろん、自分とも一体である)」と名づけました。


 上来(じょうらい)三宝に三種の別ありと雖(いえど)も、仔細(しさい)に点検すればすなわち別異にあらず。偏(ひとえ)にわが大恩教主 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の成等正覚(じょうとうしょうがく)に由来し、三世一切の諸仏諸尊も、南無(なむ)釈迦牟尼仏の一念唱名の中(うち)には含ませたもう。されば朝夕(ちょうせき)随所に南無釈迦牟尼仏と、一心に唱え至心(ししん)に帰命(きみょう)したてまつるべし。
 今まで説いてきたように、仏教の三つの宝である「仏・法・僧」は、さらに「現前三宝」「住持三宝」「一体三宝」と三つに分けることができますが、よく見ていくと別のものではないことがわかります。それもひとえに、お釈迦さまがさとりを開いたからであり、ありとあらゆる仏さまも「南無釈迦牟尼仏(お釈迦さまをよりどころとします)」とひたすらにお唱えする言葉の中に含まれます。そうであるならば、朝も夕もいたるところで、「南無釈迦牟尼仏」と心をこめてお唱えし、まごころをもってよりどころとしましょう。


 至心に帰命したてまつるが故に、今よりのち、尽未来際(じんみらいさい)、誓って一切の邪魔外道(げどう)には帰依せざるべし。されば諸仏諸菩薩 無辺の願海に摂取せられて、殊勝(しゅしょう)を求めんと要せざれども、殊勝自ら至って、光明不尽の生涯を恵まるること決定(けつじょう)して疑いあるべからず。
 教えを、まごころをもってよりどころとするならば、今からこの先、お釈迦さまに誓いを立てて、仏教のさまたげになるような行いや、教えの道からそれるようなことをよりどころとしてはいけません。そうすれば、あらゆる仏や菩薩の広大な海のような心に救われて、すぐれた心境を求めようとしなくても自然と備わって、明るい光が尽きない生涯に恵まれることは、決して疑いのないことでしょう。


第二 自覚安心(じかくあんじん)


 悲しいかな、われら一念に悟れば直(じき)にこれ仏となるを知らずして、却(かえ)って一念迷うが故に、自ら凡夫(ぼんぶ)となりさがる。かくも尊(たっと)き仏法を耳にしつつも、一向(いっこう)に信心帰依の心なく、生死(しょうじ)の海に浮沈して、三毒五欲の妄念と憎愛取捨の迷執(めいしゅう)に、日夜造業(ぞうごう)造作(ぞうさ)して、永劫(ようごう)出離の際(きわ)もなし。
 悲しいことに、私たちがひとたび、自分だけでなく周りの人を幸せにしていくことが、かえって自分の幸せにあると気づけば、そのままで仏となるのにそれが分からず、むしろ自分だけが幸せになろうとするので、それでは自分から迷い苦しんでいくようなものです。このようにありがたい教えに出会っても、まったく信じないで心のよりどころにもせず、海に浮き沈みするように苦しみを繰り返しては、自分の都合で物事を考えたり、好き嫌いにこだわってしまうので、来る日も来る日も欲は満たされず怒りがこみ上げ、永遠に心が安らかになる日は来ないでしょう。


 たまたま信心おこせども、自心(じしん)仏と知らざれば、ただ徒(いたず)らに狂奔(きょうほん)し、傍家(ぼうけ)波々地(ははじ)に、仏を求め、法を求めて止むときなし。愚(おろ)かというも憐(あわ)れなり。


 また一方で、お釈迦さまの教えを信じてみても、自分にもお釈迦さまと同じように尊い心があることに気づかなければ、むやみに教えに夢中になって、大事なことはそっちのけで外へ外へと求めていき、こうすれば自分も仏になれるだろうか、教えにかなう生き方ができるだろうかと、あちこち動きまわって落ち着かなくなります。すでに持っているものに気づかないで探しまわるなど、愚かにというよりかわいそうなことではないでしょうか。



 いずれの人も速やかに、善知識(ぜんちしき)には遇(あ)いまつり、無明(むみょう)長夜の夢を捨て、常楽涅槃(ねはん)に入相(いりあい)の、鐘に心をすましつつ、菩提心をぞおこすべし。
 苦しんでいる人はできるだけ早く、本でも人でも自分を目覚めさせてくれるきっかけに出会い、かなわない夢のような、はかないものは捨てて、苦しみのない安らかな心で夕暮れの鐘を聞くように、自分もまわりも一緒に救うのだ、という気持ちをおこしましょう。


 そもそも諸仏出世の一大事因縁は、衆生をして、仏知見(ぶっちけん)を開かしめ、衆生に仏知見を示し、衆生に仏知見を悟らしめ、衆生をして仏知見の道(どう)に入らしめんがためなりと、大聖(だいしょう)世尊(せそん)は示されぬ。
 『そもそも仏教がこの世の中に現れた最も大きな理由は、私がさとりを開くため悩み苦しみ気づいたことを、同じように苦しんでいる人々にその目や心を開かせ、教え導き、気づいてもらい、救われる道を歩いてもらいたいためである』とお釈迦さまは示されました。


 しかも霊山(りょうぜん)会上(えじょう)にて、梵天王(ぼんてんのう)が献じたる、金波羅華(こんぱらげ)をば拈(ねん)じつつ、破顔微笑(みしょう)を賞(め)でたまい、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、涅槃妙心(ねはんみょうしん)、実相微妙(じっそうみみょう)の法門を、摩訶迦葉(まかかしょう)にぞ伝えらる。
 さらに、お釈迦さまがある日、いつも説法をしているインドの霊鷲山(りょうじゅせん)で、梵天さまからいただいた金色の蓮華の花を、集まった人々の前にだまって差し出したところ、だれもその意味が何なのか分かりませんでしたが、その中にいた弟子の摩訶迦葉が、だまって「にこっ」とほほ笑んだのを見て、お釈迦さまはうれしく思い、『摩訶迦葉に(言葉ではなく心で)私の教えが伝わった』とおっしゃいました。


 それより的々(てきてき)相承(そうじょう)し、二十八代 菩提達磨(ぼだい・だるま)大師をば、わが宗鼻祖(びそ)と仰ぐなり。得々として南海に浮かび、三千里外遠く大法を震土(しんど)に伝え、黙々として、嵩山(すうざん)に九年面壁(めんぺき)なしたもう。祖師西来意(そし・せいらいい)、もとより梁王(りょうおう)も識(し)らざるところ畢竟(ひっきょう)無功徳(むくどく)。廓然(かくねん)として聖諦(しょうたい)なく、隻履(せきり)西に去ってより杳(よう)として消息なし。然りと雖(いえど)も、祖師もとこの土(ど)に来る、法を伝えて迷情を救わんがためなり。不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)、直(じき)に人心を指さして、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)せしめらる。大悲恩徳極みなし。
 お釈迦さまから弟子の摩訶迦葉(まかかしょう)に仏教が伝わり、さらに器から器に水を移すように受け継がれて、二十八代目の菩提達磨大師が禅の教えをひろめたので、「(臨済)禅宗の初祖(初代)」とされています。大師はしばらく南インドにとどまり、やがて遠く中国にまで仏教を伝え、黙々と嵩山にある少林寺で九年間、壁に向かって坐禅をしていました。『なぜあなたは西の国、インドからはるばる中国まで来たのですか?』ある日、大師は梁の国王、武帝と問答をしましたが、功徳を目当てに仏教に熱心な武帝には分かりません。また、仏教がありがたいのではなく、仏教を信じている武帝自身がありがたいことに気づいてもいません。大師は西へ去り消息は途絶えました。なぜ大師は遠くこの地まで来たのか。それは、ただ仏教を伝え、苦しむ人々を救うためにここに来たのです。『教えは言葉ではなく心で伝わる。自分を見つめ仏に気づきなさい』と。ありがたいこと限りありません。


 されば你(なんじ)ら言下(ごんか)に自ら回光返照(えこうへんしょう)して、更(さ)らに別処に求めざれ。身心(しんじん)と祖仏と別ならざることを知って、当下(とうげ)に無事なるべし。山僧(さんぞう)が見処(けんじょ)に約すれば、釈迦と別ならず。眼に在(あ)っては見るといい、耳に在っては聞くといい、鼻に在っては香(か)を嗅(か)ぎ、口に在っては談論し、手に在っては執捉(しゅしゃく)し、足に在っては運奔(うんぽん)す。この何をか欠少(かんしょう)すと、宗祖 臨済禅師は呵(か)せられたり。
 自分を見つめることが大切ならば、ただちに今までの自分を振り返って、少しもよそを見ているひまはありません。さとりを開いた方々の体や心が特別なものではなく、私たちと何ら変わらないことが分かり、苦しみがなくなるでしょう。『私がみるところによれば、だれ一人お釈迦さまと違うところなどない。目で見たり、耳で聞いたり、鼻でかいだり、口で話したり、手で持ったり、足で歩くことができるではないか。何が欠けているというのか』と、臨済宗を開いた臨済禅師は修行者たちをしかりつけています。


 病(やまい)何(いず)れの所ぞや。病不自信の所にあり。即今(そっこん)聴法底(ちょうぼうてい)を識得すれば、自性すなわち無性にて、已(すで)に戯論(けろん)を離れたり。不安の心(しん)を求むるに、不可得なりと徹(てっ)してぞ、二祖安心(あんじん)は得たまえる。
 自分にないものを、あれこれ求める病気の原因はどこにあるのでしょうか。それは、自分を信じていないことにあります。キョロキョロせず、いま、ここにいる自分をしっかりとつかめば、本来の自分が決まりきったものではないと気づき、無意味に考える必要はなくなります。禅の二代目(二祖)である慧可(えか)禅師は、師である達磨(だるま)大師から『不安な心を出してみなさい。そうすれば、お前を安心させてやろう』と言われ、不安になろうと思ってもなれないことから、不安な心は自分の考え方から生まれることに気づき、心が安らかになったのです。


 寒暑たがいに移れども、慧玄(えげん)が這裡(しゃり)に生死(しょうじ)は無しと示されぬ。日日(にちにち)これ好日(こうじつ)、人人(にんにん)これ真人(しんにん)。行かんと要すれば即ち行き、坐せんと要すれば即ち坐す。餓え来れば飯(はん)を喫(きっ)し、困(こん)じ来れば即ち眠る。ただ平常(びょうじょう)にして無事なれば、無事これ貴人(きにん)と悟るべし。
 時が過ぎれば、寒さと暑さが交互にやってきて移り変わっていきますが、関山慧玄(かんざんえげん)禅師は『生きるとか死ぬとか、あれこれ考えているひまはない。生きるときは精一杯に生きていれば、死ぬときはどうしたって死ぬのだから』と、生と死を区別しないで、いまを生きることの先に死ぬことがあると説きました。一日一日を一生懸命に過ごせば、良い日も悪い日もなくすべて大切な日であり、一人ひとりを見れば良い人も悪い人もなく、同じかけがえのない存在なのです。私たちは本来、行こうと思えばどこへでも行けるし、じっとしていようと思えばじっとしていればいいのです。おなかがすいたらご飯を食べ、疲れたら寝るばかり。そんなふうに何の計算もなく、ないものを求めず、いまを感謝する、そんな人こそが心安らかな人であると気づきましょう。


第三 行事仏道(ぎょうじぶつどう)


 正法(しょうぼう)の道 多途(たと)なれど、要約すれば、戒(かい)定(じょう)慧(え)の三学を出でず。三学は自(じ)の一心に帰し、定慧もと不二にして禅戒一如の妙道なり。
 正しい教えを身につける方法というのは多くありますが、大切なのは「戒・定・慧」という三つの教えです。悪いことをしないと自らに言い聞かせる「持戒(じかい)」、心を静かに落ち着かせる「禅定(ぜんじょう)」、自分の都合で物事を見ないようにする「智慧(ちえ)」。これらは、まさに自分が心からそうしようと思わなければできません。そして心を落ち着け、正しく物事を見るためには、本当の自分を知り、自らを戒めていくことで、自然と身につくものなのです。


 戒とは止悪修善(しあくしゅぜん)の義、人人心地(しんち)の様相なり。故に衆生仏戒(ぶっかい)を受くれば、すなわち諸仏の位(くらい)に入(い)る。位(くらい)大覚に同じうし了(おわ)る。まさに仏戒を受けんには、無始劫来(むしごうらい)の罪障 悉(ことごと)くみな懺悔(さんげ)すべし。懺悔せんと欲せば、端坐して実相を観ぜよ。衆罪は霜露(そうろ)の如し、慧日(えにち)よくこれを消せん。已(すで)に懺悔し了(おわ)れば、身(しん)口(く)意(い)の三業(さんごう)清浄にして、方(まさ)に菩薩の大戒を受くべし。
 自らを戒めるとは、悪いことをせず良いことをする、人としての心のあり方です。ですから、だれでもこのような心で仏の教えを守るなら、さとりを得た人たちと同じ心境になるでしょう。そして自らを戒めるには、今までの悪い行いをすべて反省しなければなりません。そのためには、姿勢を正して座り、自分の行いを正直に見つめなさい。そうすれば、太陽の光によって霜(しも)や露(つゆ)が消えていくように、あらゆる罪は消えていくでしょう。反省が終わり、体も言葉も心も行いも、すべてが清らかになったところで、仏教を行うものとしての戒めを学ぶのです。


 第一 殺生するなかれ。もろもろの生命(いのち)あるもの、ことさらに殺すなかれ。自ら殺し、他をして殺さしむることなかれ。衆生仏性具(ぐ)しぬれば、すなわちいずれも仏子(ぶっし)なり。いかでか殺すに忍びんや。
 まず一つ目の戒めは、殺生をしてはいけないという教えです。人間だけでなく、ありとあらゆる命のあるものを殺してはいけないということです。自分が殺すのはもちろん、ほかの人に殺させるのもいけません。なぜなら、命あるものはすべて尊い存在であり、みんな(仏さまの子供であるような)縁によってつながっています。どうして殺すことなどできましょうか。


 第二 偸盗(ちゅうとう)するなかれ。吾等(われら)もとより空手(くうしゅ)にして、この世に来り、空手にして又帰る。一紙半銭たりと雖(いえど)も、元来吾等に所有なし。わずかに可得の見あらば、すなわち盗むと示されぬ。一切の財宝おしみなく、あまねく衆生に布施すべし。いかでか盗むに忍びんや。
 二つ目の戒めは、盗んではいけないということです。私たちはもともと何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいきます。たとえ一枚の紙、わずかなお金でさえも、もとは自分の持ち物ではなかったはずです。少しでも自分のものにできると思うなら、それは盗みにつながります。むしろ持っているものを惜しみなく、みんなに分けてあげましょう。あげたものを、どうして盗む必要があるでしょうか。


 第三 邪淫(じゃいん)するなかれ。自性元来清浄なれば、行事も自(おのずか)ら清浄なるを、梵行(ぼんぎょう)とては尊(たっと)べり。たとい夫婦の中とても、淫(みだ)らの所行あるなかれ。家庭はこれ敬愛の場(にわ)にして、子女養育の道場なり。これを乱すに忍びんや。
 三つ目の戒めは、みだらな行為をしないということです。みんなもともと心は清らかで、日常の行いも清らかなのですから、たんに欲を断つことが尊いのではありません。たとえ夫婦であっても、お互いにいい加減な扱いをしてはいけないということです。家庭は相手を敬う身近な社会であり、子供を育てる大切な場所です。これを乱しては、もったいないではありませんか。


 第四 妄語(もうご)するなかれ。得ざるを得たりと誇り、到(いた)らざるを到れりと説くことなかれ。直心(じきしん)はこれ道場なり。行住坐臥に脚下を照顧(しょうこ)し、愚の如く魯(ろ)の如く、須らく潜行密用(せんこうみつゆう)すべし。自ら独りを慎しむべく、他を欺むくに忍びんや。
 四つ目の戒めは、うそをつかないということです。分からないのに分かったと自慢し、できないのにできたと言ってはいけません。偽りのない心こそ大切なのです。毎日の生活の中で自分の行動を見つめなおし、まるで愚かで無知のようにひたすらに、人知れず自分の役割をはたしましょう。他人が見ていないところで自分を偽らないのなら、どうして他人をだます必要があるでしょうか。


 第五 飲酒(おんじゅ)するなかれ。愚痴の酒を飲むことなかれ、無明(むみょう)の酒に酔うなかれ。自性霊妙、主人公惺々(せいせい)として覚めたれば、随所に主となって、立処(りっしょ)皆(みな)真(しん)なり。自ら自性を晦(くら)まして、他をして迷惑せしめんや。
 五つ目の戒めは、お酒を飲まないということです。愚かな酒を飲んではいけません。訳の分からなくなるほど酔ってはいけません。お酒に酔うように自分に酔うことなく、冷静に自分を見つめれば、生まれながらに持っているすぐれた面に気づくでしょう。その自分の持ち味に気づいたのなら、どんな場面でもそれを活かして、どこにいても自分が主となって行動ができるのです。どうして自分が本来持っているものに気づかないで、よそに求めてしまい、わざわざ迷っていくのでしょうか。


 かくの如きの菩薩の大戒、当(まさ)に尊重し珍敬(ちんきょう)すべし。闇(あん)に明(めい)に遇(あ)い、貧人(ひんじん)の宝を得たるが如し。これはこれ われらが大師なり。今身(こんじん)より仏身(ぶっしん)に至るまで、忝(かたじけな)くも行持して、懈怠(けたい)の心なかるべし。
 これら五つの戒めを、お釈迦さまのことのように大切にしましょう。それはまるで、暗やみの中で光を見つけたように、また、貧しいときに宝物を手に入れたように、まさに自らの行いを教え導いてくれる師匠のようなものなのです。たった今から仏の教えが身につくまで、しっかりと守りつづけ、なまけることのないようにしましょう。


 定とは坐禅三昧(ざんまい)なり。外(ほか)一切善悪(ぜんなく)の境界に向って心念起らざる、これを名づけて坐となし、内自性を見て動ぜざる、これを名づけて禅となす。三昧とは正念相続なり。行も亦(また)禅、坐も亦(また)禅、語黙動静(どうじょう)安然(あんねん)として、専一に己事(こじ)を究明するは、坐禅の要諦(ようたい)にして、宗門第一の行事なり。
 「定(禅定)」とは、いいかえれば「坐禅ざんまい」のことです。良いとか悪いとか、いちいち、よそのことを考えたりしないで座ることを「坐」といい、自分自身を感情や都合にしばらないで、冷静に見つめることを「禅」といいます。また「ざんまい」とは、仏の教えを忘れずに、ひたすら続けていくことです。つまり、心をととのえて乱れないようにし続けることが「禅定」なのです。したがって、何かをしているときも心に振り回されなければ、それは禅であり、静かに座ることもまた禅なのです。そして、だれかと話していても黙っていても、動いていてもじっとしていても、日常生活をとおして心安らかに、ただひたすら自分自身と向き合うことは、坐禅をするうえで最も大事なことであり、臨済宗では最も大切に(第一に)することなのです。


 慧(え)とは智慧なり。仏智(ぶっち)なり。自我の迷妄(めいもう)を脱却して、不二の妙道に徹するなり。尽十方世界は沙門の眼(まなこ)、縦には三世を貫き、横には十方に瀰淪(みりん)して、刹土(せつど)としてわが土(ど)に非ざるなく、瞬時としてわが時光に非ざるなし。今この三界は悉(ことごと)く これわが有(う)にして、その中の衆生は皆これわが子なり。
 「智慧」とは、自分勝手な思い込みから抜け出して、物事をあるがままに見ていくことです。あらゆることを自分のこととしてこの世界を見つめれば、どんなときでも自分の大切な時間であり、どんなところでも自分の大切な場所であると考えられるでしょう。お釈迦さまもおっしゃっています。『この世界がことごとく私に関わるものだと考えれば、そこにいる生きとし生けるものは、すべて私の子供のように大切なものではないか』と。


衆生病(や)むが故にわれ又病む。慈悲愛憐(あいれん)せざらんや。劫石(ごっせき)たとい消(しょう)するの日ありとも、わが願力は尽きざらん。尽未来際(じんみらいさい)、報恩謝徳(ほうおんしゃとく)の思い、興隆仏法の志(こころざし)、寤寐(ごび)にも忘るべからず。
 また、維摩居士(ゆいまこじ)というお釈迦さまの弟子の方も、『人々が悩み苦しんでいるからこそ、私もまた同じように悩み苦しむのである』と言われたそうです。なんと思いやりのある優しさではないでしょうか。たとえ大きな岩を布きれでこすって消えるような日が来るとしても、人々を救おうという私(たち)の願いは消えることはないでしょう。この先ずっと、受けた恩に報いようと感謝の心を持ち、仏教が人々にひろまっていくよう努めることを、寝ても覚めても忘れてはいけません。







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